ヒマラヤの魔女(8)

摩尼山「賽の河原」石積み塔づくり 感想文之壱
ひと月遅れになってしまいましたが、11月10日に開催した「紅葉の摩尼山トレック-『賽の河原』石積み塔づくり」に参加した1・2年生のレポート優秀作を掲載します。当日は快晴、紅葉も最盛期であり、険しいながらも楽しいトレックを楽しめました。参加者は計48名(定員30名)。学生・教員等と学外者の比率はほぼ半々でした。
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1.摩尼寺門前から奥の院へ
午前9時、環境大学に集合し、点呼を済ませ、バスに乗車。摩尼寺門前に到着後、門脇茶屋2階の大広間で先生からミニレクチャー、新パンフレット、山菜弁当を受け取りトレックに向けて準備を整えた。10時半過ぎに麓を出発した。前日の雨の影響で山道の足元が濡れており、とても滑りやすくなっていた。古参道は人ひとりが安全を確保して通るのがやっとの道幅であった。少し歩くと一本の丸太に平たい板を被せたような板橋が現れた。道案内の立て看板があったが、道はそれ以外に人の手は加えられておらず自然そのものであるように感じた。さらに歩くと平たい石が点在し少しだえ開けた空間が現れた。この石敷きは建物の礎石や基壇などの跡である可能性があるものだという。
「賽の河原」での塔づくりの材料となる積み重ねやすい石を道沿いの川際で選び、ネット袋に収めていった。そこから20分ほど登ると先ほどよりも開けた平場の休憩場所に着いた。摩尼寺「奥の院」遺跡である。ここにも平たい礎石がいくつか数おおく露出していた。「奥の院」は斜面に沿って聳え立つ巨巌がとても印象的であった。17世紀の初めに巨巌を隠すほどの楼閣が2棟も建立されていたという先生の解説を聞きつつ、私はおやつとして持ち込んだドーナツを頬張った。

2.鷲ヶ峰で賽の河原の塔づくり
奥の院から鷲ヶ峰へのラストスパートでは、重さ5キロほどの石の入ったネットを左手にぶらさげ、空いた右手でで崖際のロープを手繰り寄せながら、急斜面の岩盤を登った。途中、巨巌の上段に人工的にえぐられた岩窟があり、その奥に五輪塔が安置されていることが確認できた。12時ごろ、目的地である鷲ヶ峰の賽の河原に到着した。摩尼寺では「西院(さい)の河原」とも呼ばれている。それはあの世とこの世の境(三途)でもある。幼くして死んでしまった子供たちが、娑婆にいる父母を偲んで石を積み塔をつくったように私たちも塔をつくる。鬼役の先生や先輩の方々が鬼に扮して塔をいったん崩した後、2年生でより頑丈で大きな塔(↑↓)を一基つくった。

3.感想-新刊パンフレットの素晴らしさ
摩尼山トレックでとても印象に残っていることが一つ。それは先生と東京のデザイナーQTCさんが協力して編集・制作されたパンフレットである。摩尼寺「奥の院」遺跡や鷲ヶ峰の歴史的価値のある建造物は災害および時間の経過による劣化によって廃れてしまい、実物を見ることはできなかった。だが、復元CGによって当時建っていた地蔵堂等の形、大きさ、位置が表現されていることで境内のイメージがしやすかった。トレッキングコースの注意点を記載したMAPがあったことは小さいお子さんを連れたお母さん方に配慮されていたと思う。英語訳がされていた点からは観光で鳥取を訪れた外国人が景観を楽しみつつ、鳥取ならではの文化にも触れてほしいという作り手のねらいも感じられた。摩尼山に対して興味を持つきっかけになり得る手書きのデザイン、分かりやすい説明が載せられている点も素晴らしかった。(環境学部2年YM)

1.「奥の院」をめざして
トレックを開始してからは、大きな木々が立ち並び日の差し込まない、少しぬかるんだ道が続いた。しばらく行くと小川が見えてきて、石積みのための石を選ぶ時間になった。どのような形の石が石積みに適しているか、想像しながら注意深く選んだ。
しばらくして、休憩場所の「奥の院」遺跡に着いた。摩尼寺「奥の院」遺跡とは、立岩のたつ鷲が峰から60mほど下ったところにある18世紀以前の寺院境内の遺跡で、巨巌がそびえたち、その正面に2段の平場を整形しており、地表面に建造物の礎石と思われる平たい石がたくさん露出している。考古学的年代観は上層が16 ~17世紀、下層は10世紀に遡る。巨巌は下段を大きくえぐって岩陰の仏堂としており、本尊「帝釈天」の可能性がある木彫仏のほか、阿弥陀如来、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、虚空蔵菩薩立像などの石仏を祀っている。巨巌の上段には五輪塔を安置する小さな岩窟を掘削しており、上段と下段をつなぐ石の階段の遺構もみつかっている。ここにたどり着くまで半時間ばかり歩き、疲れていたので、ここに寺院を建てた人は大変だっただろうと、その苦労を想像した。

2.「賽の河原」和讃のとおりに
その後、賽の河原に到着した。賽の河原とは、立岩正面の平場である。摩尼山にとって最も重要な信仰対象は、本尊「帝釈天」が降臨した鷲が峰の立岩。高4丈(約12m)におよぶ立岩の上部には鎖の一部が残っており、行場として使われた時期もあった。こうした信仰対象としてだけでなく、因幡の景観を一望に俯瞰できる眺望地点としても重要である。
賽の河原でまずはグループに分かれ石を積んだ。親のことを想う死んだ子供のことを考えながら石を積んだ。そこに鬼が現れ、積まれた塔を壊してゆく。そしてまた、「積め、積め。」と子どもを責め立てる。『西院の河原和讃』には、
惨(むご)や可愛や不愍(ふびん)やと
おやの歎きは汝(なんぢ)らが
苦患(くげん)を受くる種となる
我を恨むる事勿(ことなか)れと
くろがねの棒をのべ
積みたる塔を押崩す
また積々(つめつめ)と責めければ
とある。現地でも副住職の方が詳しく教えてくださった。


そして、2年全体で一つの塔を作った。が、また鬼によって崩されそうになる。しかし、そこに地蔵尊役が現れ、子どもたちが救われる模様が再現された。これは、
泣々(なくなく)寝入る憐れさは
譬(たと)え難(がた)き御(おん)なみだ
袈裟や衣(ころも)に(ひた)しつつ
助け給ふぞ地蔵そん
の部分にあたる。
そして、その後下山し「賽の河原」石積みトレックを終えた。


3.感想
今回トレックをするにあたり、初めて賽の河原や摩尼山の歴史や文化を知った。しかし、その過程を実際にやってみて、体験してみることでそれらを深く知ることができたと思う。同時にそういった歴史、文化の保全も重要なのだろうと思った。(経営学部2年IK)

【連載情報】
・大学HP
紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくりレポート
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181212/
・LABLOG
ヒマラヤの魔女(8)~(10)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1947.html
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