『公立鳥取環境大学紀要』第16号掲載論文をめぐる問題
昨年10月末日に投稿した紀要論文がようやくネット上にアップされました。公立大学に即した新しい紀要のシステムだそうで、なんと『紀要』という学術雑誌を発行せず、まずはWEB上に論文をアップする。とりあえず、以下のサイトをごらんください。今のところ、わたしを含めて2本の論文しかアップされていません(もうお一方は退官記念のエッセイです)
http://www.kankyo-u.ac.jp/about/publication/bulletin/016/
浅川滋男・大石忠正(2018)
「西ブータンの崖寺と民家―ハ地区を中心に―」
『公立鳥取環境大学紀要』第16号:pp.PR1-PR17
新しい紀要の制度になってから、事実上「論文」をネット上にアップしたのは私一人ということになります。論文がたまっていけば、製本するのだそうです。一年以上経ってこのありさまですから、雑誌になるのはいつのことやら・・・ひょっとしたら永遠にないかもしれませんね。
他の大学でもこういうシステムでやっているところがあるから、それを参考にしたのでしょうが、そもそも雑誌形式を回避する点、文献に対する愛着の無さがにじみでている。これだけ投稿論文が減ったのは、製本された学術雑誌にならないことに対するアレルギーがあるのだとみてよかろうと思います。
まぁ、揉めました。わたしのやり方が良くない点もあったことはみとめますが、査読については、どうしても納得できないところがある。「西ブータンの崖寺と民家―ハ地区を中心に―」と題する論文は、①ブータン(及びチベット)仏教・文化の側面と②建築学的側面の両方を含んでいます。内容比からいえば、①が30~40%、②が60~70%であるにも係わらず、差読者は2名とも①を専門分野とする学外の研究者でした。投稿申請用紙には、所属学会・専門分野を記入する欄があり、「建築学会」であることを明記しましたし、建築学会に所属する学内の教員は複数名います。そうした建築系研究者を査読にあてることもなく、学外2名のチベット仏教系研究者に査読させたのです。わたしは、その意図を読み取っていました。ある人物に「チベット語・ゾンカ語・サンスクリットを読めないのが私の弱点であり、心配な点だ」と吐露していたからです。この弱点を突いてきた、としか考えられません。そうすれば、「不採用」にできる可能性がある。しかし、差読者2名の評価は決して低くはありませんでした。1名の方の評価はオール5(5点満点)、もう1名の方は3.5であり、いずれも「微細な修正で掲載可」であったのです。
それにしても、こうした差読者選定の偏りについて疑問が払拭できないので、何度も以下の質問を紀要委員長に投げかけました。
私どもの論文には建築学および建築史学に関わる記載や図面が
多数掲載されていますが、その内容についてだれも検討(=査読)しない
でよいと委員会で判断した理由をわかりやすく説明してください。
返ってきた答えは以下の通りです。
一般に、各編集委員は、査読者の匿名性を担保するために、査読者の選定や
属性(学内か学外か、どの学会に所属するのか等を含む)に関わる情報について、
投稿者に対して守秘義務があると考えています。実際の査読過程では、投稿者が
結果的に査読者の情報を得ることがあると思います。しかし、その場合でも、編集
委員は、そのことを所与のこととして、投稿者の査読者に関するご質問に答えること
はできないと思います。編集委員会では、先のメールでも述べたように、その都度
できるだけ適切な査読者の選定を試みていますので、ご理解いただければと思います。
おかしな回答だと思いませんか。当方は差読者の情報ではなく、委員会の方針を問うているのです。にも係わらず、「差読者に関する情報は答えることができない」という回答では、あきらかに質問の趣旨からずれている。国会でいまも問題視されている不整合で曖昧な大臣の答弁と変わるところはありません。とくに問題視すべきは、「できるだけ適切な査読者の選定を試みています」という部分です。当方としては、適切な差読者を選定していないことを身をもって感じたから質問しているのであり、これでは論文の内容とはずれた査読が繰り返される危険性があると心配しているところです。わたしは、今後も紀要に論文を投稿します。すでに準備中の論文が2~3篇ある。その査読がどうなるのか、不安を禁じえません。
http://www.kankyo-u.ac.jp/about/publication/bulletin/016/
浅川滋男・大石忠正(2018)
「西ブータンの崖寺と民家―ハ地区を中心に―」
『公立鳥取環境大学紀要』第16号:pp.PR1-PR17
新しい紀要の制度になってから、事実上「論文」をネット上にアップしたのは私一人ということになります。論文がたまっていけば、製本するのだそうです。一年以上経ってこのありさまですから、雑誌になるのはいつのことやら・・・ひょっとしたら永遠にないかもしれませんね。
他の大学でもこういうシステムでやっているところがあるから、それを参考にしたのでしょうが、そもそも雑誌形式を回避する点、文献に対する愛着の無さがにじみでている。これだけ投稿論文が減ったのは、製本された学術雑誌にならないことに対するアレルギーがあるのだとみてよかろうと思います。
まぁ、揉めました。わたしのやり方が良くない点もあったことはみとめますが、査読については、どうしても納得できないところがある。「西ブータンの崖寺と民家―ハ地区を中心に―」と題する論文は、①ブータン(及びチベット)仏教・文化の側面と②建築学的側面の両方を含んでいます。内容比からいえば、①が30~40%、②が60~70%であるにも係わらず、差読者は2名とも①を専門分野とする学外の研究者でした。投稿申請用紙には、所属学会・専門分野を記入する欄があり、「建築学会」であることを明記しましたし、建築学会に所属する学内の教員は複数名います。そうした建築系研究者を査読にあてることもなく、学外2名のチベット仏教系研究者に査読させたのです。わたしは、その意図を読み取っていました。ある人物に「チベット語・ゾンカ語・サンスクリットを読めないのが私の弱点であり、心配な点だ」と吐露していたからです。この弱点を突いてきた、としか考えられません。そうすれば、「不採用」にできる可能性がある。しかし、差読者2名の評価は決して低くはありませんでした。1名の方の評価はオール5(5点満点)、もう1名の方は3.5であり、いずれも「微細な修正で掲載可」であったのです。
それにしても、こうした差読者選定の偏りについて疑問が払拭できないので、何度も以下の質問を紀要委員長に投げかけました。
私どもの論文には建築学および建築史学に関わる記載や図面が
多数掲載されていますが、その内容についてだれも検討(=査読)しない
でよいと委員会で判断した理由をわかりやすく説明してください。
返ってきた答えは以下の通りです。
一般に、各編集委員は、査読者の匿名性を担保するために、査読者の選定や
属性(学内か学外か、どの学会に所属するのか等を含む)に関わる情報について、
投稿者に対して守秘義務があると考えています。実際の査読過程では、投稿者が
結果的に査読者の情報を得ることがあると思います。しかし、その場合でも、編集
委員は、そのことを所与のこととして、投稿者の査読者に関するご質問に答えること
はできないと思います。編集委員会では、先のメールでも述べたように、その都度
できるだけ適切な査読者の選定を試みていますので、ご理解いただければと思います。
おかしな回答だと思いませんか。当方は差読者の情報ではなく、委員会の方針を問うているのです。にも係わらず、「差読者に関する情報は答えることができない」という回答では、あきらかに質問の趣旨からずれている。国会でいまも問題視されている不整合で曖昧な大臣の答弁と変わるところはありません。とくに問題視すべきは、「できるだけ適切な査読者の選定を試みています」という部分です。当方としては、適切な差読者を選定していないことを身をもって感じたから質問しているのであり、これでは論文の内容とはずれた査読が繰り返される危険性があると心配しているところです。わたしは、今後も紀要に論文を投稿します。すでに準備中の論文が2~3篇ある。その査読がどうなるのか、不安を禁じえません。