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ヒマラヤの魔女(9)

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摩尼山「賽の河原」石積み塔づくり 感想文之弐

摩尼山の歴史と賽の河原
 摩尼山は鳥取市覚寺(かくじ)に位置する喜見山(きけんざん)摩尼寺(まにじ)の山号である。摩尼山(まにさん 標高357m)は、大山・三徳山と並ぶ天台宗の拠点的霊山として信仰を集めてきた。旧参道と歴代住職等墓所、山腹の境内地に建立された堂宇群、自然環境などから構成された風致景観が良好に保全されており、巨巌・岩窟等からなる「奥の院」の奇景に優れている。山内に点在する多くの石仏群も独特の風致を添え、日本海・鳥取砂丘等を一望する鷲が峰の立岩(たていわ)はこの地域を代表する展望地点として親しまれてきている。現在はPM2.5の影響で遠くの景色までは一望できないが、昔は大山が見えるまできれいだったようである。平成28年10月3日には「意義深い名勝地」として評価され、国の登録記念物となった。


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 摩尼山鷲ヶ峰にそり立つ立岩は、帝釈天降臨の霊地とされている。「平安時代の初め頃、高草郡の産見長者が摩尼山に登ると、立岩に宝珠を持った帝釈天が降臨し、今よりこの峰に鎮座して衆生を救い、なかんずく五障の身である女人を済度しよう」と告げた。長者はこの地に精舎を建て、それを承和年間に慈覚大師(円仁)が再興したのが摩尼寺の起こりと言われている。しかし、最近の発掘調査によって、これはあくまでも架空の話で伝承に過ぎないという可能性が高くなった。その後、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い寺は荒廃していたが、江戸時代初期に鳥取藩の藩祖池田光仲、その後見役の池田光政により、鳥取城の鬼門にあたる現在の山裾に再建された」と、縁起には記載されている。


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 摩尼山・摩尼寺の摩尼という言葉は古代インドのサンスクリット語に由来し、「宝石」「宝珠」を意味している。「宝石」「宝珠」は仏教において秩序や慈悲、思いやりなど悟りを開くための吉祥の要素を意味している。摩尼山には立岩の正面側に平場があり、明治期には平場と立岩の間に地蔵堂と鐘楼が建っていた。明治後期に撮影された写真や明治45年の「因幡国喜見山摩尼寺略記」によると、地蔵堂・鐘楼2棟が建っているのを確認できる。しかし、昭和18年の鳥取大地震によって地蔵堂は崩れてしまったようだ。現在は地蔵堂の基壇や鐘楼の礎石・建築部材が当初の状態で残っている。そこは、「賽の河原(西院の河原)」と呼ばれており、幼くして死んでしまった子供たちが父母の供養のために石を積んで等をつくる三途の川とされている。鬼が子供たちの作った塔を壊しにやってくるだが、地蔵尊に救われ、天国へ行くことができるという。


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摩尼山に登った感想
 行きに登った道と帰りの下山の道が違ったが、行きの道のりは整備が行き届いてない岩道・山道で、これを一人で登るのは本当に難しいと感じた。一人で登ることは修行になるが、命の危険もあるくらい危ない道であったので、修行僧の人たちを尊敬する。もし、一人で登れと言われたらあきらめてしまう。
 「賽の河原」と聞くとオドロオドロしい暗い場所なのかと思っていたが、景色もよく暗いイメージが吹っ飛んだ。灯篭や石仏群があり神秘的で、立岩の勇ましさも感じられるところであった。自然と人工物がなす神聖な場所であった。
 摩尼寺に参拝して帰ったが、本堂の立派な建物に魅力を感じた。もし、「奥の院」の平場に本堂が残っていたらもっと神秘的な場所になっていただろうと感じた。
 賽の河原で石積みし塔をつくったが、石一つひとつの形がバラバラでバランスがとれず、崩れやすかった。天へのぼる前に幼い子供たちが父母を思いながら積み鬼に壊されまたつくると考えると、苦行を強いられていると改めて感じた。(経営学部2年M.S)


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摩尼山トレッキング
 鳥取市覚寺に位置する喜見山摩尼寺の境内を成す摩尼山は、大山・三徳山と並ぶ天台宗の拠点的霊山として信仰を集めてきた。旧参道と歴代住職等墓所、山腹の境内地に建立された堂宇群、自然環境などから成る風致景観が良好に保全されており、巨巌・岩窟等から成る奥の院の奇景に優れている。山内に点在する多くの石仏群も独特の風致を添え、日本海・鳥取砂丘等を一望する鷲が峰はこの地域を代表する展望地点として親しまれている。(出典:とっとり文化ナビ)
目的
 登録記念物「摩尼山」の歴史性と景観を回復させるプロジェクトの一環 として、鷲ヶ峰に石積みの小塔をつくり「賽の河原」の原風景を再現すること。


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活動内容
 午前10時より、山のふもとの脇門茶屋に集まった。私たちのような学生以外にも多くの参加者が集まっていた。山道に慣れていそうな男性や、子供と一緒に参加される女性など様々だった。摩尼山に登るのは初めてだったが、そこに集うメンバーから誰でも上ることが可能な山であることが推測できた。
 茶屋二階での説明等も終わりトレッキングが始まる。参道の手前から右に折れて脇道からの出発。足場が不安定で滑りやすく危ない場所もあった。今でこそ多くの人が歩くようになり道らしくなってはいるが、昔の修行僧はさらに厳しい道を歩いていたのだろう。歩いているとごみが目立つようになる。山の森の中なのに、瓶やロープなど明らかに自然生成されないものばかり。近隣の人なのかトレッキングの人間なのかわからないが、ここまで運ぶ労力を考えると正規の方法での廃棄のほうが楽な気もする・・・


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 不安定な道をあるいている最中に不自然な石の集まりを見た。平らな石が道をふさぐような並びで埋まっている。上をとる人がおお過ぎて平らにすり減ったとも考えたが不安定な道の上、滑りやすい石があるなら避けて歩くだろう。先生の話を聞いていると、この石、じつは柱の礎石として使われていたらしい。あくまで憶測なのだが、この辺りには山門があったらしく、その名残の可能性があるという。
 トレッキングも中腹に達し、森の中に平らで開けた場所に出た。摩尼寺「奥の院」遺跡である。建物の跡だといわれるとその通りに見える。平らな地面のところどころに平らな石が並んでいて、やはり柱を立てる礎石の並びのようだ。山の建築物を見るといつも思うことがある。それは資材の運搬についてだ。僧の修行に使われるような道で資材を運ぶ、修行というより苦行といえそうだ。森の中を歩いていたので開けた平らな地面には違和感を持ったが、それ以上に目を引くものがあった。開けた地面を覆うように突き出た大岩である。人の力ではどうにもならないように大きな岩からは何かパワーを感じた。
 休憩後、大岩の岩陰を通るのだが、ここも足場が悪い。足場までも石であるため階段が彫ってあったり歩きやすい部分もあるのだが、幅が狭かったり滑りやすい。安全のためのロープが張ってあり、それをつかみながらでないと進むのをためらうほどだ。子供連れの女性はロープで自分と子供をつなぎながら歩いていた。それほど危険度の高い道なのだ。


00摩尼01登り道04急な山登り02奥ノ院01


 立岩も目前になってくると、樹の隙間から景色が見える。ずいぶんと高いところに来たと実感させられる。景色が見えるのはいいが道のわきが崖のように垂直であるのは感動を上回る恐怖をかんじる。この辺りまでは道と思われる道を進んできたが、鷲ヶ峰目前はシダの群落が繁茂しており、道が隠れているような場所がひろがっていた。前の人を信じてついていくしかなく、何も考えずに進んでいく。再度開けた場に出た。鷲ヶ峰である。鷲ヶ峰に立岩という大きな岩があり、その脇に帝釈天の石像がある。像の付近は草が生い茂っていたが山頂からの景色を見ることができる、帝釈天の像の横に立ち同じ方向を見ると山々の間に町が見えた。
 鷲ヶ峰には「賽の河原」の別名があり、今回の目的である石積みをおこなう。「賽の河原」の原風景の再現のためである。賽の河原とは、死んだ子供が行くといわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原。ここで子供は父母を偲んで小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。 (出典:デジタル大辞泉)
 今回は伝承に従い、鬼と菩薩も登場した。参加していた子供には鬼よりも菩薩のほうが怖く見えたようだ。


00摩尼01登り道06立岩01地蔵041年 00摩尼01登り道06立岩03鬼05記念撮影02sam


感想
 私は伝承などの空想的な話に興味がある。今回のプロジェクトで「賽の河原」という伝承の再現をおこなったが、なかなか愉快な面が多かった。寝坊する先生、はしゃいで叱られる学生、鬼よりも菩薩を怖がる子供。楽しかったというと本来の目的と離れている気もするが、その雰囲気のおかげでわたしは参加者の方と気軽に話をすることができた。
 遺跡や植物、多くの疑問があるが、今回のプロジェクトに参加しなければ気づきもしなかっただろう。多くの知識を得たわけではないが初めて体験する何かに疑問を持てたことで今回のプロジェクトに参加した意義を見つけた。次の機会はいつになるかわからないが、今よりも知識を持っていると今回よりも意味のある、さらに楽しいトレッキングになると思う。(経営学部2年M.H)


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【連載情報】
大学HP
紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくりレポート
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181212/
LABLOG
ヒマラヤの魔女(8)~(10)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1947.html
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1954.html
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浜湯山センチメント
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ペルセポリスの夜(1)
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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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