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琴浦町倉長家の家相図調査

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海風に流されたドローン

 琴浦町の重要文化財「河本家住宅」の裏手にある倉長家で幕末の家相図がみつかり、11月13日(火)に町教委と会長が実見することになったんで、研究室メンバーも同席しないか、とのお誘いがありました。本来ならば、卒論で河本家家相図に取り組んでいる小次郎さんが調査すべき対象ですが、就職内定関係の所用とかで参加できず、先生・院生・わたしの3名が赤崎に赴きました。
 当初、①家相図の概要調査に加えて、②ドローンによる屋敷地の空撮、③主屋の間取り実測、④屋内外の写真撮影の4種を想定していました。到着後、学生班はまずドローン撮影を実行しようとしたのも束の間・・・この日は海風が強く、ドローンが風に流されて一時行方不明になってしまいました。幸い、スマホの画面を頼りにして見つけ出しましたが、100メートル以上風に流されたようです。実をいうと、 つい先日の摩尼山「賽の河原」トレック後の撮影では、鳥に狙われもしたのですが、それよりも肝を冷やす経験となってしまいました。高をくくっていたわけではありませんが、ドローンを扱うときは弱い風でも侮れないことを痛感しました。


01113琴浦02倉長家11家相図01年号01 01113琴浦02倉長家10家相図袋01


幕末家相図の方位観

 ドローン空撮がなくなったため、ただちに屋内での作業になりました。最も重要な仕事は家相図の撮影ですが、河本家と同様、家相図のサイズが大きいため(1215×1580mm)壁につるすことができず、今回もまた数十枚の写真を斜め方向から重ね撮りし、フォトスキャンでオルソ写真を合成することにしました。この重ね撮りは先生が担当し、会長さんはひとり黙々と関係文書の解読作業を進めていました。
 倉長家の家相図は慶応元年(1865)に瑞穂舎(川合清丸)という家相師によって制作されたものです。主屋の平面は広間型五間取りであり、現状と同じなので、主屋の建築年代は慶応元年以前であることが分かります。


倉長家04家相図02sam 倉長家03家相図01


 方位は広間のイロリ近くに中心点をおいて八角形を描き、一辺を3方位に分けているので、全周としてみれば24方位に区分されていることになります。この点、嘉永七年(1854)制作の河本家家相図と共通しますが、河本家ではイロリまわりの24方位はおもに屋内の施設配置を規定し、屋外(とくに屋敷地背面)は裏庭を基点とする八方位を基準としているのに対して、倉長家はイロリまわりの方位観が外構にまで及んでおり、この点が河本家と大きく異なるようです。


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間取りの実測と採寸

 その後、先生とザキオさんは平面図の実測に取り掛かりました。ザキオさんは表側から、先生は裏側から描かれ始めましたが、一時間後、先生が1/100平面図の全体を完成させたのに対して、ザキオさんは表側の2部屋を1/50で描いたにとどまりました。先生の作図完成後、3人で採寸し、会長さんは苦手の民家調書取りを受け持たれました。私も採寸の補助として入りましたが、民家調査が初めてなので、用語を聞いても測るべき箇所を判断できなかったり、ミリ単位で寸法を知らせるのに手間取ったり(センチからミリへの変換は簡単なものの、感 覚が身についてない)、慣れていれば簡単なことができなかったの で、単純な作業とはいえ大変でした。
 なお、倉長家では昭和40年代に大改装がおこなわれており、建具・天井などはほとんど新しくなっています。しかし、柱や差鴨居など黒光りした古材を残しており、その摩耗度などからみて建築年代は家相図の慶応元年よりは古いであろうと教授は見立ててておられました。


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 平面図の作成が終わると次は屋内外の写真を撮りました。さらに新蔵の棟札も撮影しました。文化11年(1814)の棟札です。つまり、文化11年に新しい蔵を建てたということで、その蔵はいまは土蔵と呼ばれています。ここでわたしは初めて翻刻という作業をしました。棟札に書かれた文字を写し取るのですが、かすれていたり解読できない文字もあったので、書かれている内容全てを知るには至りませんでした。教授によれば、新蔵の建築年代である文化11年を主屋と一体としてとらえるのも不自然ではないと考えられるそうです。倉長家の主屋は200年以上の歴史がある可能性を暗示する史料と言えるかもしれません。
 今回は約3時間の調査でした。専門的な技術や知識が身についていない私は写真撮影や採寸補助に入るなど、簡単な作業が主となりましたが、他の活動を見て勉強する良い機会になりました。また、倉長家に向かう車中では卒論の話題も出てき て、技術や知識を身に着けなければと気が引き締まる思いにもなった一日でした。(Task)


倉長家06棟札01 倉長家07棟札02


メダカづく日々

 調査終了後、会長さんに「お茶でも」と誘ってみたのですが、「用事がある」とのことで、そっけなく倉吉に帰っていかれました。わたしたちもまた倉吉河原町のビニールハウスをめざしました。マッド・アマノさんと雑談するためです。ビニールハウスには小学生がいて、仕事しているような遊んでいるような・・・そこでメダカを発見したわたしたちは30尾ばかり仕入れることを決めました。ボウル付・水草付で200円という格安であり、聡明な小学六年生1名がまたたくまに商品?を整えてくれました。その後、かまどやで打ち上げ。一晩車中ですごしたメダカは翌日、修復スタジオの金魚水槽に移され、さらに4階の演習室に引っ越してきました。いまや教員・学生を癒すアイドルとなっています。まもなく水槽とメダカが追加される予定です。エアーポンプはつけていません。この水草が酸素を供給し、アンモニアの毒素を解毒してくれるようです。
 年末年始のえさやりをどうするかが喫緊の課題ですが、「バイトのシフトばっかり主張せずに、メダカのシフトもちゃんとこなせ」との指示がでております。


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【関係サイト】
2018卒業論文中間報告(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1919.html
河本家住宅家相図の研究
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1864.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1865.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1868.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1867.html
(5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1998.html
琴浦町倉長家の家相図調査
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1957.html
フォトスキャンを活用した文化遺産の分析(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2011.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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