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能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(2)

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第二部 能海寛の思想

 第一部が終わり、ティーブレイクを挟んで、いよいよ能海の思想に踏み込む第二部に入りました。ASALABの演題は「能海寛を読む-世界に於ける仏教徒-」 です。まず私が能海の主著『世界に於ける仏教徒』の概要を説明し、教授が批評していく流れでした。パワポは著書の概説なので短いものですが、内容をしっかり理解していなければまとめられないので、パワポづくりには結構苦戦してしまい、発表の直前ぎりぎりまで先生と調整していました。しかし、そのおかげで自分でも納得するものができたと思います。


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 教授は『世界に於ける仏教徒』の中に出てくる思想の核心部分や過激な文章を抜粋し、一つひとつ批評していきました。今までの研究会等で、能海の著書が俎上にのってこのレベルまで批評の対象になることはおそらくなかったでしょう。能海研究会のメンバーをはじめ聴衆の反応が気になるところですが、私の概説だけでは伝えきれない深い部分や、『世界に於ける仏教徒』にどのような表現で能海の思想が表現されているかを鮮明に伝えられたと思います。


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 最後に今までの発表の内容をふまえ、今枝先生に講評をしていただきました。今枝先生は能海を、早熟で、能力も高く、最新の情報に敏感であるという点において評価する一方で、『世界に於ける仏教徒』をそのまま口語訳して公刊するとなると、現代と明治時代とでは倫理感覚が異なるため、難しいであろうとおっしゃいました。ただ、能海は「未完の人」であり、現代の私たちが、能海の主張した「旧仏教を新仏教に改革する」という意思を継ぐことが大切だと結ばれました。


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 7月8日に島根県浜田市で開催された能海記念シンポジウムに参加しましたが、そのときは能海は偉人だという前提で議論が続けられ、その内容を聞くだけで終わってしまいました。しかし今回は、4月から取り組んできた『世界に於ける仏教徒』の口語訳の成果を初めて発表し、能海の思想の危うさについても伝えることができたと思います。そして今回のシンポジウムは今後卒論を仕上げていくにあたってとても刺激になりました。このシンポジウムで得た能海の評価すべき部分と、そうでない部分について、さらに考察していきながら、卒論に大いに役立てたいと思いました。(あやかめ)


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↑能海研究会のメンバーから「ふつう本の批評をするなら七割は誉め、三割貶すものなので違和感がある」とのコメントを頂戴しました。七割誉めるどころか、口語訳を公刊すること自体不可能な内容だというのが当方の読後感であり、今枝先生も同じ意見をおもちであることを質疑で確認しました。



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教師補遺-尊王攘夷の申し子

 閉会後、『世界に於ける仏教徒』の輪読と口語訳に取り組む能海研究会のメンバーから「一方的な批判では?」というご指摘をうける一方で、他の女性会員からは「これまで思っていたことを代弁してもらえてすっきりした」というコメントもいただいた。わたし(教師)は強い口調で能海のテキストを批評したが、それは「一方的」な批判では決してない。数多くのスライドで能海自身が著した原文と口語訳をみせながら-つまり明確に証拠を示しながら-批評する手法を貫いたわけで、一種の現象学だと思っている。
 なにより能海の言葉の塊はキリスト教など他者に対する批判が度をこえており、また、歴史学や宗教学に対する理解も浅薄なものであるからこそ、それに対する批評も相応のものとなるのである。
 わたしが講演で言いたかったことは以下の3点である。

 1)宗教に優劣はない。能海のように、一つの宗教が他を圧して優れていることを強調しすぎると、戦争やテロを招く。戦争と宗教は表裏一体のものである。ヤスパースが説くように、互いを容認しあう以外、宗教に未来はない。
 2)『世界に於ける仏教徒』のなかで最も興味深く読んだのは、能海の本文ではなく、大内青巒の序であった。短文ながら比喩と示唆に富んでおり、能海をいっさい評価しないばかりか、本書の内容に一言も触れていない。大内は『世界に於ける仏教徒』の内容に不満があり、仏教徒としてもっと重要なことがあると能海に諭している点、たいへん共感できる。
 3)能海の主張は明治維新の原動力であった「尊王攘夷」の思想と重なり合う。能海の兄弟子たる大内や井上円了が組織した「尊皇奉仏大同団」は、文字通り、尊王思想による仏教政治団体だが、思想そのものに矛盾を露呈している。王政復古によって古代の天皇制・律令制が復活し、神道が国家の正教となり、仏教は邪教においやられて弾圧され、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる。しかし、尊皇奉仏大同団系の仏教徒は自らの宗教を苦境においこんでいる尊王思想に与し、神道に楯突こうともせず、その矛先をキリスト教にむけて集中的に攻撃している。能海らの宗教家グループは明治維新前後の時代、尊王攘夷の時代の申し子というほかないのである。


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 さて、今回のシンポジウムの記事が12月7日の山陰中央新報に掲載された(↓)。記事では、わたしが能海懐疑派、今枝先生が能海擁護派となっているが、基本的に二人の評価は同じである。


20181207山陰中央新報 鳥取・中海(地域24面)



【連載情報】

環境大学HP TUESレポート
・【明治150年】能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181217/

LABLOG 2G連載
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1955.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1958.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(3)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1961.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(4)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1962.html

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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