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ヒマラヤの魔女(10)

00摩尼01登り道06立岩02塔づくり1年01 00摩尼01登り道06立岩02塔づくり4年02記念撮影


摩尼山「賽の河原」石積み塔づくり 感想文之参

摩尼山とは
 摩尼山は鳥取砂丘に近接しており、県中西部の大山、三徳山とならぶ天台宗の霊山として信仰されてきた。中腹の境内地は仁王門・本堂などの歴史的建造物が立ち並んでいる。周辺には原生林が広がり、平成28年10月3日に登録記念物となった。(参考 摩尼山 国登録記念物登録記念リーフレット)


00摩尼01登り道06立岩03鬼01 00摩尼01登り道06立岩02塔づくり10子ども02


体験レポート
 当日は晴天で登山道も比較的歩きやすく、山肌も赤や黄に色づいていた。摩尼山の登山道は人ひとりが何とか通れるような場所も多く、非常に滑りやすい岩場もあり、誰もが気軽に来れるような場所ではないな、と感じた。トレックの途中で、門の跡や昔の金銭(寛永通宝)が見つかり、当時の時代や様子を想像できた。摩尼寺は最澄の弟子である円仁が建てたとされているが、江戸時代の伝承なので起源は不詳。15世紀以降の「奥の院」に境内があったのは確実だから、江戸時代に流通した寛永通宝が摩尼山で見つかったのも納得がいく。


00松原01寛永通宝


 一時間半ほど歩き立岩、賽の河原に到着した。『西院(さい)の河原和賛』には、「早くに亡くなった子が親との別れを悲しんで石を積み、塔をつくった。だが、そこに鬼が現れ子どもが作った石の塔を崩してしまう。鬼は、再び積み上げるように言った。すると、地蔵菩薩が現れ子供たちを鬼から救い、あの世へ連れて行った」という記述がある。この記述に基づき、賽の河原で参加者が四つのグループに分かれ供養塔(ケルン)をつくり、一度壊して再びつくりあげた。     
 このケルンは伯耆大山の河原でも確認できる。伯耆でも亡くなった子の供養塔としてつくられていた。大山も摩尼山と同じように信仰の対象であり、多くの僧侶が修行の場としていた。そのため山の河原を賽の河原と見立てた仏教の考えが根付いているのであろう。鳥取県以外の霊峰にも同じようなものがあるのか気になった。(環境学部2年M.J)


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↑↓4年生
00摩尼03弁当4年

00摩尼01登り道05奥ノ院04岩窟01


1.摩尼山について
 今回私たちが訪れたのは、鳥取県東部に位置する「摩尼山」である。鳥取砂丘に近接した位置にあり、標高357m、中腹の境内には仁王門・本堂等の歴史的建造物が軒を連ね、山頂に近い〈奥の院〉〈鷲が峰〉は巨巌・岩窟がそびえている。また〈立岩〉からの眺望もみごとであり、くわえて山内には百体以上の石仏群が点在し、落葉広葉樹と照葉樹からなる原生林が広がっている。このような意義深い名勝地としての観点から平成28年の10月に国登録記念物(名勝地関係)になった。


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 また摩尼寺〈奥の院〉遺跡は、〈立岩〉のたつ鷲が峰から少し下ったところにある古い寺院境内の遺跡である。近辺の地表面には建造物の礎石とみられる平たい石が多く露出している。他にも巨巌の上段には五輪塔を安置する小さな岩窟を掘削しており、上段と下段をつなぐ石の階段の遺構も見つかっている。平成12年の発掘調査では多くの碁盤目状に並ぶ礎石や礎石の抜取穴が発見され、このことから岩窟・岩陰と複合した懸造の仏堂が2棟並立していたことが判明している。遺跡の発掘調査から平安期に遡る掘立柱の柱穴も見つかっており、この建造技法は同じ県下にある三徳山三仏寺投入堂と近似している。三徳山もまた摩尼山と同じく天台宗の拠点的な霊山として信仰を集めてきたため、この近似した部分も偶然とは考えにくい。この遺跡の下層からは10世紀中後期の土器がわずかながら出土しており、上層出土土器の30~40%は平安~鎌倉期のものであることもわかっている。全国的にみても〈奥の院〉の発掘調査がおこなわれることは例外的であるらしく、この調査が平安密教山林寺院の研究に大きく貢献するものであると期待している。


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 摩尼山にとって最も重要な信仰対象は、本尊〈帝釈天〉が降臨した鷲ヶ峰の立岩である。高さ12m以上にもなるこの巨岩の上部には鎖の一部が残っており、行場(修験道の修行道場)として使われた時期もあったと推測される。立岩の正面には平場が形成されている。ここは〈賽の河原〉であり、摩尼山では〈西院の河原〉とも呼ばれている。幼くして死んでしまった子らが父母の供養のため石を積んで塔をつくる三途の河原である。ここは天国にも地獄にも行けない子らがたむろする場であり、そこにはしばしば賽の神が祀られている。賽の河原の賽は〈賽の神〉の賽でありこの世とあの世の境を意味している。民間信仰の面からみると、そこは道祖神の祭場ということになる。


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2.摩尼山トレッキングの感想
 行程表を見たときは、道のりは険しそうだがあまり難しいことはないように思えた。しかし、実際に当日登ってみると常に周りに気を配り、危険な事態に陥らないよう注意深く進んでいく必要があった。これは確かに修行道であると納得のいく道のりであった。私も中学生の頃に三徳山に登ったことがあるが、さすがに険しさなどの点では三徳山の方が上であったと感じた。登頂までにかかった時間は大したことはなかったが、想像以上に道が険しかったこと、登頂後に供養塔をつくるため道中で拾った大小様々な石が片手をふさいでいたことが今回のトレッキングの道のりのなかでの不安要素だった。
 奥の院遺跡の巨巌では、〈寛永通宝〉の古銭を発見し、遺跡が時をかけ現代まで存在しているということを感じさせた。奥の院遺跡の巨巌から山頂まではそれまでよりもさらに道が険しくなっており、昔の修行僧の修行の厳しさを目の当たりにした。
 山頂の平場では、参加者がいくつかのグループに分かれ供養塔をつくりそれを鬼が壊すという、伝承に則った体験をした。石を高く積み上げることは難しく、賽の河原にいた子らは地蔵菩薩が来るまでの間、ひたすら作っては壊されを繰り返していたと思うと、ただひたすら父母の供養という一念のために、おこなってきたのだと感じられた。
 下山するときは行きとは別の道を行った。これは対して問題はなかったが、道中のそばにあった樹の樹皮がはがれていることが野生動物の存在をひしひしと伝えてきた。
 摩尼寺の本堂に参拝した際は、災害の影響を受けてなお寺社仏閣特有の静かで凛とした雰囲気が失われていないことに驚いた。(経営学部2年W.R)


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【連載情報】
大学HP
紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくりレポート
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181212/
LABLOG
ヒマラヤの魔女(8)~(10)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1947.html
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1954.html
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1960.html
浜湯山センチメント
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ペルセポリスの夜(1)
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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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