能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(3)

学生の感想文(1)-2年生
能海寛生誕150周年国際シンポジウムには、プロジェクト研究2&4「ヒマラヤの魔女」班の1・2年生15名が出席しました(1名欠席)。第2部「能海寛の思想」は必修聴講として百点満点で採点、第1部「能海寛の風景」は自由聴講として加点制度を適用しました。大半の学生は能海の排他的で過激な発言に否定的であり、「宗教に優劣はない」というヤスパース的理解を支持しています。以下、そうした一般解以上の感想を記した優秀作を選抜してお届けします。なお、誤字等の部分については教師が訂正しています。今宵は2年生の感想文から。
東西の宗教離れをさぐる
能海寛は排他的な考えが強く、キリスト教を敵対視する傾向が目立っているのに対し、仏教徒への期待は大きなものであった。能海の発言の中で「キリスト教の衰退」とあったが、それが真実なのか気になって調べてみた。
「キリスト教社会」の欧米で信徒が減少、影響広がる
(2015年キリスト教世界、教会十大ニュースから)
最近のニュースではあるが、信徒の減少に関する記事や論文は数多くある。なかでもカトリック国圏内での信徒の高齢化や若者の教会離れは深刻な問題のようだ。
近年公になったオランダのカトリック教会の未成年者へ性的虐待という問題がある。1945年から2010年までに「数万人の未成年者」が神父・修道士ら教会関係者から性的虐待を受けていたとする報告書を同国の独立調査委員会が発表した。1950年代から2000年代までをガーディアン紙(英)は「キリスト教の旗色がこれほど悪くなったことはない」と述べており、「司祭と長老にとって1950年から2000年は最悪の50年だった」とまとめている。また、科学の発達に伴って人間の知性が最高度に啓発された結果、現代人はすべての事物に対して科学的な認識を必要とするようになり、旧態依然たる宗教の教理には、科学的な解明が全面的に欠如していると感じる人びとが増え、宗教離れにつながったといえる。
ただ、これは海外のキリスト教だけでなく、ほかの宗教にも当てはまる。日本でも少子高齢化、後継者不足などのため、現在約7万7000ある寺院のうち、25年以内に約4割にあたる2万7000ヶ所の寺院が閉鎖されると予想されている。これは日本仏教の深刻な問題である。
能海は「日本仏教が世界のリーダーになるべき」とも主張していたが、どうやら日本仏教の衰退も深刻らしい。なお、排他的な考えをもつ能海寛に対し、その兄弟子にあたる大内青巒は対照的な考えを『世界に於ける仏教徒』の序で語っている。(略)
私は宗教に優劣を求めることに否定的な意見をもっている。現在、完璧な宗教というものが存在せず、宗教の優劣を測る物差しは存在しない。また、宗教とはそれぞれの考えに従ってできたものであり、信者にとってはそれが真理なのだろう。それを他人が、ましてや他宗教の人間が評価することはできないだろう。であるならば、仏教家の能海の意見をたいして仏教の知識を持たない私が否定するのも無理な話である。大内青巒が能海寛を明確に否定しなかったのも複雑な理由があるのかもしれない。(経営学部2年M.H)

マインドフルネスとヒッピー文化
能海寛は主著『世界における仏教徒』で「欧米の知識人たちは仏教を高く評価している。欧米でキリスト教が衰退している今、キリスト教よりも優れる仏教が世界統一宗教となる」と述べた。それを現代的視点で見ると、思想としての危うさがあり、客観的に正しさが疑われる部分もある。まず、気になったのは「仏教は知識人の間に広まっているので優れており、世界統一宗教となる」という部分だ。残念ながら現在、仏教は世界統一宗教になっていないが、(略)欧米のビジネスパーソンの間でマインドフルネスがブームになったり、数十年前には、ヒッピー文化の大流行で東洋思想が見直されたりと、能海さんが生きていた頃よりは、欧米で仏教が評価されているのではないかと思った。また、仏教は他の世界的宗教より穏やかで、排斥などがないイメージをもっていたが、やはり、少しはあったのだと分かった。宗教相互の争いは現在でも問題になっているし、「私たち」という明確な共同体ができた時の人間の必然なのだろうかと考えた。(経営学部2年I.K)

他の宗教や宗派との調和によって得られる平和
能海寛はキリスト教を批判し仏教の方が優れていると説いていた。「キリスト教は政治・政略のために作られた」、「キリスト教は戦争を起こす種となっている」などと言う表現からキリスト教への強い偏見がみとめられる。戦争が起こるのは宗教・人種などに対して優越感を抱いてしまい、意見や考えの食い違いによって起きてしまうため、能海さんのもつ偏見も戦争の種になるといえる。
また、民衆文化を否定し、無識者・婦女子(学のない者や女子供)に対する差別的表現も見られた。キリスト教は廃れてきていると考え、新仏教が世界に広まり世界の宗教が新仏教によって統一されるべきだと述べている。(略)私はこの講演を聴き、能海さんは、仏教を敬い大切に思うあまり他の宗教や独自に変化した仏教の他宗派を受け入れる心をもてず、偏見を抱いてしまったのだと感じた。偏見をもつがゆえに広い心で宗教にかかわることができなくなってしまったのかと考えられる。たしかに、日本の仏教はチベット仏教や古代インドの仏教のように苦行を伴うわけではない。しかし、他の宗教や宗派との調和によって得られる平和や考えもあるのではないかと感じる。(経営学部2年M.S)
多才がゆえの悲劇
私は能海が多才であるとともに、日本のみならず世界にも目を向け、自身の考えを著作に書き綴っていると感じた。キリスト教に対する考えや仏教に対する意見は、批判的かつ鋭いものである。旧仏教を極端に破壊し、キリスト教を否定し、キリスト教信者への差別的な文言等、過激さが垣間見えた。また、能海が宗教大革新により、未来の予想についても述べるほど先見の明をもっているかのようだが、現代を生きている私たちからみれば、その予想が大外れであったのは誰の目から見ても明白であろう。
『世界に於ける仏教徒』の後半では、過激さがやや鳴りを潜め、内容も抑えられてはいる。しかし、仏教が優れているという能海の主張は変わらず、仏教を「宗教学上の王」であるとまで断言している。これについて私は、自身の信仰する宗教への信心については理解できるが、優劣を競うものではなく、各々が信じるものを信じるだけではないかと考える。26歳という若さでこの著書を執筆し、著書の中で構想を築きあげ、それを形にするために奔走した事実に驚くとともに、志半ばにして人生が終わってしまった彼に対して、残念な感情を覚えた。(経営学部2年W.R)

【連載情報】
環境大学HP TUESレポート
・【明治150年】能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181217/
LABLOG 2G連載
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1955.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1958.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(3)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1961.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(4)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1962.html