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能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(4)

1201能海02学生感想文10


学生の感想文(2)-1年生

 今夜は一年生の感想文です。

仏教本来の在り方を示唆する大内青巒の序文
 能海寛は、明治元年(1868)に島根県浜田市の浄蓮寺に生まれた。当時の仏教界には、廃仏毀釈政策やキリスト教の侵入などさまざまな課題があった。それと同時に「入蔵熱」の時代でもあり、明治から昭和戦前にかけて10人の日本人がチベット入りした。能海寛はその10人のうちの一人である。能海は、インドで失われた経典の忠実な翻訳と推定されるチベット大蔵経を日本に持ち帰るため、チベットにむかった。その探検中も能海寛は、仏典研究や地誌記録を継続している。地誌記録の大きな特徴として、当時の風景などのスケッチが挙げられる。三峡の絵や当時の西北・西南中国の風物を描写した観察記録は、後の民族学研究にとって貴重な先駆的資料になっている。また、能海寛の行方については、諸説あり現在も明確にはなっていない。一説によると雲南省阿東の「屏風岩」が能海終焉の地とされているが、それよりも手前の金沙江を越えることはできなかったという推察もあり、いずれにしても能海の行方は定かではない。能海寛がチベット大蔵経を日本に持ち帰ることは叶わなかったが、道中で盗難などの苦難に遭いながらも、研究や記録を続ける能海寛の向上心や記録をまとめる力を見習いたいと思った。
 能海寛の著作『世界に於ける仏教徒』(1893)には「宇内一統宗教」に関する壮大な構想が示されている。一方、ほとんどの章においてキリスト教に対して異常なほど批判を繰り返している。また、事実と能海寛の考えの間には矛盾がある。まず、明治相当期(19世紀後期)の欧米が本当に宗教大変動の時代であった具体的な証拠が記されていない。その他、偏見にも似たキリスト教批判が数多く記されており、最終的に仏教はキリスト教より優れているという結論を下している。これらの能海の考え方は、仏教徒らしい寛容さが欠けており、宇内一統宗教(世界統一宗教)としての新仏教を強調するあまりに争いの火種になる危険性がある。これに対して大内青巒は「世界に於ける仏教徒」であろうとする能海寛とは対照的に、「個人の生活世界に眼を見開け、聞き耳を立てよ」と訓じて、国にあっては国の因縁にふさわしい願行があるべきだと主張している。私は、能海寛より大内青巒の考え方の方が平和的であり、仏教本来の在り方であるように感じた。(環境学部1年S.M)


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俗化した日本の仏教
 まず、能海寛がとてもキリスト教を批判していて驚きました。キリスト教は「科学に反対し、文明の害となって、進歩を妨げてきた」とか「哲学以下である」と述べていて、キリスト教を全面的に認めていないのだと感じました。また、批評を聞いていて、日本の仏教徒や僧侶は世界的に見て堕落しており、全く修行に熱心ではなく、仏教における世界のリーダーにはなり得ないという話にも納得しました。たしかに日本の僧や信者は仕事としてやるべきことをこなしているだけであり、戒律を守った修行生活を送っていないのだと改めて思いました。加えて、「仏教とキリスト教の優劣を決めるべきではない」という意見に私も賛成します。やはり、宗教は戦争の種であり、原因となり得るので、優劣を決めてはいけないと思います。それぞれに信じるものがあって、一概に何が良いかを断じることはできないと感じました。(経営学部1年S.A)




反転した能海のイメージ
 能海寛はインドで失われた仏典の忠実な写本を手に入れるために、3度にわたりチベット入りをめざした。しかし、当時のチベットは鎖国中で、なかなか思うようにいかなかった。3度目の旅(雲南ルート)の途中で殺害されたと言われている。この旅の中で、能海は西南中国の民族と社会を注意深く観察し、記録に残している。これは現在、私たちが当時の西南中国の様子を知るための重要な資料となっている。
 「護照」(パスポート)と「博碑」(通行許可証)を持っていた能海は身分が証明されており、さらに本願寺からダライ・ラマ13世への親書を預けられるほどの人物だったにも拘わらず、チベットから経典の写本を持ち帰ることが叶わなかった。当時の中国・チベットの軍事情勢の緊張をうかがえる。
 写本を日本に持ち帰ることができず、彼の旅は志半ばで途切れている。一説によると殺害されたと言われているが、その真相は分からないままである。古代日本に伝わった漢訳経典は、何度も写し直され、翻訳されることによって省略され、原本とはかけ離れた内容になってしまっているところも少なくない。加えて、経典の内容をきちんと理解している僧侶も少ないのだという。この状況に危機感を覚えた能海はチベットへ向かう決意をした。
 第一部の風景論を聴いて思い浮かべた能海の人物像は「賢く・決断力のある人物」であった。旅先で見たものを事細かに書き残していることから、能海の探求心や観察眼、教養の深さがうかがえるし、寺の跡継ぎであったにも拘わらず、仏教を広めるためには普通の人と同じような教育も受けなければならないと気付くことのできる、柔軟な思考を持っていたからである。さらに能海からは、自分の思考・行動に対する絶対的な自信も感じられる。そうでなければ、3度もチベットへの旅に挑むことはなかっただろう。


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 『世界に於ける仏教徒』では旧仏教を批判し、新仏教の必要性を説いている。仏教こそが最高の宗教に一番近い存在であるとしているが、それは他宗教を見下し、宗教に優劣をつけようとするものである。河口慧海はチベット仏教を評価しながらチベット人を「蛮族」と差別しているし、能海はキリスト教に対して攻撃的である。他の仏教国(の僧たち)は日本の旧仏教よりも腐敗している、とまで述べ、とても自己中心的な考え方(日本の仏教が最も優れているという考え方)をしている。能海がなぜかキリスト教ばかり批判していることに違和感を覚えた。第2部を聴き、第1部で思い浮かべていた能海のイメージが変わった。
 『世界に於ける仏教徒』から、能海の仏教への妄信ぶりがうかがえる。僧が仏教を信じていることは不自然ではないが、能海の主張は異常である。ヨーロッパ諸国は仏教を求めているとしているが、実際はそれほどでもなかったらしいし、他宗教や他国の僧を見下し批判している。宗教に優劣をつけようとすることは、僧としてしてはいけないことである。仏教を信仰している自分に誇りをもつのは良いことなのだろうが、他の宗教・宗派に攻撃的になってしまえば仏教を汚すことにもつながるのではないか。自分に酔っているような印象を受けた。
 大内青巒が序で能海の考えをやんわりと批判している。能海は仏教を妄信し、自分に自信を持つあまり、視野が狭まってしまっている。世界にばかり目を向けて、自分自身を見つめていない。そんな彼に危うさを覚えたのではないだろうか。(環境学部1年S.E)


【連載情報】

環境大学HP TUESレポート
・【明治150年】能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181217/

LABLOG 2G連載
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1955.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1958.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(3)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1961.html
・能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告(4)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1962.html

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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