能海寛を読む(3)
5.旧仏教批判-葬式仏教論
能海寛は明治期に「旧仏教」を批判し、「新仏教」を構想した。以下のように述べている。【第二章(原文)12頁】
私は「世界に於ける仏教徒」(世界宗教としての仏教徒)であるという覚悟、
そしてその事業について論じようと思います。新仏教徒が旧仏教徒に対して、
不徳を責めて悪癖を改めることは、今日キリスト教徒が旧仏教徒に対して
攻撃することよりもむしろ厳重なことです。
たしかに旧仏教についても舌鋒鋭く批判している。【第六章「道徳上の仏教」(原文)36-37頁】
新仏教の今日の興起は、いたずらに空理空論上に現れたものではありません。
理論上においては哲学の面で勝利を得て、実際においても歴史上最強の仏教
であるとはいえ、未だ新仏教徒の本色(本質的な特色)が成立しているわけ
ではありません。いかに歴史上においては最上無比の仏教であったとしても、
いたずらに過去の経歴に留まっていては、空論と同じです。(略)
旧仏教はただ外形と虚偽に陥って自ら実際に行動することを欠いています。
これが旧仏教徒である所以であり、仏教が不振の理由はここに起因して
います。[下線・太字は筆者]
下線・太字の部分はひとまずおくとして、最後の3行については、常識的な範囲の批判にとどまっているが、第九章「仏教国の探検」【原文54-56頁】では、以下のように過激な発言も飛び出す。
今日の僧侶は交通が自由である上に、欧米の人たちが求めてやまない仏教
の布教に尽力しないで、ただ宗派内の争いに汲々として、宗派の紛争・議論が
起きたり、権力闘争や出世争いが起きたりしています。些細なことにあくせくし、
虚偽的で野蛮で、無神経・無気力な事がらにむなしく時間を費やしています。
あぁ、世も末ですね。かれら旧仏教の腐敗した脳髄を撃破し、真正なブッダ
の光明を発揮する新仏教徒が生まれなければ、この宗教界の乱世をどのように
したらよいのでしょう。[下線・太字は筆者]
「欧米の人たちが求めてやまない仏教」という表現(太字)にも問題があるけれども、最も過激なところは、下線を引いた「旧仏教の腐敗した脳髄を撃破」という部分である。やはり昭和戦後における左翼運動活動家の煽動と似た匂いがする。旧仏教をずばり「葬式仏教」だと切って捨てる批判もしている。【第二章(原文)14頁】
仏教とはただ寺院・僧侶・経巻であって、僧の仕事は葬儀の取り扱い、そうで
なければ墓地の番人のようなものだとみなされているではありませんか。僧侶
自身もまた品行が収まらず、識徳なく檀家の布施を貪って、人びとを教え導くと
いう本職を忘れる者が多く、一所懸命になるのは葬式、年忌、灌頂、祈祷、御札
書きなどの枝葉末節にとらわれ、僧侶自身の位置がどこにあるのか知る者は少
ないのです。このような旧仏教はもとより日本だけのことではありません。
この点は基本的に賛同したい。かつて新幹線にビュッフェがあったころ、作務衣を着た僧侶の一群が入ってきて、メニューのなかでいちばん高価なサーロインステーキを食べ、ワインを飲み、食後はたばこを吹かしている光景にでくわした。また、法要の直会で、一升瓶を抱え込んで離さず周囲に酒を強要する住職もいたし、客人を庫裏に呼びつけて宴会を催しては酩酊し若いころの自慢話を吹聴する住職もいた。すべての僧侶がこうだと言うつもりは決してないけれども、肉を食らい大酒を飲んでくだを巻く輩を仏教者として尊敬せよ、と言われても無理な話である。ただし、それは日本国内の状況であって、渡航経験のない外国の状況にまで踏み込む必要はなかった。「日本だけのことではありません」という最後の一行は余計であり、勇み足となって以下の発言につながる。【原文14‐15頁】
朝鮮、中国、みなそうです。タイ、インドなどの仏教徒も甚だ精神に乏しく、
とくにインド、ミャンマー、ベトナムのようにイギリスに征服されたりフランス
に占領されたりと、悲惨の境地に沈められたところもあります。しかしながら、
これら仏教徒の活力を鼓舞し、各仏教徒が同盟を結んでいって宗教革命の
大業を成就し、国内では仏教の総体内部の大改善を実行し、ブッダの聖地
ブッタガヤを回復させ、世界の仏教徒を一堂の元に集めて、仏教万歳を唱える
重大な責任をもつ者は、日本の仏教徒以外にありません。[下線筆者]
能海寛は明治期に「旧仏教」を批判し、「新仏教」を構想した。以下のように述べている。【第二章(原文)12頁】
私は「世界に於ける仏教徒」(世界宗教としての仏教徒)であるという覚悟、
そしてその事業について論じようと思います。新仏教徒が旧仏教徒に対して、
不徳を責めて悪癖を改めることは、今日キリスト教徒が旧仏教徒に対して
攻撃することよりもむしろ厳重なことです。
たしかに旧仏教についても舌鋒鋭く批判している。【第六章「道徳上の仏教」(原文)36-37頁】
新仏教の今日の興起は、いたずらに空理空論上に現れたものではありません。
理論上においては哲学の面で勝利を得て、実際においても歴史上最強の仏教
であるとはいえ、未だ新仏教徒の本色(本質的な特色)が成立しているわけ
ではありません。いかに歴史上においては最上無比の仏教であったとしても、
いたずらに過去の経歴に留まっていては、空論と同じです。(略)
旧仏教はただ外形と虚偽に陥って自ら実際に行動することを欠いています。
これが旧仏教徒である所以であり、仏教が不振の理由はここに起因して
います。[下線・太字は筆者]
下線・太字の部分はひとまずおくとして、最後の3行については、常識的な範囲の批判にとどまっているが、第九章「仏教国の探検」【原文54-56頁】では、以下のように過激な発言も飛び出す。
今日の僧侶は交通が自由である上に、欧米の人たちが求めてやまない仏教
の布教に尽力しないで、ただ宗派内の争いに汲々として、宗派の紛争・議論が
起きたり、権力闘争や出世争いが起きたりしています。些細なことにあくせくし、
虚偽的で野蛮で、無神経・無気力な事がらにむなしく時間を費やしています。
あぁ、世も末ですね。かれら旧仏教の腐敗した脳髄を撃破し、真正なブッダ
の光明を発揮する新仏教徒が生まれなければ、この宗教界の乱世をどのように
したらよいのでしょう。[下線・太字は筆者]
「欧米の人たちが求めてやまない仏教」という表現(太字)にも問題があるけれども、最も過激なところは、下線を引いた「旧仏教の腐敗した脳髄を撃破」という部分である。やはり昭和戦後における左翼運動活動家の煽動と似た匂いがする。旧仏教をずばり「葬式仏教」だと切って捨てる批判もしている。【第二章(原文)14頁】
仏教とはただ寺院・僧侶・経巻であって、僧の仕事は葬儀の取り扱い、そうで
なければ墓地の番人のようなものだとみなされているではありませんか。僧侶
自身もまた品行が収まらず、識徳なく檀家の布施を貪って、人びとを教え導くと
いう本職を忘れる者が多く、一所懸命になるのは葬式、年忌、灌頂、祈祷、御札
書きなどの枝葉末節にとらわれ、僧侶自身の位置がどこにあるのか知る者は少
ないのです。このような旧仏教はもとより日本だけのことではありません。
この点は基本的に賛同したい。かつて新幹線にビュッフェがあったころ、作務衣を着た僧侶の一群が入ってきて、メニューのなかでいちばん高価なサーロインステーキを食べ、ワインを飲み、食後はたばこを吹かしている光景にでくわした。また、法要の直会で、一升瓶を抱え込んで離さず周囲に酒を強要する住職もいたし、客人を庫裏に呼びつけて宴会を催しては酩酊し若いころの自慢話を吹聴する住職もいた。すべての僧侶がこうだと言うつもりは決してないけれども、肉を食らい大酒を飲んでくだを巻く輩を仏教者として尊敬せよ、と言われても無理な話である。ただし、それは日本国内の状況であって、渡航経験のない外国の状況にまで踏み込む必要はなかった。「日本だけのことではありません」という最後の一行は余計であり、勇み足となって以下の発言につながる。【原文14‐15頁】
朝鮮、中国、みなそうです。タイ、インドなどの仏教徒も甚だ精神に乏しく、
とくにインド、ミャンマー、ベトナムのようにイギリスに征服されたりフランス
に占領されたりと、悲惨の境地に沈められたところもあります。しかしながら、
これら仏教徒の活力を鼓舞し、各仏教徒が同盟を結んでいって宗教革命の
大業を成就し、国内では仏教の総体内部の大改善を実行し、ブッダの聖地
ブッタガヤを回復させ、世界の仏教徒を一堂の元に集めて、仏教万歳を唱える
重大な責任をもつ者は、日本の仏教徒以外にありません。[下線筆者]
何を根拠に、能海は不案内な外国の仏教を批判しているのであろうか。ブータン・チベットだけでなく、上座部のラオスやミャンマーなどの国々では、仏教徒は僧院で戒律を守りながら集団生活を送り、毎朝早起きし托鉢をしている。日本のように、妻帯し、肉食し、酒を呑むのが当たり前とされる仏教国などどこにも存在しない。アジアのなかで日本の仏教ほど俗化しているところはない。東南アジアの上座部仏教やチベット・ブータンの大乗仏教からみれば、日本仏教は「仏教ではない」という評価さえあるわけで、日本の仏教徒が世界仏教のリーダーになれるはずはない。ダライ・ラマのように博識で多言語を操り、魅力的な仏教の解説ができる修行者はついに近代日本の仏教界にはあらわれなかった。
6.新仏教の曖昧さ
かくして旧仏教に痛烈な批判を加える能海ではあるが、肝心の新仏教については、本書を通読しても、いかにあるべきか、未だ暗中模索の段階にあったように思われる。上に引用した第六章「道徳上の仏教(戒律論)」【原文36-37頁】において、「未だ新仏教徒の本色が成立しているわけではありません」と吐露しているところからも、それは明らかであろう。一体どうすれば旧仏教徒から新仏教徒に脱皮していけるのか、自分自身が新仏教徒と呼びうる存在にどうすればなれるのか、おそらく悩んでいたことだろう。第2章「新仏教徒」では、中西牛郎の『宗教革命論』(1889)を引用し、旧仏教と新仏教を二項対立的に区分しているが、その図式は抽象的で理解しにくい。そして、第2章の結論は本書全体のなかでも、最も読みにくい部分の代表になっている。読点が延々と続き、いつになったら句点があらわれるのか、待ち遠しくてしかたない。二十代半ばの若いエネルギーが漲り、次から次へと熱い想いが脳外に溢れ出たのではあろうが、それら思考の切片が論理的に構造化しているかと言えば、残念ながら、そうではない。実際、口語訳には難渋したが、しかし、能海寛に敬意を表すため、若干の補足をつけて、このやっかいな明治の文語体を現代文に変換してみよう。【原文15-16頁】
世界各地で遊説し優秀な人材が策を練ることで、暗闇に一筋の道があらわれ、新仏
教徒運動はブッダ本来の思想から発展しつつ新仏教の気運により発露していきます。
それが新しい気運の地平線上にあらわれて、完全な組織的運動をなすのであれば、
(また)一挙手一頭足が一致契合し、ブッダ本来の思想に基づいて事を進めること
になるのであれば、向かうところ敵なく、新仏教徒の大業が成就するだろうことは
今日の状況をみれば明らかです。存覚上人によると、仏閣の基礎を固めれば、マイ
トレーヤ(弥勒菩薩)の三会を受けられます。煩悩を洗い流す水が流れて遠く隅々
までゆきわたり、生きとし生けるものを潤すことができ、仏教を世界の統一宗教
にするだけでなく、動物・虫・魚の類までもが仏の光明の恵みを受けることができ
ます。なんと広大なことでしょう。
意味は取りにくいが、思いは強烈である。ちなみに、存覚上人(1290 - 1373)は、鎌倉末~室町初に活躍した浄土真宗の教学僧であり、「マイトレーヤの三会」とは仏滅後56億7000万年経って弥勒菩薩があらわれ、ブッダの教化に漏れた衆生を救済する法会のことである。かくして、新仏教のあり方に苦悩する能海ではあるが、ただ第六章を読むと、「戒律」の復興が新仏教の鍵を握ると考えていたことは間違いなさそうである。能海はめずらしく小乗(上座部)仏教の戒律を評価しながらも、世相の変化に対応できる大乗仏教的な戒律を、自らの宗派である浄土真宗に導入しようと提案した。【原文45-46頁】
仏教諸派のうち真宗などは、戒律を宗祖以来断じてもたず、僧俗ともに世間での
生活をしつつ、易行他力の信心一つをもって浄土往生の因とします。(略)真俗
二諦をもって宗とし、王法為本を説く。これがもとより完全な宗旨(中心教義)です。
しかしながら、私はその信後の行としてこの戒律をもつことを希望します。僧侶は
品行の基準として、道徳実行のために戒律をもつべきです。
しかしながら、現代に至って浄土真宗に戒律が導入されているわけではない。さらに身近な例をとりあげると、摩尼寺(鳥取市)の天台宗安楽律派にしても、江戸時代前期に天台宗で最も厳格な戒律を有する新興の宗派として勃興したが、江戸末期までに比叡山では没落し、すでに安楽律院の遺構を残すのみとなっている。摩尼寺のような地方の末寺が安楽律派を名目上受け継いでいるのだが、その場合でも、厳しい戒律が存続しているとは言えないであろう。俗化がすでに染みついた日本の仏教を改革するのは並大抵のことではないのである。日本の場合、日本という文化的風土に馴染むように、仏教も変わるべくして変わってきて現状に至ったわけであり、「仏教でない」という海外からの批判を日本は自覚し、受け入れる必要がある。
なお、能海は真宗本山の改革について、第17章「本山政論第一」において、以下のように述べている。【原文90頁】
従来の仏教以外に新奇な仏教を創立するのではなく、従来の仏教そのものを、活仏教
(活力のある仏教)に向上させることにあります。ですから、なるべく平和の維新で
なければなりません。内部から少しずつ改善して、新仏教に成長させることにあります。
旧仏教から独立して新仏教の教団を組織し、新仏教が旧仏教を乗り越えていこうという発想を最初はもっていた。ところが、後には旧仏教組織の内部改革を進めることによって新仏教に進化させていこうと考えるようになったのである。参考例として適切かどうか分からないが、現代日本の政治世界に引き合いにだすならば、自由民主党から離れて新自由クラブというリベラル系の保守勢力をつくって自民党に刺激を与え改革するのではなく、小泉純一郎が挑んだように自民党の内部にあって「自民党をぶっ壊す」ような改革手法を取ろう、と提案したということであろう。本山改革を提案する第17・18章「本山政論」では、「新旧両教徒調和の上に仏教の進歩を図ることを急務とする」という比較的穏健な主張にトーンダウンしている点に注目したい。【続】
【連載情報】
・能海寛を読む(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1977.html
・能海寛を読む(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1978.html
・能海寛を読む(3)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1981.html
・能海寛を読む(4)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1983.html
・能海寛を読む(7)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1988.html
6.新仏教の曖昧さ
かくして旧仏教に痛烈な批判を加える能海ではあるが、肝心の新仏教については、本書を通読しても、いかにあるべきか、未だ暗中模索の段階にあったように思われる。上に引用した第六章「道徳上の仏教(戒律論)」【原文36-37頁】において、「未だ新仏教徒の本色が成立しているわけではありません」と吐露しているところからも、それは明らかであろう。一体どうすれば旧仏教徒から新仏教徒に脱皮していけるのか、自分自身が新仏教徒と呼びうる存在にどうすればなれるのか、おそらく悩んでいたことだろう。第2章「新仏教徒」では、中西牛郎の『宗教革命論』(1889)を引用し、旧仏教と新仏教を二項対立的に区分しているが、その図式は抽象的で理解しにくい。そして、第2章の結論は本書全体のなかでも、最も読みにくい部分の代表になっている。読点が延々と続き、いつになったら句点があらわれるのか、待ち遠しくてしかたない。二十代半ばの若いエネルギーが漲り、次から次へと熱い想いが脳外に溢れ出たのではあろうが、それら思考の切片が論理的に構造化しているかと言えば、残念ながら、そうではない。実際、口語訳には難渋したが、しかし、能海寛に敬意を表すため、若干の補足をつけて、このやっかいな明治の文語体を現代文に変換してみよう。【原文15-16頁】
世界各地で遊説し優秀な人材が策を練ることで、暗闇に一筋の道があらわれ、新仏
教徒運動はブッダ本来の思想から発展しつつ新仏教の気運により発露していきます。
それが新しい気運の地平線上にあらわれて、完全な組織的運動をなすのであれば、
(また)一挙手一頭足が一致契合し、ブッダ本来の思想に基づいて事を進めること
になるのであれば、向かうところ敵なく、新仏教徒の大業が成就するだろうことは
今日の状況をみれば明らかです。存覚上人によると、仏閣の基礎を固めれば、マイ
トレーヤ(弥勒菩薩)の三会を受けられます。煩悩を洗い流す水が流れて遠く隅々
までゆきわたり、生きとし生けるものを潤すことができ、仏教を世界の統一宗教
にするだけでなく、動物・虫・魚の類までもが仏の光明の恵みを受けることができ
ます。なんと広大なことでしょう。
意味は取りにくいが、思いは強烈である。ちなみに、存覚上人(1290 - 1373)は、鎌倉末~室町初に活躍した浄土真宗の教学僧であり、「マイトレーヤの三会」とは仏滅後56億7000万年経って弥勒菩薩があらわれ、ブッダの教化に漏れた衆生を救済する法会のことである。かくして、新仏教のあり方に苦悩する能海ではあるが、ただ第六章を読むと、「戒律」の復興が新仏教の鍵を握ると考えていたことは間違いなさそうである。能海はめずらしく小乗(上座部)仏教の戒律を評価しながらも、世相の変化に対応できる大乗仏教的な戒律を、自らの宗派である浄土真宗に導入しようと提案した。【原文45-46頁】
仏教諸派のうち真宗などは、戒律を宗祖以来断じてもたず、僧俗ともに世間での
生活をしつつ、易行他力の信心一つをもって浄土往生の因とします。(略)真俗
二諦をもって宗とし、王法為本を説く。これがもとより完全な宗旨(中心教義)です。
しかしながら、私はその信後の行としてこの戒律をもつことを希望します。僧侶は
品行の基準として、道徳実行のために戒律をもつべきです。
しかしながら、現代に至って浄土真宗に戒律が導入されているわけではない。さらに身近な例をとりあげると、摩尼寺(鳥取市)の天台宗安楽律派にしても、江戸時代前期に天台宗で最も厳格な戒律を有する新興の宗派として勃興したが、江戸末期までに比叡山では没落し、すでに安楽律院の遺構を残すのみとなっている。摩尼寺のような地方の末寺が安楽律派を名目上受け継いでいるのだが、その場合でも、厳しい戒律が存続しているとは言えないであろう。俗化がすでに染みついた日本の仏教を改革するのは並大抵のことではないのである。日本の場合、日本という文化的風土に馴染むように、仏教も変わるべくして変わってきて現状に至ったわけであり、「仏教でない」という海外からの批判を日本は自覚し、受け入れる必要がある。
なお、能海は真宗本山の改革について、第17章「本山政論第一」において、以下のように述べている。【原文90頁】
従来の仏教以外に新奇な仏教を創立するのではなく、従来の仏教そのものを、活仏教
(活力のある仏教)に向上させることにあります。ですから、なるべく平和の維新で
なければなりません。内部から少しずつ改善して、新仏教に成長させることにあります。
旧仏教から独立して新仏教の教団を組織し、新仏教が旧仏教を乗り越えていこうという発想を最初はもっていた。ところが、後には旧仏教組織の内部改革を進めることによって新仏教に進化させていこうと考えるようになったのである。参考例として適切かどうか分からないが、現代日本の政治世界に引き合いにだすならば、自由民主党から離れて新自由クラブというリベラル系の保守勢力をつくって自民党に刺激を与え改革するのではなく、小泉純一郎が挑んだように自民党の内部にあって「自民党をぶっ壊す」ような改革手法を取ろう、と提案したということであろう。本山改革を提案する第17・18章「本山政論」では、「新旧両教徒調和の上に仏教の進歩を図ることを急務とする」という比較的穏健な主張にトーンダウンしている点に注目したい。【続】
【連載情報】
・能海寛を読む(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1977.html
・能海寛を読む(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1978.html
・能海寛を読む(3)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1981.html
・能海寛を読む(4)
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・能海寛を読む(7)
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