能海寛を読む(7)
おわりに
能海寛の主著『世界に於ける仏教徒』(1893)との出会いは2017年12月23日にさかのぼる。能海寛研究会長の岡崎秀紀氏が主催する東方学院松江校定期講座の輪読会にオブザーバーとして参加させていただいたのである。会場は中村元記念館の近くにある八束公民館第1講義室。その日の輪読の担当は赤井厚生氏であり、『世界に於ける仏教徒』のうち、以下を音読された。
第6章 道徳上ノ仏教(戒律論) 第7章 比較仏教学
第8章 サンスクリット(梵学) 第9章 仏教国ノ探検-西蔵国探検ノ必要
内容にはただただ驚いた。能海寛は、明治中期にあって世界に視野をひろげ、仏教を語ろうとしている。しかも、その視野は中国・チベット・南アジアなどの仏教圏にとどまらず、欧米にまで及んでいた。第1章「宗教ノ革新」に目を通すだけでも、アメリカ人宣教師ドレッパー、統計学者レラニレビ、ノルマンディのフランシス・カアラーンデル女史、ルソン島米国領事ラッセル・ウェップらを引用してキリスト教の形骸化を指摘しつつ、アメリカの神智学者オルコット、アイルランドのジョンストン女史、ドイツの哲学者ショッペンハウエルらの名を挙げて、欧米有識者の仏教への傾斜を強調している。おそらく哲学館修学の集大成なのだろう。わくわく感がしばらくとまらなかった。
このわくわく感には伏線がある。輪読会に先立つ同年11月18日、チベット文献史学の世界的権威、今枝由郎先生(京都大学こころの未来研究センター特任教授)を鳥取に招聘して、「ブッダが説いたこと」と題する講演会を企画し、欧米と日本における仏教観のちがいを拝聴していたからである。
聴講してなにより驚いたのは、欧米の知識分子が仏教をポジティブな知的財産として高く評価していることである。具体的には、以下の3名の発言が例にあげられた。
フリードリッヒ・ニーチェ (1844-1959)
仏教は歴史が我々に提示してくれる、唯一の真に実証科学的宗教である。
アルベール・アインシュタイン(1870-1955)
仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である。
アンドレ・ミゴ(1892-1967)
ブッダは、信仰を知性に、教義を真理に、神の啓示を人間の理性に置き換えた
最初のインド人である。
欧米(の一部)で仏教が高評価を得ているのは、古代インドの仏典、あるいはその直訳に近いチベットの仏典をヨーロッパの言語に翻訳したことにより、仏教思想の理解が容易になったからである。その結果、翻訳された仏典は、哲学者や科学者にとどまらず、経営者・起業家などの座右の銘ともなり、いまや「成功者のバイブル」とさえ称賛されるようになっている。たとえば Apple の創業者スティーブ・ジョブズは仏教から経営の極意を学んだ代表者としてよく知られていよう。
一方、日本人は漢訳仏典に悩まされてきた。ブッダが入滅して今に至るまで長い時間が流れ、伝承としてのブッダの説法は成文化し、注釈され、漢訳されて難解な経典に変わっている。その漢訳にも写本が複数あり、漢訳自体に誤りや省略が含まれることもあって、仏教学を修めた大家ならいざ知らず、一般の信徒はそこに何が書いてあるのかさっぱり分からない。お経に接するのは喪に服する葬儀や法要のときに限られ、僧侶の導くまま訳のわからぬ念仏を唱えるだけになっている。仏教国であるはずの日本の仏教は、少なくとも民衆レベルでは形骸化している。あるいは、ずっと形骸化していた、というべきか。もっと突っ込んで言うならば、日本は仏教国ではなく、無宗教の国であり、家に構える仏壇に仏像を祀ることはない。仏壇は祖先の位牌を置く小さな廟であり、葬儀・法要のときのみ僧侶にお出ましいただくにすぎないのである。日本人にとって重要な信仰は仏教ではなく、祖先崇拝だと言い切っても大きな間違いではないだろう。
能海寛の主著『世界に於ける仏教徒』(1893)との出会いは2017年12月23日にさかのぼる。能海寛研究会長の岡崎秀紀氏が主催する東方学院松江校定期講座の輪読会にオブザーバーとして参加させていただいたのである。会場は中村元記念館の近くにある八束公民館第1講義室。その日の輪読の担当は赤井厚生氏であり、『世界に於ける仏教徒』のうち、以下を音読された。
第6章 道徳上ノ仏教(戒律論) 第7章 比較仏教学
第8章 サンスクリット(梵学) 第9章 仏教国ノ探検-西蔵国探検ノ必要
内容にはただただ驚いた。能海寛は、明治中期にあって世界に視野をひろげ、仏教を語ろうとしている。しかも、その視野は中国・チベット・南アジアなどの仏教圏にとどまらず、欧米にまで及んでいた。第1章「宗教ノ革新」に目を通すだけでも、アメリカ人宣教師ドレッパー、統計学者レラニレビ、ノルマンディのフランシス・カアラーンデル女史、ルソン島米国領事ラッセル・ウェップらを引用してキリスト教の形骸化を指摘しつつ、アメリカの神智学者オルコット、アイルランドのジョンストン女史、ドイツの哲学者ショッペンハウエルらの名を挙げて、欧米有識者の仏教への傾斜を強調している。おそらく哲学館修学の集大成なのだろう。わくわく感がしばらくとまらなかった。
このわくわく感には伏線がある。輪読会に先立つ同年11月18日、チベット文献史学の世界的権威、今枝由郎先生(京都大学こころの未来研究センター特任教授)を鳥取に招聘して、「ブッダが説いたこと」と題する講演会を企画し、欧米と日本における仏教観のちがいを拝聴していたからである。
聴講してなにより驚いたのは、欧米の知識分子が仏教をポジティブな知的財産として高く評価していることである。具体的には、以下の3名の発言が例にあげられた。
フリードリッヒ・ニーチェ (1844-1959)
仏教は歴史が我々に提示してくれる、唯一の真に実証科学的宗教である。
アルベール・アインシュタイン(1870-1955)
仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である。
アンドレ・ミゴ(1892-1967)
ブッダは、信仰を知性に、教義を真理に、神の啓示を人間の理性に置き換えた
最初のインド人である。
欧米(の一部)で仏教が高評価を得ているのは、古代インドの仏典、あるいはその直訳に近いチベットの仏典をヨーロッパの言語に翻訳したことにより、仏教思想の理解が容易になったからである。その結果、翻訳された仏典は、哲学者や科学者にとどまらず、経営者・起業家などの座右の銘ともなり、いまや「成功者のバイブル」とさえ称賛されるようになっている。たとえば Apple の創業者スティーブ・ジョブズは仏教から経営の極意を学んだ代表者としてよく知られていよう。
一方、日本人は漢訳仏典に悩まされてきた。ブッダが入滅して今に至るまで長い時間が流れ、伝承としてのブッダの説法は成文化し、注釈され、漢訳されて難解な経典に変わっている。その漢訳にも写本が複数あり、漢訳自体に誤りや省略が含まれることもあって、仏教学を修めた大家ならいざ知らず、一般の信徒はそこに何が書いてあるのかさっぱり分からない。お経に接するのは喪に服する葬儀や法要のときに限られ、僧侶の導くまま訳のわからぬ念仏を唱えるだけになっている。仏教国であるはずの日本の仏教は、少なくとも民衆レベルでは形骸化している。あるいは、ずっと形骸化していた、というべきか。もっと突っ込んで言うならば、日本は仏教国ではなく、無宗教の国であり、家に構える仏壇に仏像を祀ることはない。仏壇は祖先の位牌を置く小さな廟であり、葬儀・法要のときのみ僧侶にお出ましいただくにすぎないのである。日本人にとって重要な信仰は仏教ではなく、祖先崇拝だと言い切っても大きな間違いではないだろう。
聡明な読者ならすでにお気づきのように、漢訳仏典の溢れる日本(や中国)では仏教に対する理解が浅く、ただ難解な宗教だと一般的に認識されているのに対して、非仏教国の欧米では、少なくとも有識者層において仏教は高い評価を得ている。そうした逆説を知りながら、能海の著した『世界に於ける仏教徒』に目を通すと、おびただしい数の欧米人が紹介されており、期待に胸が膨らんだ。その結果として、2018年度前期の演習で有志6名(3年4名、4年・院生各1名)による輪読と口語訳に取り組むことを決断したしだいである。本学の取り組みに先立ち、東方学院松江校定期講座の2017年度成果として「読み下し文+用語解説」の提供を受け、原文・復刻本とともに、おおいに参照させていただいた。ここに記して感謝の意をあらわしたい。
こうして出発した『世界に於ける仏教徒』の輪読と口語訳の取り組みではあったが、いくつかの苦難が待ち受けていた。まず、明治の文語体に対するアレルギーが一部の学生より発せられた。センター試験の古文や漢文に比べれば、はるかに現代文に近く、読みやすいだろうと予想していたのだが、すべての学生がセンター試験を経由してきたわけではない。難解な仏教用語が散見されるところもあり、「英語のほうがマシだ」と嘆く学生すらいたほどである。その一方で、文語体を苦にしない学生もおり、読解力はかなり不均一であったが、週に一度の輪読ゼミで各自が分担部分を発表し、教師が意味を説明しながら口語訳文を校正するというやり方を反復するしかなかった。
そうした方法に馴染み始めた5月末に第1・2章の口語訳をいちおう完成させた。ところが、今度はその口語訳を通読した一部の学生から強い反発がでる。参加者にクリスチャンが含まれていたこともあったのかもしれないが、その学生を慮る他の学生が「キリスト教批判が過激すぎる」という感想を露わにしたのである。明治の文語体というオブラートに包まれていた能海の文章は、口語体に訳してみると、たしかに冷静さを欠くキリスト教批判の連続であり、とくに仏教に愛着のない現代の若者にとっては、持論に執着する大人気ない感情論に映ったことだろう。輪読を続行してよいものか、しばし悩んだ。
こうした反応をみても、能海は、欧米有識者のキリスト教離れと仏教への傾斜だけを指摘するにとどめるべきであったと思う。キリスト教を信仰するのはいまや「無識者・婦女子のみ」だとか、キリスト教は「戦争好き」だとか、「哲学以下の妄信」だなどの非難をあげつらう必要はなかったのである。あるいは仏教を、「諸宗教の王」であり、「歴史上においては最上無比」で、「哲学以上の妙理」などと持ち上げて自慢すればするほど、筆者に対する尊敬の念は薄れ、本書の価値を下げる結果になった。
旧仏教批判にしても同じである。対象を日本に限定して「葬式仏教」に堕した旧仏教を新仏教に改革しようと説くだけで十分であった。知りもしない他のアジア諸国にまで「葬式仏教」説を敷衍し、どの地域も堕落しているから、世界の仏教を牽引できるのは日本の新仏教徒以外にない、などという虚栄の目標を掲げたばかりに、失笑を買いかねない始末を招いている。
こうした国外の宗教・宗派に対する無配慮な偏見と発言がなければ、本書は俗化した旧仏教の改革をめざした体系的著作の嚆矢として後世に名を残したかもしれない。
さて、能海の業績で最も評価されているのは、『般若心経』などの仏典を英訳して欧米に情報発信しようとしたことである。第16章「仏典翻訳」を読むと、まず英訳することが重要であり、ヘンリー・オルコットの『仏教問答』(1881) のように、いったん仏典が英訳されれば、まもなく諸国の言語に訳される、と考えていたことが分かる。ただし、サンスクリットと英語の両方に精通する者が少ないことを嘆いており(原文83-84頁)、能海は自ら英訳を実践するしかなかった。第5章「歴史上の仏教」において、『大無量寿経』の一部を英訳してイギリスの詩人エドウィン・アーノルドに送ったところ、その訳文に感動したアーノルドが返礼として、経文の意味を咀嚼し一篇の詩を創作したという交流を記している(原文32頁)。そうした国際交流はおおいに進めるべきであり、仏典英訳の先駆者として敬意をあらわしたいと思う。
ところが、その一方で、自らの業績に目を転じると、『世界に於ける仏教徒』において、キリスト教や上座部仏教を強く批判しているため、本書を英訳して海外で公刊するのは事実上不可能であろう。英訳どころか、口語訳の出版すら難しいのではないか、というのがこのたび作業に携わったわたしたちの感想である。明治の文語体というオブラートで包んだままにしておくことが、この文献に対する最善の思いやりになるのかもしれない。
ただし、批評の開示は許されるべきであろう。口語訳だけを刊行するのは如何なものかと思うけれども、口語訳に即して『世界に於ける仏教徒』の内容を批評する作品が出版される可能性まで絶望というわけではない。ほかならぬ本稿こそがその批評の試みであるのだけれども、それはあくまで『世界に於ける仏教徒』という著作の批評であって、能海という人物の業績すべてに係わる批評ではないことをいま一度お断りしておく。 【完】
【連載情報】
・能海寛を読む(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1977.html
・能海寛を読む(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1978.html
・能海寛を読む(3)
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・能海寛を読む(4)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1983.html
・能海寛を読む(5)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1986.html
・能海寛を読む(6)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html
・能海寛を読む(7)
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こうして出発した『世界に於ける仏教徒』の輪読と口語訳の取り組みではあったが、いくつかの苦難が待ち受けていた。まず、明治の文語体に対するアレルギーが一部の学生より発せられた。センター試験の古文や漢文に比べれば、はるかに現代文に近く、読みやすいだろうと予想していたのだが、すべての学生がセンター試験を経由してきたわけではない。難解な仏教用語が散見されるところもあり、「英語のほうがマシだ」と嘆く学生すらいたほどである。その一方で、文語体を苦にしない学生もおり、読解力はかなり不均一であったが、週に一度の輪読ゼミで各自が分担部分を発表し、教師が意味を説明しながら口語訳文を校正するというやり方を反復するしかなかった。
そうした方法に馴染み始めた5月末に第1・2章の口語訳をいちおう完成させた。ところが、今度はその口語訳を通読した一部の学生から強い反発がでる。参加者にクリスチャンが含まれていたこともあったのかもしれないが、その学生を慮る他の学生が「キリスト教批判が過激すぎる」という感想を露わにしたのである。明治の文語体というオブラートに包まれていた能海の文章は、口語体に訳してみると、たしかに冷静さを欠くキリスト教批判の連続であり、とくに仏教に愛着のない現代の若者にとっては、持論に執着する大人気ない感情論に映ったことだろう。輪読を続行してよいものか、しばし悩んだ。
こうした反応をみても、能海は、欧米有識者のキリスト教離れと仏教への傾斜だけを指摘するにとどめるべきであったと思う。キリスト教を信仰するのはいまや「無識者・婦女子のみ」だとか、キリスト教は「戦争好き」だとか、「哲学以下の妄信」だなどの非難をあげつらう必要はなかったのである。あるいは仏教を、「諸宗教の王」であり、「歴史上においては最上無比」で、「哲学以上の妙理」などと持ち上げて自慢すればするほど、筆者に対する尊敬の念は薄れ、本書の価値を下げる結果になった。
旧仏教批判にしても同じである。対象を日本に限定して「葬式仏教」に堕した旧仏教を新仏教に改革しようと説くだけで十分であった。知りもしない他のアジア諸国にまで「葬式仏教」説を敷衍し、どの地域も堕落しているから、世界の仏教を牽引できるのは日本の新仏教徒以外にない、などという虚栄の目標を掲げたばかりに、失笑を買いかねない始末を招いている。
こうした国外の宗教・宗派に対する無配慮な偏見と発言がなければ、本書は俗化した旧仏教の改革をめざした体系的著作の嚆矢として後世に名を残したかもしれない。
さて、能海の業績で最も評価されているのは、『般若心経』などの仏典を英訳して欧米に情報発信しようとしたことである。第16章「仏典翻訳」を読むと、まず英訳することが重要であり、ヘンリー・オルコットの『仏教問答』(1881) のように、いったん仏典が英訳されれば、まもなく諸国の言語に訳される、と考えていたことが分かる。ただし、サンスクリットと英語の両方に精通する者が少ないことを嘆いており(原文83-84頁)、能海は自ら英訳を実践するしかなかった。第5章「歴史上の仏教」において、『大無量寿経』の一部を英訳してイギリスの詩人エドウィン・アーノルドに送ったところ、その訳文に感動したアーノルドが返礼として、経文の意味を咀嚼し一篇の詩を創作したという交流を記している(原文32頁)。そうした国際交流はおおいに進めるべきであり、仏典英訳の先駆者として敬意をあらわしたいと思う。
ところが、その一方で、自らの業績に目を転じると、『世界に於ける仏教徒』において、キリスト教や上座部仏教を強く批判しているため、本書を英訳して海外で公刊するのは事実上不可能であろう。英訳どころか、口語訳の出版すら難しいのではないか、というのがこのたび作業に携わったわたしたちの感想である。明治の文語体というオブラートで包んだままにしておくことが、この文献に対する最善の思いやりになるのかもしれない。
ただし、批評の開示は許されるべきであろう。口語訳だけを刊行するのは如何なものかと思うけれども、口語訳に即して『世界に於ける仏教徒』の内容を批評する作品が出版される可能性まで絶望というわけではない。ほかならぬ本稿こそがその批評の試みであるのだけれども、それはあくまで『世界に於ける仏教徒』という著作の批評であって、能海という人物の業績すべてに係わる批評ではないことをいま一度お断りしておく。 【完】
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