フォトスキャンを活用した文化遺産の分析(1)


大学院修士課程1年次中間発表会の報告
2月19日(火)、大学院修士課程1年次の中間発表会が開催されました。わたしの題目は「フォトスキャンを活用した文化遺産の分析-近世民家を中心に」であり、その内容について報告させていただきます。
フォトスキャンとは
フォトスキャンは重なり合う複数の写真から3Dオブジェクトを高精度に作成するソフトウェアである。対象物を多重撮影し、それをソフトに読み込ませることで様々なスケールの3Dデータの作成が可能となる。フォトスキャンを使う前提としてはハイスペックのパソコンが必要となる。建物の撮影を例にとると、多重撮影のポイントは、①可能な限り被写体に正対し、②建物の最高点まで画角に収め、③建物の写真データを60%以上オーバーラップさせることの3点である。フォトスキャンを活用した調査研究は2017年度から、町並み連続立面図の作成に取り組んできたが、今年度は空撮データの処理や絵図の多重撮影も試みたので、その成果を発表する。

ドローンとの複合活用
使用した機体はDJI「Phantom 3 Standard」である。これまで町並みでは人がカメラで撮影するため、撮影できる範囲が限られていたが、ドローンを用いることでよりフォトスキャンの可能性が広がった。特に摩尼山では、地蔵堂と鐘楼が建っていた明治末年ころの景観をCGで再現する作業を、研究室OBの一級建築士と共同で進めた。その前提として、「賽の河原」周辺をドローンで90枚ほど多重撮影し、フォトスキャンで3Dモデルを作成した。上空からの写真や3Dモデルと復元建物の画像を複合させることで、明治期の「賽の河原」の景観がみごとに再現された。

稲常西尾家住宅の調査
鳥取市河原町の稲常(いなつね)は中世にまで遡る拠点的な農村集落である。中世には背面の山上に稲常城があり、その城主は西尾伯耆守と伝えられている。西尾家は四つ辻の北東の角地に建つ旧庄屋邸宅であり、家伝によると門前のエノキは樹齢250年以上であるという。教授の見立てによると、主屋も同時期に遡る可能性があり、緊急の調査をおこなった。西尾家周辺では、2017年度人間環境実習・演習Aの履修生が共同で手描きの連続立面図を作成しているが、西尾家外観の立面図だけはフォトスキャンでも作成した。2018年度は主屋平面の実測と復原を試みる一方で、ドローンによる多重空撮データからフォトスキャンで屋根伏図を作成し、主屋と長屋門・エノキの配置関係を検討した。


西尾家主屋は部屋の数が多く、背面にツノヤを付属している。最も奇妙な点は、大黒柱の位置である。大黒柱は通常、土間と板間の境に立てられるものだが、西尾家では畳間の真ん中に立っている。このほか、古い柱や水平材(差鴨居等)などの分布や痕跡を調査した結果、創建時から今に至るまでの変遷が推定できる。
《推定Ⅰ期=創建期》 近世民家の規範に従い、大黒柱は土間と板間の境に建っていたと推定した。またザシキとアイノマの間に2本溝の鴨居が残っているので、この部分を建具で間仕切りしていたと考えられる。この結果、鳥取県に多い「広間型五間取り」に復原できる。年代は不明だが、18世紀後期に遡る可能性はある。
《推定Ⅱ期=明治の増築期》 当初の土間部分に板間を張って横方向に増築を進め、ザシキとアイノマの境の間仕切りをとりさって十畳の客間にするとともに、旧板間には畳を敷き、背面側にツノヤを増築したと考えた。茅葺き屋根を瓦に葺き替えたであろう明治期の増改築だと推定している。

次に、長屋門・エノキとオモヤの配置関係について考察する。当初にあたる推定Ⅰ期の復原図を屋根伏写真に重ねあわせると、長屋門が土間(家族の入口)の真正面に位置しているのがわかる。推定Ⅱ期では、長屋門が板間正面に設けた式台(身分の高い来客のための玄関)の真正面に位置している。このように、推定Ⅰ期・Ⅱ期とも長屋門・エノキはオモヤの重要な入口と相対しており、両者の複合関係がはっきりしているため、エノキの樹齢とオモヤの建築年代には一定の相関性が認められないわけでもないと思われる。【続】
