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2018年度卒業論文概要(1)

重要文化財「河本家住宅」の幕末家相図をめぐる基礎的考察
Basic study on the illustrated divination map of the late Edo period
owned by Important cultural property "the Kawamoto Residence"
                         SASAKI,Kana


 河本家住宅は鳥取県琴浦町(旧赤碕町)に所在する江戸時代の古民家である。鳥取県は昭和49年3月にオモヤとキャクマを県の有形保護文化財に指定した。その後、昭和53年のオモヤ屋根葺き替えの際、貞享五年(1688)の棟札がみつかった。17世紀にさかのぼる民家の棟札は全国的にも珍しいものである。平成15年度になって浅川研究室が屋敷内の土蔵群を視察した結果、それらの付属建物も高い文化財価値を有することが判明したため、町は平成16年度事業として研究室に建造物の総合的な調査を委託した。その成果が『河本家住宅-建造物調査報告書-』(2005)であり、2010年には敷地に建つ十数棟の建造物が国の重要文化財に指定された。


2018卒論概要写真_01佐々木 図1 家相図オルソ写真


1.河本家の家相図
 家相図とは、住宅などの建造物の敷地平面図に一定の方位観を記した絵図をさす。河本家では、2006年10月に土蔵から一枚の紙本彩色の家相図が発見された。絵図を納める紙袋表紙の記載によると、嘉永七年(1854)9月の制作である。畳二畳(2275×1425mm)ほどもある家相図には、河本家の屋敷全体の建物配置、建物内の間取り、庭の植栽等まで精密に描写されている。保存状態としては、乾燥した糊の接着部分が弱って剥がれている箇所も少なくないが、彩色は良好に残っている。
 発見後十年以上経過するが、家相図の調査研究は全く進んでいなかった。家相図は特殊な(呪術的)方位観による未来計画図の場合が多く、一般的な指図とは違って、平面復元の根拠とは必ずしもならないからである。しかし河本家の場合、調査を進めるにつれて復原資料としての価値も十分あることがみえてきた。絵図の複写はデジカメの多重撮影データをフォトスキャンで加工し、正確なオルソ写真を作成し、分析の基礎とした。

2.平面の異同と復原
 家相図が現状と大きく異なる部分は以下の3ヶ所である。
①オモヤ広間: 式台から入る前側の玄関は十畳で、四枚障子を挟んで奥側の広間も現在は十畳だが、家相図では十五畳半となっている。ダイニング上部に新しい化粧版に隠された古い差鴨居があると推定される。また、玄関と広間の境は四枚引違障子だが、鴨井は3本溝になっていて、建具と一致しない。これらの痕跡から、当初はダイニングも広間の一部であって、土間側に突き出た部分も含めた凸凹形が幕末の十五畳半であったと推定される。
②オモヤ納戸: 表の座敷とナンドの間に押入を幅半間設け、さらに奥は二畳の茶室となっている。ナンドに畳床が増築されて
いることから数寄屋造色が強く、幕末~明治の意匠のように思われる。
③ハナレ: 奥の六畳は八畳に拡大されており、部屋の周囲に縁をめぐされる。床の間の対面の壁にひび割れが2本あり、幕末期に存在した柱の位置を教えてくれる。また、現状は三座敷の続き間であるが、南側四畳の東半を土間とし竈をおいていたことから幕末はある程度独立した世帯の「住まい」として機能していた可能性がある。おそらく明治期に改修・増築されたとみられ、主屋ナンドの改修時期と重なると推定している。


2018卒論概要写真_02佐々木 図2 オモヤ~ハナレ間取り比較


2018卒論概要写真_03佐々木 図3 主屋ヒロマ24方位と裏庭8方位


3.家相図の方位観
 河本家の家相図には二つの方位が描かれており、これが家相図といわれるゆえんである。一つはオモヤ広間のイロリ近くを中心とする24方位(A)、もう一つは裏庭に中心点をおく8方位(B)である。Aは十干・十二支・八卦の複合型で直径二畳ほどの範囲に正八角形を描き24字によって細かい方位を示す。一方、Bは八卦のみの方位である。屋内を中心点とするAは建物内部の間取り、戸口(開口部)・カマド等の位置を規定するのに対して、裏庭のBは土蔵・雑舎等の配置に影響していると考えられる。
 家相見にはいくつか流派が存在するが、中心点の設定方法や方位観の書き方から河本家の場合、易経の「説卦伝」をもとに吉凶を見る流派に近いと判断した。これに基づいて家相と間取りを対応させてみると、東のカマドや北西の蔵など吉凶が特に重視されるものはほとんど吉の方角に対応していた。この家相見は「説卦伝」から方位に関わる部分を対応させており、そこに鬼門・裏鬼門を加え日本独自の方位観を成立させている。家相図作成以前から代々受け継がれてきたと思われる赤崎の間取りが古来中国の教えをもとにした吉凶判断と重なっていることは興味深い。増改築に家相図の方位観が影響したかどうかは判断できなかったが、家人の話によれば、新ハナレを造るさい方位を気にしてトイレの位置は変えなかったそうだ。また、家相図には当主の生年が記載されているが、本命とされている10代当主は家相図作成当時すでに亡くなっており、当時は11代当主であるため謎が残る。


2018卒論概要写真_04佐々木 図4 分家 24方位対応


4.赤崎の家相民俗
 河本家西隣に位置する分家、河本誠之家にも方位観を当てはめ本家と比較したところ、方位の中心は神棚と重なった。オモヤ内部の間取りはほぼ同じであり、オモヤ西側のハナレの配置も共通していた。土蔵などの配置については、敷地の大きさの差もあり共通点はみられなかった。分家との比較から地域の方位観を確認できたわけではないが、赤崎に残るほかの古民家とも比較検討することで独自の方位観がみえてくるかもしれない。
 地域独自の方位観について家人にヒアリングさせていただいた。河本家ではとくに南面を重視していた。中国古来の「坐北朝南」のことで、需要な人物や建物は北側にあって南を向くという原則である。主は来客のさい必ず北側に座って南をむき、とくに法事などの重要行事ではこの規則が厳重に守られていた。『易経』にもこの考え方があり、現代までその伝統が受け継がれていることが分かる。また、現在はおこなわれていないそうだが、ご主人が幼少のころ正月前に神主が河本家を訪れ、現在のヒロマを中心に来年の恵方(吉方)に年神様をまつっていたそうだ。河本家には地域独自の方位の吉凶は伝わっていないようだったが、方位観の考え方が現代まで行事として根付いている。


【参考文献】
1.小池康壽(2009)『幸せを招くよい家相・間取り』西東社
2.公立鳥取環境大学浅川研究室(2005)『河本家住宅-建造物調査報告書-』琴浦町教育委員会
3.奈良文化財研究所 (2007)『鳥取県の近代和風建築』鳥取県教育委員会
4.松嶋重雄(2001)『建築の儀式と地相・家相』理工学社
5.宮内貴久(2009)『風水と家相の歴史』吉川弘文館
6.村田あが(1999)『江戸時代の家相説』雄山閣出版

【参考サイト】
2018卒業論文中間報告(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1919.html
河本家住宅家相図の研究
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1864.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1865.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1868.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1867.html
(5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1998.html
琴浦町倉長家の家相図調査
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1957.html
フォトスキャンを活用した文化遺産の分析(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2011.html

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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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