2018年度卒業論文概要(3)
能海寛『世界に於ける仏教徒』(明治26年刊)の口語訳と批評
Translation to the modern spoken Japanese and Review of "New Buddhist in the world"
written by NOMI Yutaka in 1893
MORI Ayaka
能海寛(のうみ ゆたか)は明治維新の直前、島根県浜田市の浄蓮寺に生まれた。廃仏毀釈の嵐によって仏教が衰退を余儀なくされ、キリスト教の勢力拡大に脅かされた明治期にあって、能海は「新仏教」のあり方を模索する。哲学館などで仏教学や語学などを学び、世界的な視野から旧仏教の革新を主張した。また、仏教の原点を探るため、当時鎖国中であったチベットへの入境をめざす。しかし3回にわたる挑戦もむなしく、雲南省の奥地で消息を絶つ。これまでの能海に関わる研究はこうした彼の事跡に係わるものが大半であり、能海の思想にまで踏み込んで考察するものは少ない。本研究では、能海の主著『世界に於ける仏教徒』(1893)を口語訳して、宇内一統宗教(世界統一宗教)をめざす能海の「新仏教」構想を明らかにし、その内容を批評する。
1.『世界に於ける仏教徒』の概要と批評
第1~2章は、世界は宗教大変動の時代であり、欧米諸国でのキリスト教の信仰は衰え始めているという指摘から始まる。これを踏まえ、宗教の革新が起こる理由や欧米仏教の現況について述べているが、ここからキリスト教を厳しく批判する文章が続く。また、旧仏教(従来の仏教)の堕落を嘆くとともに、新仏教がキリスト教にとって代わり、「宇内一統宗教」の大業を成就すると主張しているが、現実的には実現不可能な構想と評価せざるをえない。
第3~6章では、宗教学上、哲学上、歴史上、道徳上においての仏教について述べている。「仏教とキリスト教の優劣を決するにあたって、宗教学が役に立つ」「歴史上最強の仏教」などの問題発言が次つぎ出てくる。しかしながら、「仏教が宗教史上最強」などということはそもそも証明できるものではない。また、欧米の哲学者が評価するのは上座部(小乗)仏教である。小乗仏教こそ仏教の本流と唱えたマックス・ミューラーらの「大乗非仏説」に能海は反発し、サンスクリットやチベット大乗仏教などの研究を通して、ブッダの思想と大乗仏教を結びつけようと考えた。
第7章では、インドに仏教が起こってから東洋諸国に伝播したが、互いに交流がなかったため、各国においてどのような進歩をしてきたのか、どのような教義をもって今日に至ったのか明らかになっていないと述べる。これを実証するには仏教の比較研究が必要だとしている。諸国の仏典や訳本を比較することで、仏教の起源たる釈迦の思想を明らかにでき、仏教の統合が実現する。それが「宇内一統宗教」として世界に拡散していくという発想である。
第8~9章では、仏教の原語であるサンスクリットの学習と第二仏教国の探検を急務としている。前者は当然のこととして、後者については、中央アジアの植民地支配を大国が競いあう時代であったことと無関係に把握すべきではない。探検とはフィールドワークとほぼ同義であるけれども、それを最大の情報源とする民族学の分野は植民地支配の前提として発展してきた歴史的経緯がある。能海に資金提供した本願寺の側からみれば、中国大陸での布教の前提となる基礎情報を欲していたわけで、この場合の探検は、宗教的支配のための情報集めという側面を有することになる。
第10章~第16章では、まず他の宗教に比べて仏教徒の数は多いが、釈尊の入滅以来、南の小乗と北の大乗に隔絶していたため、今後は団結しなければならないと説いている。また、仏教一般について学ぶ仏教学校や、海外への宣教、仏典の翻訳など、仏教徒に必要なものを挙げて論じている。
ここまで旧仏教を批判してきた能海だが、第17~18章では、旧仏教を極端に破壊するのは顧みて考えることを要するとしている。「差別即ち平等、平等即ち差別なり」と述べ、各国や社会に対して仏教の制度や組織を異にすることは仏教の真理をますます発揚させるものと説く。明治22年(1889)には、大内青巒が井上円了らとともに、天皇崇拝に重きをおく仏教政治運動団体「尊皇奉仏大同団」を結成する。能海も本書で「仏教は日本の国粋」という類似の発言をしている。思想史的にみれば、「尊皇奉仏」という概念には矛盾が露呈している。仏教が史上最大の苦境に陥っている原因は王政復古にあったのを承知の上で、尊皇奉仏の宗教家たちは、神道に対する批判的な論調はいっさい隠しながら王政に与し、その矛先をキリスト教に向けたのである。こうした思想は、おそらく「個人の資質」以上に、王政復古の機運が宗教家たちに投影した「時代の資質」と呼ぶべきものと思われる。いずれにしても、明治維新の年に生まれた能海の宗教観と明治維新の思想的背景のかかわりを否定するのは難しい。
2.大内青巒の序とカール・ヤスパースからみる宗教観
能海の兄弟子筋にあたる大内青巒が『世界に於ける仏教徒』の序文を書いている。ごく短いものだが、『世界に於ける仏教徒』の内容にはほとんど触れていない。序文冒頭の「見色明心」と「門声悟道」の対句は有名な禅語で、小さな色(形)のちがいや、ちょっとした音声を、全身全霊五感をもって感じとることが悟りに近づく第一歩だと示唆している。そうしたミクロな次元に「世界」があるのだと青巒は言いたいのであろう。能海の羨望する海外=世界とは異なる次元で、自分の身の回りにも「世界」がある。それは時空無限の「世界海」である。欧米などの海外で通用する新仏教徒になることも大事であろうが、個人の生活世界に眼を見開け、聞き耳を立てよ、と諭している点、特異な序だと言わざるをえない。能海の主張に対する柔らかな批判とも受け取れるからである。
カール・ヤスパースは『歴史の起源と目標』(原著1949)のなかで、互いを容認しあう以外宗教に未来はないと考察している。ヤスパースの主張に従う限り、能海のいう「宇内一統宗教」などこの世に必要ないものである。能海の主張に比べれば、宗教の多様性を重んじるヤスパースの考えははるかに洗練されている。仏教の起源と未来に向き合った能海の考えはそれなりに評価されるべきだが、宗教相互の軋轢を生む危うい側面も備えている。宗教学を重視するというのならば、自らの宗教を客観視することが必要であろう。
3.西北雲南での調査と能海寛シンポジウム
2018年9月12~19日に4名でチベットに近い西北雲南を訪ねた。能海は明治34年(1901)4月、金策尽きて四川省重慶から連れてきた付人を帰すにあたり、妻に宛てた手紙を託す。そこには「西北に向かって(チベット)内地をめざす」と書いてある。わたしたちは大理から麗江を経由して金沙江を越え、旧チベット領カム地方の南端にあたるデチェン・チベット族自治州のシャングリラ(中甸)、徳欽まで移動した。標高2,000~3,200mの高地であり、車での移動でさえ険しい道のりであった。一人チベットをめざした能海の労苦が偲ばれる。
12月1日には、本大学で能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムを開催し、私は雲南での調査と、『世界に於ける仏教徒』の口語訳の成果を発表した。このシンポジウムでは、『世界に於ける仏教徒』を読み解くことで、今まで取り上げられなかった能海の思想に踏み込むことができた。
《主要参考文献》
能海 寛(1998復刻)『能海寛遺稿』五月書房
江本 嘉伸(1999)『能海寛 チベットに消えた旅人』求龍堂
カール・ヤスパース(原著 1949 重田英世訳 1964)『歴史の起源と目標』理想社
Translation to the modern spoken Japanese and Review of "New Buddhist in the world"
written by NOMI Yutaka in 1893
MORI Ayaka
能海寛(のうみ ゆたか)は明治維新の直前、島根県浜田市の浄蓮寺に生まれた。廃仏毀釈の嵐によって仏教が衰退を余儀なくされ、キリスト教の勢力拡大に脅かされた明治期にあって、能海は「新仏教」のあり方を模索する。哲学館などで仏教学や語学などを学び、世界的な視野から旧仏教の革新を主張した。また、仏教の原点を探るため、当時鎖国中であったチベットへの入境をめざす。しかし3回にわたる挑戦もむなしく、雲南省の奥地で消息を絶つ。これまでの能海に関わる研究はこうした彼の事跡に係わるものが大半であり、能海の思想にまで踏み込んで考察するものは少ない。本研究では、能海の主著『世界に於ける仏教徒』(1893)を口語訳して、宇内一統宗教(世界統一宗教)をめざす能海の「新仏教」構想を明らかにし、その内容を批評する。
1.『世界に於ける仏教徒』の概要と批評
第1~2章は、世界は宗教大変動の時代であり、欧米諸国でのキリスト教の信仰は衰え始めているという指摘から始まる。これを踏まえ、宗教の革新が起こる理由や欧米仏教の現況について述べているが、ここからキリスト教を厳しく批判する文章が続く。また、旧仏教(従来の仏教)の堕落を嘆くとともに、新仏教がキリスト教にとって代わり、「宇内一統宗教」の大業を成就すると主張しているが、現実的には実現不可能な構想と評価せざるをえない。
第3~6章では、宗教学上、哲学上、歴史上、道徳上においての仏教について述べている。「仏教とキリスト教の優劣を決するにあたって、宗教学が役に立つ」「歴史上最強の仏教」などの問題発言が次つぎ出てくる。しかしながら、「仏教が宗教史上最強」などということはそもそも証明できるものではない。また、欧米の哲学者が評価するのは上座部(小乗)仏教である。小乗仏教こそ仏教の本流と唱えたマックス・ミューラーらの「大乗非仏説」に能海は反発し、サンスクリットやチベット大乗仏教などの研究を通して、ブッダの思想と大乗仏教を結びつけようと考えた。
第7章では、インドに仏教が起こってから東洋諸国に伝播したが、互いに交流がなかったため、各国においてどのような進歩をしてきたのか、どのような教義をもって今日に至ったのか明らかになっていないと述べる。これを実証するには仏教の比較研究が必要だとしている。諸国の仏典や訳本を比較することで、仏教の起源たる釈迦の思想を明らかにでき、仏教の統合が実現する。それが「宇内一統宗教」として世界に拡散していくという発想である。
第8~9章では、仏教の原語であるサンスクリットの学習と第二仏教国の探検を急務としている。前者は当然のこととして、後者については、中央アジアの植民地支配を大国が競いあう時代であったことと無関係に把握すべきではない。探検とはフィールドワークとほぼ同義であるけれども、それを最大の情報源とする民族学の分野は植民地支配の前提として発展してきた歴史的経緯がある。能海に資金提供した本願寺の側からみれば、中国大陸での布教の前提となる基礎情報を欲していたわけで、この場合の探検は、宗教的支配のための情報集めという側面を有することになる。
第10章~第16章では、まず他の宗教に比べて仏教徒の数は多いが、釈尊の入滅以来、南の小乗と北の大乗に隔絶していたため、今後は団結しなければならないと説いている。また、仏教一般について学ぶ仏教学校や、海外への宣教、仏典の翻訳など、仏教徒に必要なものを挙げて論じている。
ここまで旧仏教を批判してきた能海だが、第17~18章では、旧仏教を極端に破壊するのは顧みて考えることを要するとしている。「差別即ち平等、平等即ち差別なり」と述べ、各国や社会に対して仏教の制度や組織を異にすることは仏教の真理をますます発揚させるものと説く。明治22年(1889)には、大内青巒が井上円了らとともに、天皇崇拝に重きをおく仏教政治運動団体「尊皇奉仏大同団」を結成する。能海も本書で「仏教は日本の国粋」という類似の発言をしている。思想史的にみれば、「尊皇奉仏」という概念には矛盾が露呈している。仏教が史上最大の苦境に陥っている原因は王政復古にあったのを承知の上で、尊皇奉仏の宗教家たちは、神道に対する批判的な論調はいっさい隠しながら王政に与し、その矛先をキリスト教に向けたのである。こうした思想は、おそらく「個人の資質」以上に、王政復古の機運が宗教家たちに投影した「時代の資質」と呼ぶべきものと思われる。いずれにしても、明治維新の年に生まれた能海の宗教観と明治維新の思想的背景のかかわりを否定するのは難しい。
2.大内青巒の序とカール・ヤスパースからみる宗教観
能海の兄弟子筋にあたる大内青巒が『世界に於ける仏教徒』の序文を書いている。ごく短いものだが、『世界に於ける仏教徒』の内容にはほとんど触れていない。序文冒頭の「見色明心」と「門声悟道」の対句は有名な禅語で、小さな色(形)のちがいや、ちょっとした音声を、全身全霊五感をもって感じとることが悟りに近づく第一歩だと示唆している。そうしたミクロな次元に「世界」があるのだと青巒は言いたいのであろう。能海の羨望する海外=世界とは異なる次元で、自分の身の回りにも「世界」がある。それは時空無限の「世界海」である。欧米などの海外で通用する新仏教徒になることも大事であろうが、個人の生活世界に眼を見開け、聞き耳を立てよ、と諭している点、特異な序だと言わざるをえない。能海の主張に対する柔らかな批判とも受け取れるからである。
カール・ヤスパースは『歴史の起源と目標』(原著1949)のなかで、互いを容認しあう以外宗教に未来はないと考察している。ヤスパースの主張に従う限り、能海のいう「宇内一統宗教」などこの世に必要ないものである。能海の主張に比べれば、宗教の多様性を重んじるヤスパースの考えははるかに洗練されている。仏教の起源と未来に向き合った能海の考えはそれなりに評価されるべきだが、宗教相互の軋轢を生む危うい側面も備えている。宗教学を重視するというのならば、自らの宗教を客観視することが必要であろう。
3.西北雲南での調査と能海寛シンポジウム
2018年9月12~19日に4名でチベットに近い西北雲南を訪ねた。能海は明治34年(1901)4月、金策尽きて四川省重慶から連れてきた付人を帰すにあたり、妻に宛てた手紙を託す。そこには「西北に向かって(チベット)内地をめざす」と書いてある。わたしたちは大理から麗江を経由して金沙江を越え、旧チベット領カム地方の南端にあたるデチェン・チベット族自治州のシャングリラ(中甸)、徳欽まで移動した。標高2,000~3,200mの高地であり、車での移動でさえ険しい道のりであった。一人チベットをめざした能海の労苦が偲ばれる。
12月1日には、本大学で能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムを開催し、私は雲南での調査と、『世界に於ける仏教徒』の口語訳の成果を発表した。このシンポジウムでは、『世界に於ける仏教徒』を読み解くことで、今まで取り上げられなかった能海の思想に踏み込むことができた。
《主要参考文献》
能海 寛(1998復刻)『能海寛遺稿』五月書房
江本 嘉伸(1999)『能海寛 チベットに消えた旅人』求龍堂
カール・ヤスパース(原著 1949 重田英世訳 1964)『歴史の起源と目標』理想社
《参考サイト》
2018年度人間環境実習・演習B 中間発表
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1802.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1803.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1804.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1805.html
(5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1806.html
(6)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1807.html
2018年度人間環境実習・演習B 期末発表
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1850.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1851.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1852.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1853.html
(5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1854.html
雲のかなたへ-白い金色の浄土
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(10)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1916.html
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(12)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1918.html
(13)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1913.html
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(15)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1926.html
(16)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1931.html
奇跡の雪山-ブータンとチベットの七年間
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1938.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1939.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1940.html
二人の感想-ブータンから西北雲南の旧チベット領まで
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1925.html
「たくみ21」11月例会-学生たちの研究発表
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181214001/
「たくみ21」盛会-女子学生たちの研究発表
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1951.html
【明治150年】能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181217/
能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1955.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1958.html
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能海寛を読む
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大内青巒序-世界に於ける仏教徒(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1873.html
エドウィン・アーノルド詩-世界に於ける仏教徒(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1880.html
菅了法五言詩-世界に於ける仏教徒(3)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2009.html
2018年度人間環境実習・演習B 中間発表
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2018年度人間環境実習・演習B 期末発表
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雲のかなたへ-白い金色の浄土
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奇跡の雪山-ブータンとチベットの七年間
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二人の感想-ブータンから西北雲南の旧チベット領まで
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「たくみ21」11月例会-学生たちの研究発表
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「たくみ21」盛会-女子学生たちの研究発表
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【明治150年】能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告
http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20181217/
能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムの報告
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1955.html
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能海寛を読む
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1977.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1978.html
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(6)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html
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大内青巒序-世界に於ける仏教徒(1)
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エドウィン・アーノルド詩-世界に於ける仏教徒(2)
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菅了法五言詩-世界に於ける仏教徒(3)
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