テセウスの家(1)
入学式が今日(4日)終わった。今年度のキャンパスガイドや大学案内で強調したように、「大学は工学部だったが、高校時代の得意科目は世界史と英語で、大学在学中ずっと自分は文系なのではないか、という違和感を覚えていた。気がついたら文化財研究所で働いていて、いまはすっかり文系だと思っている。入学生諸君のなかにも自分は文系ではないか、と思っている人が少なからずいると思うが、人間環境プログラムには人文社会系の教員もちゃんといるので、無理して理系の卒論をやる必要はない。自分に素直になって文系の卒論に取り組んでください」という短いスピーチをした。
卒業
話を少し巻き戻したい。キプロス出張と重なってしまい、3月20日の卒業式を欠席した。卒業式は、学生にとって意義深い通過儀礼であり、感傷的な時間でありうる(冷めた学生もいる)。女子学生にとっては、結婚式ほどではないにせよ、おしゃれな衣装をアピールする場であるかもしれない。
一方、教師はどうかというと、毎年の定例行事であり、二十年近く同じ行動をリピートしているわけだから、特別な感情が湧いてくるほどではない。うんざりすることが一つある。冗長な祝辞だ。来賓の祝辞はありがたく拝聴しなければならないとしても、学内の幹部が独りよがりの長話をして、しばしば多くの聴講者を辟易させるのである。昨年はとくにひどかった。複数の教員が後でクレームを発した甲斐あって、今年はやや自重したらしいが、いくつかの情報筋によると、平凡な話だったそうである。その点、内田裕也の葬儀における娘(也哉子)さんの謝辞(弔辞)は素晴らしかった。プロの文筆家とは、あぁいうレベルの文章が書けないといけないんだ。とても敵わないね。
卒業式の場合、そうした儀式が終わって、ようやくゼミ単位での記念撮影になる。数枚の記念撮影。それで教師の役割はおしまい。学生にとって、ゼミ単位での記念撮影はさほど重要ではなく、むしろ多くの同級生や下級生との記念撮影にやっきになり、その後、衣装替えの休憩があり、謝恩会に流れていく。一方、教師はどうか。私の場合、会場に近い寺町の喫茶店「道」で昼をとり、食後に極道の打筋を学んでから下宿に戻る。まもなくシエスタの時間となり、夕方からゆっくり奈良に戻る。これがルーティーンである。
毎年そんなものだから、つまり卒業式において教師の役割は希薄この上ないから、今年は式を回避し、キプロスに飛ぶことにした。関空からドバイまで11時間、そこからさらに4時間半飛行機にのってラルナカ空港に着く。情けない話だが、そうした移動のなかでも卒業式のことが頭の中で点滅を繰りかえしていた。洋梨には洋梨なりの存在意義があるのではないか、という後ろめたさに苛まれていたのである。

万引き家族
長時間の飛行では映画鑑賞以外にほとんどやることがない。今回のエミレーツ便には800本余りの映画等が登録されていた。そのトップに日本映画が入っている。英語名 Shoplifters 。是枝裕和監督がカンヌ映画祭で最優秀賞を受賞した『万引き家族』である。一昨年の『君の名は。』は往復で5回、昨年の『関ヶ原』は2回、今年の『万引き家族』は4回みた。どの作品もDVD販売/レンタル前の視聴であり、有難いことである。
『万引き家族』の英訳が Shoplifters(万引き者たち)となっている点、つまり family という訳語を使っていない点は重要である。同居家族にみえる6人の人物にはいっさい血縁関係はなく、家は梁山泊のようなアジールであることが、おばあちゃん(樹木希林)の死後あきらかになっていく。血のつながりがあるようでまったくなく、情でつながっているか、といえば、じつはその裏側には金と犯罪の関係があり、とはいいながら、やはり互いに情はきっちり芽生えていた、というとても複雑な「絆」による世帯がそこに自生していた。樹木希林の存在感は圧倒的というほかない。最も印象的な海辺のシーンで、希林さんが安藤さくらの顔をみつめながら、「おねえさん、よくみると綺麗だね」と呟くシーンはアドリブであり、そのセリフをもとに脚本が書き換えられていったのだそうである。また、海辺ではしゃぐ「家族」をみつめながら、「こんなの長くは続かないよ・・・」と口走る場面はその後の展開を暗示することがすぐに読み取れた。
家族を研究室に置き換えようと試みた。絆をもって共同の研究目標に向かっていると思い込んでいるのは教師だけなのかもしれない。あれだけ良くしてあげたのに、一つの運命を共有したはずなのに・・・などと教師は思っている。しかし、実際に我々を結びつけていたのは「単位」であり、「金(飯や酒を奢ること)」であり、「卒業証書」であって、どこにも情などなかったのだろうかと勘繰りたくなるほど、ケジメのないばらばらの散開であった。その理由の疑念が拭えぬまま卒業式を回避し、キプロスに飛び立った。
卒業
話を少し巻き戻したい。キプロス出張と重なってしまい、3月20日の卒業式を欠席した。卒業式は、学生にとって意義深い通過儀礼であり、感傷的な時間でありうる(冷めた学生もいる)。女子学生にとっては、結婚式ほどではないにせよ、おしゃれな衣装をアピールする場であるかもしれない。
一方、教師はどうかというと、毎年の定例行事であり、二十年近く同じ行動をリピートしているわけだから、特別な感情が湧いてくるほどではない。うんざりすることが一つある。冗長な祝辞だ。来賓の祝辞はありがたく拝聴しなければならないとしても、学内の幹部が独りよがりの長話をして、しばしば多くの聴講者を辟易させるのである。昨年はとくにひどかった。複数の教員が後でクレームを発した甲斐あって、今年はやや自重したらしいが、いくつかの情報筋によると、平凡な話だったそうである。その点、内田裕也の葬儀における娘(也哉子)さんの謝辞(弔辞)は素晴らしかった。プロの文筆家とは、あぁいうレベルの文章が書けないといけないんだ。とても敵わないね。
卒業式の場合、そうした儀式が終わって、ようやくゼミ単位での記念撮影になる。数枚の記念撮影。それで教師の役割はおしまい。学生にとって、ゼミ単位での記念撮影はさほど重要ではなく、むしろ多くの同級生や下級生との記念撮影にやっきになり、その後、衣装替えの休憩があり、謝恩会に流れていく。一方、教師はどうか。私の場合、会場に近い寺町の喫茶店「道」で昼をとり、食後に極道の打筋を学んでから下宿に戻る。まもなくシエスタの時間となり、夕方からゆっくり奈良に戻る。これがルーティーンである。
毎年そんなものだから、つまり卒業式において教師の役割は希薄この上ないから、今年は式を回避し、キプロスに飛ぶことにした。関空からドバイまで11時間、そこからさらに4時間半飛行機にのってラルナカ空港に着く。情けない話だが、そうした移動のなかでも卒業式のことが頭の中で点滅を繰りかえしていた。洋梨には洋梨なりの存在意義があるのではないか、という後ろめたさに苛まれていたのである。

万引き家族
長時間の飛行では映画鑑賞以外にほとんどやることがない。今回のエミレーツ便には800本余りの映画等が登録されていた。そのトップに日本映画が入っている。英語名 Shoplifters 。是枝裕和監督がカンヌ映画祭で最優秀賞を受賞した『万引き家族』である。一昨年の『君の名は。』は往復で5回、昨年の『関ヶ原』は2回、今年の『万引き家族』は4回みた。どの作品もDVD販売/レンタル前の視聴であり、有難いことである。
『万引き家族』の英訳が Shoplifters(万引き者たち)となっている点、つまり family という訳語を使っていない点は重要である。同居家族にみえる6人の人物にはいっさい血縁関係はなく、家は梁山泊のようなアジールであることが、おばあちゃん(樹木希林)の死後あきらかになっていく。血のつながりがあるようでまったくなく、情でつながっているか、といえば、じつはその裏側には金と犯罪の関係があり、とはいいながら、やはり互いに情はきっちり芽生えていた、というとても複雑な「絆」による世帯がそこに自生していた。樹木希林の存在感は圧倒的というほかない。最も印象的な海辺のシーンで、希林さんが安藤さくらの顔をみつめながら、「おねえさん、よくみると綺麗だね」と呟くシーンはアドリブであり、そのセリフをもとに脚本が書き換えられていったのだそうである。また、海辺ではしゃぐ「家族」をみつめながら、「こんなの長くは続かないよ・・・」と口走る場面はその後の展開を暗示することがすぐに読み取れた。
家族を研究室に置き換えようと試みた。絆をもって共同の研究目標に向かっていると思い込んでいるのは教師だけなのかもしれない。あれだけ良くしてあげたのに、一つの運命を共有したはずなのに・・・などと教師は思っている。しかし、実際に我々を結びつけていたのは「単位」であり、「金(飯や酒を奢ること)」であり、「卒業証書」であって、どこにも情などなかったのだろうかと勘繰りたくなるほど、ケジメのないばらばらの散開であった。その理由の疑念が拭えぬまま卒業式を回避し、キプロスに飛び立った。
アプロディテの処罰
3月22日(金)午前、ラルナカ空港に着いた。ホテルに荷物を預け、郊外にある世界文化遺産「ヒロキティア」をめざす。新石器(無土器)時代、前7,000~4,000年ころの山上集落遺跡であり、おびただしい数の石積み円形住居跡がみつかっていて、麓の数棟は復元されている。いわゆるヒプシサーマルの時代に前後する遺跡であり、マルタの巨石建造物と時期的には併行関係にあるといっていいかもしれない。交通の不便なところで街との往復に骨を折った。
ラルナカの古城(歴史的市街地)はなかなか趣きがある。みやげものを買い歩いて咽喉が乾いたところに、エプロンを纏う美女の勧誘があり、そのまま軒下の椅子に腰かけ、ビールの大瓶を頼む。KEOというキプロスの地ビールはコクの深い味がする。それにしても、キプロスのマドンナたちの秩父には目を見張る。人類とは思えないサイズであり、さぞかし肩が凝るでしょう。
3月23日(土)は厄日であった。ラルナカから長距離バスに乗り、リムソール経由でパフォスに移動しようとしていた。その日から、キプロスは3連休(土・日・休日)であり、バスの本数が半減しているし、銀行は閉まっている。関空で換金したユーロは少なくなっていた。バスの出発まで2時間近くあったので、換金所を探した。20分ほど歩いて見つけはしたものの、「日本円は換えられないよ」という素っ気ない返事が待っていた(中国元ならできたかもしれない)。バス停のキオスクでATMのキャッシングを薦められた。カードでの支払いは慣れているが、キャッシングの経験はない。パスワードが同じとは限らないし、外国で使えないカードだってある。ともかく所持していた4枚のカードすべてでトライしたのだけれども、あえなく全敗・・・
途方にくれたが、カードでの支払いは可能なので、近くのカフェに入って早めの昼食をとった。食後に事件は発生した。2階にあるトイレに駆け上ろうとして、真っ暗な階段の一段目に蹴つまづき激しく転倒し、右足の膝、右手の肘、そして右眉の上の前頭部を強打した。それはそれは物凄い痛さで、叫声を堪えることができなかった。店のスタッフが集まってきて、氷をたっぷりいれたビニール袋をあてがわれた。氷で頭を冷やせと言われるが、スーツケースなどの荷物が多すぎて頭にまで手がまわらなかった。そうして泣き泣き長距離バスに乗りこみ、最後部の座席でようやく頭に氷をあてた。パソコン・マウスの半分ぐらいのたんこぶができて痛みがひかない。
ギリシア神話では、美と愛の女神アプロディテは海の泡から生まれ、キプロス島に降臨したことになっている。頭に氷袋をのせたままバスに揺られながら、アプロディテの処罰を受けたような気分になっていた。「卒業式をさぼる教師を戒めててやろう」。
二時間ばかりしてリムソールの停車場に着くと、そこにATMが付設してあった。わたしのカードは全敗したが、同行者もカードを1枚だけもっている。普段めったに使わない古いカードなので、パスワードを忘れてしまったらしいが、試してみることになった。一度め失敗、二度めも失敗、3度め・・・二十年ばかり前パスをつくるとしたらどんな番号がありえるか、そうだ、あれかもしれない、と想像をめぐらせ4桁のキーを押した。ブーッ、ブーッという激しいブザー音がなった。暗証番号3回で終了という拒否のブザーだとあきらめた瞬間、下をみるとユーロの札束が重なって出てきている。出金に成功したのだ。わたしたちはそこで400ユーロの現金を手にした。これでもう資金不足の不安は解消した。町のインフォーメーションでタクシーを呼んでもらい、目的地のパフォスまで快適な海岸線のドライブを楽しむことができた。
大きなたんこぶは一種の厄落としとなって、財政的に窮地に陥っていたわたしたちを救ってくれたのだ。それはまるで交通事故の直後に梅里雪山があらわれた幸運を彷彿とさせた。いずれも女神のシャクティのおかげだといえば愚かなオカルトだと嘲笑されるであろうか。
パフォスでは港にあるパフォス城をみて、まもなく近くのシーフード・レストランにしけこんだ。この晩もスタートはKEOから。本当に美味いビールだ。日本でいえば、サッポロ黒ラベルの大瓶を思わせる。あまりに美味いのでもう1本・・・冷菜はサラダとタコ、メインデッシュはサーディン(いわし)焼きとスカンピ(小エビ)のフライ。白ワインのほうが海鮮にはあっただろうが、酒精はKEOの2本で十分足りてしまった。
ホテルに戻り、院生ザキオ君のメールを受信した。卒業式の写真が添付されている。市松模様の振袖に黄色い袴。垢抜けている。その写真に自分が写っていないことを不自然に思った。【続】
3月22日(金)午前、ラルナカ空港に着いた。ホテルに荷物を預け、郊外にある世界文化遺産「ヒロキティア」をめざす。新石器(無土器)時代、前7,000~4,000年ころの山上集落遺跡であり、おびただしい数の石積み円形住居跡がみつかっていて、麓の数棟は復元されている。いわゆるヒプシサーマルの時代に前後する遺跡であり、マルタの巨石建造物と時期的には併行関係にあるといっていいかもしれない。交通の不便なところで街との往復に骨を折った。
ラルナカの古城(歴史的市街地)はなかなか趣きがある。みやげものを買い歩いて咽喉が乾いたところに、エプロンを纏う美女の勧誘があり、そのまま軒下の椅子に腰かけ、ビールの大瓶を頼む。KEOというキプロスの地ビールはコクの深い味がする。それにしても、キプロスのマドンナたちの秩父には目を見張る。人類とは思えないサイズであり、さぞかし肩が凝るでしょう。
3月23日(土)は厄日であった。ラルナカから長距離バスに乗り、リムソール経由でパフォスに移動しようとしていた。その日から、キプロスは3連休(土・日・休日)であり、バスの本数が半減しているし、銀行は閉まっている。関空で換金したユーロは少なくなっていた。バスの出発まで2時間近くあったので、換金所を探した。20分ほど歩いて見つけはしたものの、「日本円は換えられないよ」という素っ気ない返事が待っていた(中国元ならできたかもしれない)。バス停のキオスクでATMのキャッシングを薦められた。カードでの支払いは慣れているが、キャッシングの経験はない。パスワードが同じとは限らないし、外国で使えないカードだってある。ともかく所持していた4枚のカードすべてでトライしたのだけれども、あえなく全敗・・・
途方にくれたが、カードでの支払いは可能なので、近くのカフェに入って早めの昼食をとった。食後に事件は発生した。2階にあるトイレに駆け上ろうとして、真っ暗な階段の一段目に蹴つまづき激しく転倒し、右足の膝、右手の肘、そして右眉の上の前頭部を強打した。それはそれは物凄い痛さで、叫声を堪えることができなかった。店のスタッフが集まってきて、氷をたっぷりいれたビニール袋をあてがわれた。氷で頭を冷やせと言われるが、スーツケースなどの荷物が多すぎて頭にまで手がまわらなかった。そうして泣き泣き長距離バスに乗りこみ、最後部の座席でようやく頭に氷をあてた。パソコン・マウスの半分ぐらいのたんこぶができて痛みがひかない。
ギリシア神話では、美と愛の女神アプロディテは海の泡から生まれ、キプロス島に降臨したことになっている。頭に氷袋をのせたままバスに揺られながら、アプロディテの処罰を受けたような気分になっていた。「卒業式をさぼる教師を戒めててやろう」。
二時間ばかりしてリムソールの停車場に着くと、そこにATMが付設してあった。わたしのカードは全敗したが、同行者もカードを1枚だけもっている。普段めったに使わない古いカードなので、パスワードを忘れてしまったらしいが、試してみることになった。一度め失敗、二度めも失敗、3度め・・・二十年ばかり前パスをつくるとしたらどんな番号がありえるか、そうだ、あれかもしれない、と想像をめぐらせ4桁のキーを押した。ブーッ、ブーッという激しいブザー音がなった。暗証番号3回で終了という拒否のブザーだとあきらめた瞬間、下をみるとユーロの札束が重なって出てきている。出金に成功したのだ。わたしたちはそこで400ユーロの現金を手にした。これでもう資金不足の不安は解消した。町のインフォーメーションでタクシーを呼んでもらい、目的地のパフォスまで快適な海岸線のドライブを楽しむことができた。
大きなたんこぶは一種の厄落としとなって、財政的に窮地に陥っていたわたしたちを救ってくれたのだ。それはまるで交通事故の直後に梅里雪山があらわれた幸運を彷彿とさせた。いずれも女神のシャクティのおかげだといえば愚かなオカルトだと嘲笑されるであろうか。
パフォスでは港にあるパフォス城をみて、まもなく近くのシーフード・レストランにしけこんだ。この晩もスタートはKEOから。本当に美味いビールだ。日本でいえば、サッポロ黒ラベルの大瓶を思わせる。あまりに美味いのでもう1本・・・冷菜はサラダとタコ、メインデッシュはサーディン(いわし)焼きとスカンピ(小エビ)のフライ。白ワインのほうが海鮮にはあっただろうが、酒精はKEOの2本で十分足りてしまった。
ホテルに戻り、院生ザキオ君のメールを受信した。卒業式の写真が添付されている。市松模様の振袖に黄色い袴。垢抜けている。その写真に自分が写っていないことを不自然に思った。【続】