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風の谷 ポプジカ紀行(6)-第8次ブータン調査

プナカ・ゾンと男川・女川


プナカゾン再訪
 
 9月9日(月)、ブータン調査最終日です。ホテルを出てまず向かったのはブータンの城のなかでも随一の美しさを誇るプナカゾン(Punakha Dzong)です。17世紀にシャブドゥン・ガワン・ナムゲルによって建設された要塞(城郭)兼役所兼寺院の複合施設です。男川ポチューと女川モチューの合流点の中洲に造営され、行政の中心機関ばかりか、僧侶の修行でもありました。中にあるマチェ寺の内部には創始者であり、ブータンに最初の国家を築いたシャブドゥン(行政と宗教の合一的リーダ)の遺体が納められており、その祭場には国王や大僧正、管理者のみが入場を許されています。
 今回は時間が少なく、プナカゾンの内部には入りませんでしたが、最初に男川と女川の合流地点がよく見えるポケットパークから遠望し写真撮影しました。川の中洲にあるプナカゾンと対岸を繋ぐ屋根付橋までは行くことができました。橋から見たプナカゾンはとても美しく、マチェ寺も上部だけですが見ることができました。


0909プナカ・ゾン02(近距離)


ドチュラ峠のチョルテンを測る

 プナカからティンプーに戻る道中、6日にも訪れたドチュラ峠に行きました。標高は3040mで、かなり肌寒いです。プナカもティンプーもこの日の天気は晴れでしたが、ドチュラ峠は相変わらず雲のなかにあるのです。霧が晴れやすくなるのは11月で、その時はドチュラ峠からブータン最高峰のガンカル・ピンスム山を眺めることができるそうです。
 二度目のドチュラ峠では、2003年造営の群集ストゥーパの歩測組(先生・三年生2名)とそれに近接する古い壁状チョルテン(マニ・ダンリム)の平面図のスケッチ組(院生・四年生)に分かれて調査をおこないました。
 歩測では三段になっている群集ストゥーパの最上段及び最下段の縦×横(幅×長さ)を計測しました。最上段ではレーザー距離計を、最下段では歩測で測った結果、最上段は約46×13m、最下段の全長は約54×23mであることが分かりました。この丘陵状の場所に108棟の宝塔が同心円状に並んでいるのです。


0909ドチュラ峠02壁ストゥーパ真言
↑壁式チョルテンの真言  ↓アミターユス(Amitayus)
0909ドチュラ峠03壁ストゥーパ・アミタ―ユス


 壁式チョルテンにはゾンカ語で書かれた七文字の真言「オン・マニ・ペネ・ホン・クリー」が繰り返し記されています。「オン・マニ・ペネ・ホン」はチベット仏教の中で最も唱えられることの多い真言(マントラ)であり、中国側のカム地方(四川高原)では「オン・マニ・ペネ・ホン・シュー」の真言がメジャーであり、ブータンの「クリー」は先生も初耳のようで、ブータン独自の真言なのかもしれません。ガンテ寺門前の壁式チョルテンにも同様の真言が刻まれていましたが、ドチュラ峠の方が規則性のあるカラフルな文字でした。壁チョルテン両端の方形ストゥーパには無量光仏アミターユス(Amitayus)を祀っていました。


0909dochura壁チョルテン岡崎01


0909昼食01集合写真 0909カルマさんとの記念撮影01


邂逅-カルマ・プンツォ博士

 ティンプーまでもどり、再びインフュージョンで昼食をいただきました。ガマさんとも再会したのですが、それ以上のサプライズが待っていたのです。四年生のバレーさんの卒論の一部として『ブータンの歴史(THE HISTORY of BHUTAN)』という本の目次と前言の和訳に挑戦していたのですが、なんとその著者であるカルマ・プンツォ博士(Dr.Karma Phuntsho)をご招待してくださっていたのです。カルマ博士は大変愉快そうに饒舌にお話しされ、日本を訪れることや、中央ブータンにある廃寺の発掘調査などについて活発に情報交換がはかられました。先生は大変で、息つく暇なしの状態で、食事どころではなくなってしまい、わたしたちも緊張しながらも楽しい時間を過ごしました。
 昼食後、ガマさんからサフランティーやマニダル(五色旗)、絵葉書などのお土産を全員がいただきました。ブータンではガマさんのような多くの優しい方々に出会いました。おもてなしの心と細やかな気遣いがお国柄を表していると思います。
 レストランを出てティンプーの街中にある書店に行きました。マンダラや仏像などの資料集・写真集が大量に積み上げてあり、お店の一角を占めていました。先生はマンダラ・仏像の資料集、バレーさんはゾンカ語の辞書類など何冊か購入されていました。

14世紀?の遺構を再確認

 ティンプーからパロに移動中、6日に尋ねたネーフック遺産でいったん停車し、昨年調査した版築壁跡の残存を確認しました。昨年までただの空き地だったこの場所ですが、保全的再開発が進んでおり、重要な遺構も失われたのではないかと危惧していましたが、ほっと一安心です。こちらの土壁中サンプルは心材ではありますが、14世紀を示しており、歴史上重要な遺構であるのはまちがいありません。以下に結果を再録しておきます。このままの状態が存続することを祈るばかりです。

①パロ地区シャヴァ村建物跡ポイントB(壁中の炭化材)
 1312-1359 cal AD (信頼限界59.5%) および1387-1415 cal AD (35.9%)
  →14世紀前半~15世紀前半
 調査状況は以下のサイトを参照してください。【続】
  http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1891.html 


一部残った土壁


《参考サイト》
風の谷 ポプジカ紀行-第8次ブータン調査
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2094.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2108.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2115.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2095.html
(5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2109.html
(6)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2099.html
(7)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2118.html
(8)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2100.html

風に吹かれて-第7次ブータン調査
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1883.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1888.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1881.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1886.html
(5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1892.html
(6)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1891.html
(7)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1895.html
(8)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1900.html
(9)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1896.html
(10)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1899.html
(11)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1893.html

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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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