魏志倭人伝を読む(2)
正式に輪読と口語訳が始まりました。10月24日(木)は1年生が後漢書倭伝を3名が読みました。以下に訳文を掲載します。
後漢書倭伝(一)
倭は三韓【注1】の東南側の大海にあり、山(の多い)島に住まいを構えて暮らしています。およそ百余国あまり。前漢の第七代武帝(在位 前140-87)が朝鮮を滅ぼしてから、使者や通訳【注2】を送ってきて交流のある国は三十国ほどになりました。
倭の諸国はどこでも王と称する者がおり、世襲しています。その(リーダーである)大倭王は邪馬台国にいます。楽浪郡(今のピョンヤン周辺)は邪馬台国から一万二千里、倭の西北境にあたる狗邪韓国(後の加羅・任那)から七千里あまり離れています。その地は、おおむね会稽東冶【注3】の東にあたります。朱崖・儋耳(今の海南島)とも互いに近いので、法や習俗も似たところが多いのです。
倭の土壌は禾稲(かとう=イネ)、麻紵(まちょ=アサ)【注4】や養蚕用の桑に適しています。機織りを知り、絹布を作っています。白い真珠や青玉(ヒスイ)を産出し、山には丹土(赤土顔料)があります。気候は温かで穏やか、冬も夏も野菜が採れ、牛・馬・虎・豹・羊・コマガラス(高麗烏)【注5】はいません。武器には矛・楯・木弓・竹弓があり、鏃(やじり)は(鉄製だけでなく)骨製のものもあります。
男子はみな顔と体に刺青(入墨)しており、体の刺青の左右の位置と大きさで身分の高低を区別します。男子の衣服は、横幅の広いもので【注6】、布を結び束ねています。女は髪を束ね髷を結います。衣服は単衣(ひとえ)で、頭の部分に穴をあけて(頭を貫き出し)着ています【注7】。みな赤い顔料で化粧していますが、それは中国で白粉(おしろい)を使って化粧するようなものです。
村を囲む柵と地上建物【注8】があります。父母と兄弟は住むところを別にしています。ただし、寄合所の場合は男女を別にしません。飲食には手を使い、高坏(たかつき)を用います。習俗は、みな裸足。膝をついて中腰(蹲踞)でもてなし、敬意を表します。人は生まれつきの酒好きです。多くは長寿で、百歳以上の人もたくさんいます。国には女子が多く、高位者は妻が4~5人、それ以外の者でも妻が2~3人います。女は淫らでなく嫉妬しません。盗みを働く人はなく、訴え事も少ない。 罪を犯した者は妻子を没収し、罪の重い者は一族すべてを滅ぼします。
人が死ぬと、喪に服すること十日あまり、家人はわめき泣き続け、酒食を控えます。その後、親類縁者がやってきて、歌舞し音楽を奏でます。骨を焼いて占いをし、吉凶を判断します。旅に出たり海を渡るときには、一人の人物を選び、髪を梳くことも沐浴することもさせず、肉も食わせず女性を近づけさせません。この人を持衰(じさい)といいます。もし道中にご利益があったとすれば(持衰に)褒美を与え、もし病気になったり災いが生じたりすると、「持衰が禁欲しなかったから」だとして、みなで持衰を殺してしまいます。
後漢書倭伝(一)
倭は三韓【注1】の東南側の大海にあり、山(の多い)島に住まいを構えて暮らしています。およそ百余国あまり。前漢の第七代武帝(在位 前140-87)が朝鮮を滅ぼしてから、使者や通訳【注2】を送ってきて交流のある国は三十国ほどになりました。
倭の諸国はどこでも王と称する者がおり、世襲しています。その(リーダーである)大倭王は邪馬台国にいます。楽浪郡(今のピョンヤン周辺)は邪馬台国から一万二千里、倭の西北境にあたる狗邪韓国(後の加羅・任那)から七千里あまり離れています。その地は、おおむね会稽東冶【注3】の東にあたります。朱崖・儋耳(今の海南島)とも互いに近いので、法や習俗も似たところが多いのです。
倭の土壌は禾稲(かとう=イネ)、麻紵(まちょ=アサ)【注4】や養蚕用の桑に適しています。機織りを知り、絹布を作っています。白い真珠や青玉(ヒスイ)を産出し、山には丹土(赤土顔料)があります。気候は温かで穏やか、冬も夏も野菜が採れ、牛・馬・虎・豹・羊・コマガラス(高麗烏)【注5】はいません。武器には矛・楯・木弓・竹弓があり、鏃(やじり)は(鉄製だけでなく)骨製のものもあります。
男子はみな顔と体に刺青(入墨)しており、体の刺青の左右の位置と大きさで身分の高低を区別します。男子の衣服は、横幅の広いもので【注6】、布を結び束ねています。女は髪を束ね髷を結います。衣服は単衣(ひとえ)で、頭の部分に穴をあけて(頭を貫き出し)着ています【注7】。みな赤い顔料で化粧していますが、それは中国で白粉(おしろい)を使って化粧するようなものです。
村を囲む柵と地上建物【注8】があります。父母と兄弟は住むところを別にしています。ただし、寄合所の場合は男女を別にしません。飲食には手を使い、高坏(たかつき)を用います。習俗は、みな裸足。膝をついて中腰(蹲踞)でもてなし、敬意を表します。人は生まれつきの酒好きです。多くは長寿で、百歳以上の人もたくさんいます。国には女子が多く、高位者は妻が4~5人、それ以外の者でも妻が2~3人います。女は淫らでなく嫉妬しません。盗みを働く人はなく、訴え事も少ない。 罪を犯した者は妻子を没収し、罪の重い者は一族すべてを滅ぼします。
人が死ぬと、喪に服すること十日あまり、家人はわめき泣き続け、酒食を控えます。その後、親類縁者がやってきて、歌舞し音楽を奏でます。骨を焼いて占いをし、吉凶を判断します。旅に出たり海を渡るときには、一人の人物を選び、髪を梳くことも沐浴することもさせず、肉も食わせず女性を近づけさせません。この人を持衰(じさい)といいます。もし道中にご利益があったとすれば(持衰に)褒美を与え、もし病気になったり災いが生じたりすると、「持衰が禁欲しなかったから」だとして、みなで持衰を殺してしまいます。
【注】
1)魏志倭人伝では「帯方」とするが、范曄は魏志を模倣しつつ、後漢に帯方郡の存否が不祥なため「韓」という曖昧な表現に変えている。ただ、韓といっても馬韓・弁韓・辰韓のどれにあたるか不明なので、ここでは「三韓」と訳した。
2)原文「駅」は「訳」の誤植。
3)会稽東冶(かいけいとうや): この四文字を「会稽と東冶」と読めば、前者が浙江省紹興、後者は福建省福州あたりの二つの地名をあらわすが、「東冶」を「東治」の誤りとして、「会稽の東を治むところ」とすれば、会稽東治の四文字で浙江省寧波とみるべき。これについては、魏志倭人伝(一)注18を参照。
4)紵(いちび)は麻の一種。

5)原文「鵲」: カササギ(Pica pica)、別名コマガラス。鳥綱スズメ目カラス科の一種。帯方郡や楽浪郡の置かれた「高麗」すなわち朝鮮半島中北部にいるカラスが西日本(倭)にいないことを強調したものと思われる。

6)倭人の男性衣装については解釈が難しい。「結び束ねる」を布の端を結びあわせるとみるか、紐を巻きつけるとみるか。マサイ族(ケニヤ~タンザニア)の外套のような一枚布の可能性とともに、二枚布をあわせたカレン族(ミャンマー)のような服装(↓)の可能性の両方が想定される。魏志倭人伝(二)の注19参照。

7)いわゆるポンチョ(貫頭衣)。注6のカレン族の衣装は二枚布による貫頭衣とも言える。

8)原文「屋室」: 「窟室」「穴居」などあなぐら住まいに対置する概念。倭には地上に建つ掘立柱建物が多かった。

《連載情報》魏志倭人伝を読む
(1)漫画と文献で読む魏志倭人伝
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2113.html
(2)後漢書倭伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2119.html
(3)魏志倭人伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2125.html
(4)後漢書倭伝(二)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2131.html
(5)魏志倭人伝(二)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2134.html
(6)魏志倭人伝(三)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2153.html
(7)宋書倭国伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2155.html
青谷上寺地遺跡を訪ねて
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2157.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2158.html
魏志倭人伝の新しい解釈-田中章介先生講演会
( 予報1 )http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2132.html
( 予報2 )http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2140.html
(レポート)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2156.html
(大学HP)http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2019/20191223/
1)魏志倭人伝では「帯方」とするが、范曄は魏志を模倣しつつ、後漢に帯方郡の存否が不祥なため「韓」という曖昧な表現に変えている。ただ、韓といっても馬韓・弁韓・辰韓のどれにあたるか不明なので、ここでは「三韓」と訳した。
2)原文「駅」は「訳」の誤植。
3)会稽東冶(かいけいとうや): この四文字を「会稽と東冶」と読めば、前者が浙江省紹興、後者は福建省福州あたりの二つの地名をあらわすが、「東冶」を「東治」の誤りとして、「会稽の東を治むところ」とすれば、会稽東治の四文字で浙江省寧波とみるべき。これについては、魏志倭人伝(一)注18を参照。
4)紵(いちび)は麻の一種。

5)原文「鵲」: カササギ(Pica pica)、別名コマガラス。鳥綱スズメ目カラス科の一種。帯方郡や楽浪郡の置かれた「高麗」すなわち朝鮮半島中北部にいるカラスが西日本(倭)にいないことを強調したものと思われる。



6)倭人の男性衣装については解釈が難しい。「結び束ねる」を布の端を結びあわせるとみるか、紐を巻きつけるとみるか。マサイ族(ケニヤ~タンザニア)の外套のような一枚布の可能性とともに、二枚布をあわせたカレン族(ミャンマー)のような服装(↓)の可能性の両方が想定される。魏志倭人伝(二)の注19参照。

7)いわゆるポンチョ(貫頭衣)。注6のカレン族の衣装は二枚布による貫頭衣とも言える。

8)原文「屋室」: 「窟室」「穴居」などあなぐら住まいに対置する概念。倭には地上に建つ掘立柱建物が多かった。


《連載情報》魏志倭人伝を読む
(1)漫画と文献で読む魏志倭人伝
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(2)後漢書倭伝(一)
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(3)魏志倭人伝(一)
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(4)後漢書倭伝(二)
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(5)魏志倭人伝(二)
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(6)魏志倭人伝(三)
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(7)宋書倭国伝(一)
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青谷上寺地遺跡を訪ねて
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2157.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2158.html
魏志倭人伝の新しい解釈-田中章介先生講演会
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( 予報2 )http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2140.html
(レポート)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2156.html
(大学HP)http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2019/20191223/