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魏志倭人伝を読む(3)

 10月31日(木)からは2年生が魏志倭人伝の口語訳に着手しました。

魏志倭人伝(一)

 倭人は帯方郡【注1】東南側の大海の中におり、山(の多い)島にあって国や邑(むら)を形づくっています。昔は百国あまりでした。前漢のとき朝見する者がいました【注2】。今は使者や通訳を遣わして交流のあるところは三十国。帯方郡から倭に至るには、海岸に沿って船で進み、韓の国【注3】を経て南に行ったり東に行ったりして、(倭の)北岸にあたる狗邪韓国【注4】に至るまで七千里あまりです。最初に海をひとわたりして千里あまり進むと対馬国に至ります。長官はヒコ(卑狗)といい、副官をヒナモリ(卑奴母離)といいます。人びとが暮らす場所は絶壁の島で、四方の一辺は約四百里あまりでしょう。土地は山が険しく、深い林が多く、道路は獣径(けものみち)のようです。世帯数は千戸あまり。良い水田はなく、海産物を食べて自活しています。船に乗って南北(の国々)と交易しています。さらに南の海をひとわたりして千里あまり進みます。この海峡を「瀚海」【注5】といいます。一支(壱岐)国に至ります。長官はやはりヒコといい、副官をヒナモリといいます。四方の一辺は三百里ばかりで、竹薮や叢林が多い。三千戸くらいの家があります。少しばかり田畑はありますが、田を耕しても住民を養うにはなお足らないので、やはり南北(の国々)と交易しています。
 さらに海峡をわたって千里あまり進むと末盧国【注6】に至ります。世帯数は四千戸あまり。山と海(の地形)にあわせて暮らしています。草木が繁茂し、歩いて行っても前の人が見えません。魚や鰒(あわび)を採るのを好み、水が深かろうと浅かろうとみな潜水して魚貝を採取します。東南方向に陸地を五百里行けば伊都国【注7】に至ります。長官をニキ(爾支)といい、副官をシマコ(泄謨觚)、イモコ(柄渠觚)といいます。世帯数は千戸ばかり。代々王がいますが、どの王も女王国に服属していました。帯方郡の使者が(邪馬台国と)行き来する際、常にこの地で宿泊します。東南方向に百里行けば奴(な)【注8】に至ります。長官をシマコ(兕馬觚)、副官をヒナモリといいます。二万戸ばかりの家があります。東方向に百里行けば不弥国【注9】に至ります。長官をタモ(多模)、副官をヒナモリといいます。千戸ばかりの家があります。
 南方向に二十日水行すれば投馬(つま)【注10】へ至ります。長官をミミ(弥弥)、副官をミミナリ(弥弥那利)といいます。五万戸ばかりの家があります。
 南にある邪馬台国、すなわち女王の都する所まで行くには、船に乗って十日水行し、さらに陸を歩いて一月かかります。長官はイキマ(伊支馬)、次官はミマト(弥馬升)といい、さらにその次席の役人をミマワケ(弥馬獲支)といい、さらにそのまた次席をナカデ(奴佳鞮)といいます。七万戸ばかりです。女王国より北【注11】については、戸数や距離をおおまかに記載できますが、それ以外の周辺の国々は遠すぎて詳しくはわかりません。
 (女王国より南側は)まず①斯馬国があり、以下②己百支国、③伊邪国、④都支国、⑤弥奴国、⑥好古都国、⑦不呼国、⑧姐奴国、⑨対蘇国、⑩蘇奴国、⑪呼邑国、⑫華奴蘇奴国、⑬鬼国、⑭為吾国、⑮鬼奴国、⑯邪馬国、⑰躬臣国、⑱巴利国、⑲支惟国、⑳烏奴国と続き、最後に奴国に至ります。奴国が女王国の境界が尽きるところです。

 奴国の南に狗奴(くな)【注12】があり、男子を王としています。その長官にキクチヒコ(狗古智卑狗)がいます。女王に服属しません。帯方郡から女王国までの総距離は一万二千里あまりです。男子は地位の高低にかかわらず、顔や体に入墨【注13】をしています。昔から倭の使者が中国にやってくると、みな大夫(国の大臣)だと自称します。夏后少康【注14】の子孫が会稽(今の浙江省紹興)に領地を与えられていますが、(その越人たちは)髪の毛を短くし体に入墨して【注15】、蛟龍【注16】を追い払います。いま倭の水人は潜水して魚や蛤を採るのを好み、入墨して大魚・水禽を遠ざけます【注17】。だんだん入墨は飾りになってしまいました。(倭の)諸国の入墨はそれぞれ異なり、体の左にする者もあれば右にする者もあり、大きな入墨もあれば小さい入墨もあって、それで地位の尊卑を示しています。倭まで距離を計るとそこは会稽東冶【注18】の東にあたるはずです。


【注】

 1)後漢末に公孫康が設けた中国領の朝鮮の郡。黄海・京畿両道の地で中心は帯方県(現在のソウル付近)。
 2)『漢書』地理誌・燕地の条に「楽浪海中に倭人あり、分ちて百余国と為し、歳時をもって来たりて献見すと云う」とみえる。これが文献上の倭の初見である。燕は今の遼寧省あたりに存在した春秋戦国時代の国で朝鮮半島の付根にあたる。

戦国時代 燕

 3)三韓のうち帯方郡に近い西岸側の馬韓(後の百済)と思われる。

三国(魏・呉・蜀)と倭 220-265 3世紀の東アジア

 4)朝鮮半島南端の弁韓(後の加羅・任那)か。原文の「北岸」を注7のような南北の方位反転とみることもできるが、むしろこの地を倭の「北岸」とみなしていた可能性がある(↓に加羅・任那と会稽の位置を示す)。

南朝宋

 5)瀚海は対馬海峡玄界灘にあたる
 6)現在の長崎県松浦半島、唐津のあたり。
 7)現在の福岡県糸島半島。糸島半島は松浦半島の東北にあたるので原文の「東南」と南北が反転している。以後もしばらく南北反転の記載が続くが、すべての記載で南北が反転しているわけではない。中世アジアの地図「混一疆理歴代国都之図」(1402)では北海道をのぞく日本列島を南北反転して描いており、こうした方位観が古代に遡る可能性が十分あるだろう。

北九州の国ぐに 北九州の国ぐに02 混一疆理歴代国都之図(1402)龍谷大学蔵

 8)福岡市那の津付近。伊都国の「東南」と原文にあるが、やはり地理的には東北にあたり、南北が反転している。志賀島で「漢倭奴国王」金印が出土したことで知られる。この金印については、『後漢書』光武帝本紀に「(中元二年正月)東夷倭奴国王、使を遣わして奉献す」、同書安帝本紀にも「(永初元年)冬十月、倭国、使を遣わして奉献す」とあり、これらの記載に対応する。

金印

 9)ウミ国と読めば、海神をまつる宗像神社あたりが想定される。

宗像神社001

 10)投馬国については、瀬戸内海の鞆の浦や須磨に比定する説もあるが、原文の「南水行二十日」の「南」は前後の文章からやはり南北反転とみなすべきであり、日本海を北上して水行二十日でたどり着く可能性のある出雲(イズモ)が妥当であろう。

出雲つま01 出雲つま02

 11)ここにいう「北」も南と読むべきであり、後続する邪馬台国以南の斯馬国から奴国までの20の小国群をさすものと思われる。これらの小国の位置比定は不可能であり、以下原文の国名を示すにとどめる。注に推定地を示すこともしない。
 12)狗奴国のクナは音声上「熊」に通じており、熊襲(クマソ)の祖先たちであろう。九州中南部には熊本、球磨川などクマの音声を含む地名が少なくない。なお、『漢書』地理志呉地の条に「会稽海外に東鯷人あり、分ちて二十余国と為し、歳時をもって来たりて献見すと云ふ」とみえ、この東鯷人を阿蘇山周辺の熊襲とみる意見もある(鯷は大ナマズの意)。

クナ国001 クナ国002asa

 13)原文「鯨面文身」:鯨面が顔の入墨、文身が体(とくに胸部)の入墨。
 14)夏后少康は夏王朝中興の第七代王。その子孫が会稽周辺に移封されて「越」人となったと書きたいのであろうが、「越」の国名はどこにもみえないし、文章内容自体史実とは考え難い。ちなみに、春秋時代の国名では、長江下流域の北側(今の江蘇)が「呉」、南側(今の浙江)が「越」にあたり、会稽周辺の越の地は「山陰」とも呼ばれた。

呉越 春秋時代

 15)原文「断髪文身」:断髪とはスキンヘッドか、角刈りか?
 16)原文「蛟龍」はウミヘビなどの猛魚の類をさす。
 17)原文「大魚水禽」もまたサメやウミヘビなどの猛魚・海獣の類をさす。越と倭の水人(後のアマ・蛋民)の入墨と潜水漁の共通性を強調している。
 18)原文「会稽東冶」: 会稽は浙江省紹興でよいとして、東冶(とうや)とはさてどこか。これを福建省福州あたりとみる説とともに、「東冶」を「東治」の誤りとして、「会稽の東を治むところ」とすれば、会稽東治の四文字で浙江省寧波とみる説もある。いずれにしても、浙江~福建沿岸の東方に倭があるなら、それは九州だとして「邪馬台国九州説」の根拠とみなすこともできるが、前出「混一疆理歴代国都之図」では日本列島が南北反転しており、寧波の東方は本州にあたる。魏志倭人伝本文の直前に登場する狗奴国(九州中南部)であれば、会稽東治の東側で地理的な矛盾は少なくなる。

かいけいとうや



《連載情報》魏志倭人伝を読む
(1)漫画と文献で読む魏志倭人伝
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2113.html
(2)後漢書倭伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2119.html
(3)魏志倭人伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2125.html
(4)後漢書倭伝(二)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2131.html
(5)魏志倭人伝(二)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2134.html
(6)魏志倭人伝(三)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2153.html
(7)宋書倭国伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2155.html

青谷上寺地遺跡を訪ねて
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2157.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2158.html

魏志倭人伝の新しい解釈-田中章介先生講演会
( 予報1 )http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2132.html
( 予報2 )http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2140.html
(レポート)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2156.html
(大学HP)http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2019/20191223/

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No title

魏志倭人伝を言語学の観点から網羅的に考察した(おそらく唯一の?)記事(下記リンク参照)がありますが、凡百の邪馬台国本などと異なり科学的な内容となっています。
また、この記事の方のyoutubeチャンネルにはより新しい知見を取り入れた動画がありますので、大変参考になるかと思われます。
https://togetter.com/li/1648850

御礼

コメントありがとうございます。
参考にさせていただきます。
このブログの連載は1・2年生の演習成果ですので、温めにみてやってください。
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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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