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魏志倭人伝を読む(4)

 11月21日(木)は1年生が後漢書倭伝の後半を口語訳し、同伝の輪読を終了しました。

後漢書倭伝(二)

 初代光武帝の建武中元二年(西暦57年)、倭の奴(な)国が貢ぎ物をもって朝賀(皇帝に面会)しました。使者は自ら大夫(国の大臣)だと名乗りました。倭の諸国のいちばん南の境界です。光武帝は(奴国の使者に)金印を授けました【注9】
 第六代安帝の永初元年(西暦107年)、倭の国王、師升らが60人の奴隷を献上し、皇帝への朝賀を願い出ました。第11代桓帝から第12代霊帝にいたる間(西暦147~189年頃)、倭国はおおいに乱れ、国々が入れ替わるように戦いあい、そのあいだずっと国王はおりませんでした。卑弥呼という名の一人の女性がいました。年をとっても嫁がず、鬼神の道(シャーマニズム的な宗教)につかえ、妖術で民衆を惑わします。
 ここに及んで、(倭の諸国が)共同で卑弥呼を倭の王としたのです。侍者や奴婢は千人。卑弥呼をみた者はほとんどいません。ただ男子が一人いて、食事や飲物を運び、卑弥呼のお言葉を伝えました。(卑弥呼)の住んでいる宮室・楼観(ものみやぐら)・城柵(囲塀)【注10】はみな武器を持って守衛し、法と慣わしは厳格でした。
 女王国から東【注11】方向に海を千里あまり渡れば、狗奴(くな)国に至ります。狗奴国の人たちも倭種ではありますが、女王には服属しませんでした。
 女王国から南【注12】に四千里あまり行くと朱儒国(小人国)に至ります。身の丈は三~四尺。朱儒から東南へ船で一年進めば、裸国・黒歯国に至ります。使者や通訳【注13】がやってくるのはこのあたりが限界です。
 会稽(今の浙江省紹興)の海の外に東鯷人【注14】がおり、二十国あまりに分かれています。また、夷洲および澶洲【注15】があります。(これらの島々については)、「秦の始皇帝が、方士(神仙の修行者)である徐福【注16】を派遣して、老若男女数千人をひきつれて海に入り、蓬莱島の神仙をもとめさせたが、それを見つけることはできなかった。徐福は誅殺をおそれて帰国することはせず、結局その島にとどまった」という伝説があります。
 徐福の末裔の人びとは会稽に出向く時もあり、交易をしました。会稽郡の東冶(とうや)の県人【注17】で、海に入り風にあおられ、澶洲に着岸する者もいます。徐福らの所在地は気がとおくなるような僻遠にあり、往来できるようなところではありません。【完】


【注】

  9)魏志倭人伝(一) 注8)参照。
 10)原文「居処宮室楼観城柵」: 「居処・宮室・楼観・城柵」として4種類の建築物を並列させて読む説と「居るところの宮室・楼観・城柵」と読む説の両方がある。本稿では後者に従う。
 11)東では狗奴国が関東方面になるので、「西」の間違いか?
 12)ここの「南」も南北反転の可能性あり。
 13)原文「使駅」: 「駅」は「訳」の誤字。後漢書倭伝(一) 注2) 参照。
 14)『漢書』地理志・呉地条「会稽海外に東鯷人あり、分ちて二十余国と為し、歳時をもって来りて献見すという」の引用。これには以下の二つの解釈が可能であろう。①東鯷を倭とみる見方。②東鯷を九州もしくは狗奴国とみる見方。
 15)夷洲・澶洲については場所を特定できないが、日本列島のほか済洲島、舟山群島、台湾、琉球などが候補として想定される。
 16) 徐福伝説: 『史記』淮南衡山列伝によると、方士の徐福秦が始皇帝に「東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛州)に長生不老の霊薬がある」と報じたことで、始皇帝の命を受け、3,000人の若い男女と多くの技術者を従え東方に船出した。しかし、渤海の先にある三神山には到らず、秦には戻らなかったという。徐福渡来伝説のある場所は和歌山・佐賀などの日本国内だけなく、朝鮮半島などにも少なくない。
 17)「東冶」については、魏志倭人伝(一) 注18)を参照。本稿では、「東治」の誤字であり、紹興の東を治める行政区である寧波に比定したい。

《連載情報》魏志倭人伝を読む
(1)漫画と文献で読む魏志倭人伝
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(2)後漢書倭伝(一)
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(3)魏志倭人伝(一)
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(4)後漢書倭伝(二)
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(5)魏志倭人伝(二)
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(6)魏志倭人伝(三)
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(7)宋書倭国伝(一)
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青谷上寺地遺跡を訪ねて
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魏志倭人伝の新しい解釈-田中章介先生講演会
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(大学HP)http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2019/20191223/

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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