四川高原-ストゥーパの旅(1)


今夏、令和元年度公立鳥取環境大学特別研究費助成「四川高原カム地区のチベット仏教と能海寛の足跡に係る予備的調査研究」の一環として、8月20日~27日、中国四川省甘孜藏(ギャンツェ・チベット)族自治州を訪問し、仏教遺産の調査をおこないました。参加メンバーは、日本側は教授と私、中国側からは昨年の西北雲南で同行した雲南民族大学の何大勇教授、さらに四川省民族研究所助理研究員の韓正康さんの計4名です。韓さんはチベット族で、専門は言語民族学。おもに四川省西南地方を調査されています。ドライバーは色達在住のチベット族、マニさん。マニさんもチベット族で、もちろんチベット文字を読むことができます。マニタイなどの情報を多く提供してくれました。
いま私は修士論文研究として、チベット仏教のストゥーパと日本の宝塔・多宝塔の比較研究に取り組んでいます。今回のブログでは、おもにストゥーパやマニタイを中心に今回の調査をまとめていきます。
瀘定橋
8月21日(水)。20日に関空から成都へと一飛びし、この日から調査を開始しました。成都からギャンツェ地区に向かう途中、瀘定県で「瀘定橋」(1706年竣工)を見学しました。大渡河を渡る吊り橋です。かつては四川とチベットをつなぐ唯一の橋であり、能海寛が遺稿のなか橋を渡ったという記録を残しています。もともと、主に茶葉の貿易のために造られたものだそうです。瀘定橋は紅軍(共産党)が長征中に国民党と争った場としても有名で、何大勇さんの話では、蒋介石(国民党)がこの鉄橋の板を外して紅軍が通れないようにしたが、毛沢東はそれを乗り越えてなんとか横断に成功し、国民党から瀘定橋を奪ったのだそうです。
近くには、「倣古街」という古い町並みを再現した市場があり、とても活気がありました。ほかにも、道に沿って多くの商店が軒を連ね、果物や野菜を売っています。ここで、いつもとおり、松茸を購入しました。


↑倣古街


甘孜県博物館
その後、ギャンツェ・チベット族自治州北西部の甘孜県に至り、甘孜県博物館を訪問しました。2~3年前に新築されたばかりの真新しい展示施設で、ここではマニタイや仏間などチベット仏教に関する展示物が多くあり、フィールドに入る前に多くの知識を得ることができ、興味深かったです。


マニタイは真言をカラフルに刻んだ板石をマウンド状に積み上げたものです。展示されているマニタイには、タルチョ(経典旗)を3本立てていました。マニタイは調査の主要目的のひとつであり、内蒙古出身の嘎嘎嘎さんが卒論でモンゴルのオボーとの比較研究に取り組んでおり、早い段階で知識を得ることができて良かったです。


最後に康定の安覚寺を訪れました。安覚寺はゲルク派の僧院です。1652年、ダライ・ラマ5世が選地し建立されました。境内には仏殿が2棟あり、第一仏殿には正面左から、グルリンポチェ・三十三観音(前にパンチェンラマ9世と10世の写真が並ぶ)・ツォンカパ(ゲルク派開祖)・獅洪如来が並びます。両側の壁には、せん仏が無数に並びます。一方、第二仏殿には、中心に高さ3mばかりの弥勒菩薩が安置され、その両側にはやや小さいチベット式ストゥーパが1基ずつ置かれています。安覚寺は珍しく写真撮影が許可されたので、とても貴重なデータを得ることができました。【続】


【連載情報】四川高原-ストゥーパの旅
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