四川高原-ストゥーパの旅(5)


道孚県の白塔とマニタイ
8月25日(日)。宿泊した道孚のホテルから車に乗り、街を出てすのところで、白塔(ストゥーパ)を発見しました。近くには大きな川が流れています。白塔最下段の基壇は8,900㎜四方で、高さはおよそ4mです。下側の2段のテラスに小振りなストゥーパが群をなして、中央の白塔を取り囲んでいます。寺院とは独立した単独のストゥーパであり、道孚の街を守護するために設置されたものだということです。寺院正面の離れた位置にストゥーパをおくのと同じ空間構造を、街(都市・集落)に対しても読みとれると思いました。


このストゥーパを中心とする境内の隅にマニタイを確認できました。白塔基壇からの距離はわずか2.25mです。マニタイは街の守護とは無縁です。ドライバーのマニさん(チベット族)によれば、このマニタイは、風水的に理想的な場所にあるストゥーパの聖域に設置したものであり、多くは住居周辺に置き場所がない人びとが積んでいっているのだそうです。一枚の板石に真言を刻むのは一世帯に対応し、それは祖先を供養するためであったり、自らの徳を積むことを目的としますが、それを墳丘状に積み上げるのは家族単位ではなく、街に住む大勢の人びとによるものであり、最終的には「世界平和のため」という意識があるともうかがいました。


リンボン
道孚を後にし、德格県に向かう道中でリンボンと呼ばれる多くの積み石をみました。板状の石ではなく、拳大または人頭大の丸石を円形階段状に積み上げています。手に石を持ち、ゲルク派の真言「心咒(シンジュー)」を読誦しながら石を積んでいくそうです。大きいものから小さいものまでいたるところで目撃しました。形状的にみて、モンゴルのオボーによく似ているので、あるいは仏教以前の信仰に起源するものかもしれませんが、少なくとも今はチベット仏教的な民間信仰の一部となっていて、頂部が伏鉢状を呈している点も仏教ストゥーパと似ている点です。




石経城ザシ寺
11時15分、德格県塔公甲谷弄村にある扎西(ザシ)寺に到着しました。ザシ寺の境内には本堂から数百m離れた大門側の平地に真言刻みの板石を積み上げた「石経城」があります。マニタイの積石を建築の壁全体に応用しているものであり、いったい何万枚(何十万枚?)の真言刻石を積み上げてできたものなのか、想像もつきません。ただただ唖然として見とれるだけであり、繰り返し繰り返しシャッターを押しました。大門側の一部はちょうどいま修復中であり、わずかばありですが、構造の仕組みを理解することはできました。石経城の石壁に沿ってマニ車が設置され、壁とマニ車列の間が回廊になっています。また、屋根には多くの小ストゥーパを並べてます。さらに、その周りにある壁のすべてに無数の小ストゥーパを置いていました。奥の上段にある本堂・講堂よりもはるかに目立っており、石経城が伽藍の中心施設であるように感じます。このような石経城は、四川高原の他地域にも何棟かあるようで、今後の重要な研究課題になりそうです。
なお、境内外側の山の崖面には、多数の修行洞(瞑想洞穴)を確認できました。




世界遺産「楽山大仏」
8月26日(月)、実質的な調査最終日を迎えました。この日は楽山市まで移動し、世界文化遺産「楽山大仏」を視察しました。岩を切り崩してつくられた元石窟寺院ですが、今は掛屋がなく、日本的に言えば磨崖仏の超大型版ですね。
楽山大仏は長江の支流、岷江、大渡河、青衣江が合流する地点にあります。韋皋の『嘉州凌雲寺大像記』によれば、開元元年(713年)、楽山周辺で塩が大量に取れ、その成功を仏に感謝したいという気運とともに、頻繁に起こった岷江の水害を仏の力で治めてもらおうという願いから、僧海通が民衆の布施によって凌雲寺に隣接する崖に石像を彫り始めた。天宝2年(743年)、海通は亡くなったが、韋皋が事業を受け継ぎ、貞元19年(803年)に大仏を彫りあげました。 当初、大仏は「大仏像閣」なる13層の木造楼閣に納まり、排水溝などの附属施設も完備しており、大仏には金箔や朱色を塗っていましたが、明末に覆屋は焼失、大仏も退色し、雑草・灌木林に隠されていました。それが、1996年、峨眉山とともに、世界複合遺産に登録され、今に至ります。




参道を駆け上がり、最初に見えたのは大仏の頭でしたが、頭だけでもものすごい大きさです。頭高約15m、全高は約71mに及びます。世界最大の仏像であり、世界最大の石造彫刻でもあるそうです。大仏の頭のすぐ後ろの山崖面にはチベット文字の真言「オンマニペメホンシュ」を刻んだ板石を発見しました。それから、大仏の周りに沿って架けられた鉄の階段を下りながら大仏を見学するのですが、この日は気温が高く、階段も傾斜もきつかったので、一周するだけでもくたくたになってしまいました。遊覧船に乗れば全景を撮影することもできましたが、時間に余裕がなく、ともかくあちこちから大仏を多重撮影し、フォトスキャンで全体を3Dで再現することにしました。


陳麻婆豆腐
夜は成都に戻り、四川省民族研究所の袁所長と会食しました。袁所長は何教授の旧友です。二人の話は弾んでいましたが、今年の成果や来年の計画についてほとんど話題にならず、先生は若干不審を募らせておられたようです。解散後、中国茶の喫茶店で、そうした議論になったのですが、何教授はこれを意に介さぬばかりか、契約書に書いてない経費を追加請求してくる始末で、雰囲気は険悪になっていきました。帰国後、今度は大学事務局から何教授の水増し請求2件を指摘され、結局先生が負担することで事態を沈静させました。しかしながら、今後の研究体制に大幅な見直しを迫られる会議となったのは大変残念なことです。
ところで、会場は、麻婆豆腐発祥の店である「陳麻婆豆腐」です。「麻婆」の「麻」とは山椒辛いことを意味しますが、「婆」とは「かあちゃん」とか「おかみさん」という意味であり、「陳麻婆」とは「陳かぁちゃんの山椒辛い(豆腐)」ということになります。これまで四川料理は庶民の味で、それなりに美味しかったですが、この店の味は別格でした。




8月27日(日)。空港に向かう途中で文殊院に立ち寄りました。創建は南北朝時代(420-589年)だそうです。境内は中国の伝統的な建築である四合院となっています。瓦の葺き方や細部の様式などが古めかしく、またこのお寺には玄奘三蔵の頭蓋骨が収められており、とても歴史を感じさせます。
この後、空港で何教授と別れたのですが、なぜか違うゲートの場所で私たちは車から降ろされ、地下鉄を使って目的のゲートまで向かう羽目になりました。今回の旅で何教授には大変お世話になりましたが、最後までお騒がせな方でした。(ザキオ)【完】


【連載情報】四川高原-ストゥーパの旅
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