内モンゴルのオボーを訪ねて(2)

スルデオボー
お昼休憩を挿んで14:30頃からスルデオボーに向かいました。32㎞離れた山頂に車で登り、オボーの近くまで運転していきました。海抜1670mの小山でしたが、風が強く、オボーまで登るのにすごく体力を使いました。
スルデオボーはダルハン・ムミンガン連合旗所有の独立系オボーであり、誰でも参拝できます。オボーの全高は6m、直径約6mでやはり三段円錐形を呈するモニュメントです。築後わずか70年ばかりですが、レンガで舗装された台座は綺麗でした。
スルデオボーの「スルデ」は意味深い言葉です。スルデはモンゴル族にとって神聖なる存在です。何故なら、スルデはチンギス汗の戦争に出陣する際の武器であり、それは雌馬の鬣(たてがみ)で作られ、三種類の色模様で構成されます。ハラ・スルデ(黒)、チャガン・スルデ(白)、アラグ・スルデ(黒+白混ぜ)です。このうちの「ハラ・スルデ」はモンゴル族古代の戦旗でもあります。昔から流れてきたハラ・スルデ賛歌に
「醜い敵よ、遙か遠く離れるが、我らのハラ・スルデ見かけたら、てんやわんやの大騒ぎになる」
といいます。ハラ・スルデが現れたら必ず大規模の死傷になるという威嚇の意味です。ハラ・スルデは敵を威嚇することで、自らに勇気を与える戦旗でした。このため「勇敢な黒」とも呼ばれていました。ハラ・スルデの先端部分はジリバルといい、長さは約30センチ、厚さは約3.5センチ、鋭い矛状を呈しています。矛状の鋼器の下に円盤があり、その円盤は直径約33センチ、厚さは約3センチ、円盤底に約80個の小穴があり、その穴に黒色の鬣を結んでいます。このように、スルデの制作方法は地域によって異なりますが、大体はこのようなサイズで造ります。以上はガイドのムンへ・バートルさんの発言です。

↑チャガン・スルデ
私はスルデについて、黒と白しかないと思っていました。バートルさんは続けて言いました。
このスルデオボーに挿しているスルデは「チャガン・スルデ(白)」です。もちろんハラ・スルデオボーは
ありますが、チャガン・スルデオボーのほうが多いです。何故なら、チャガン・スルデは平和と純潔の
象徴です。モンゴル語の「チャガン」は白色という意味です。それは人びとの善良、平和を表し、
モンゴル族にとって「神聖な白」です。チャガン・スルデの構造やサイズはハラ・スルデと同じです。
唯一違うのは、円盤に結ぶのは、白色の鬣と尻尾です。こういうことで、このスルデオボーに参拝する
人は非常に多いです。
スルデは黒と白以外にも白黒混ざり合った「アラグ・スルデ」があります。しかし、アラグ・スルデはあまりにも見かけられないので、一般人はこの世に黒スルデと白スルデしかないと認識しているのです。アラグ・スルデはこの3つのスルデの中で最も神聖なる存在であります。私のおばあさんは、「アラグ・スルデはチンギスハーンの象徴であり、あるいはボルジギン家の標識です。このアラグ・スルデがモンゴル族にとってどれほど重要かがわかるでしょう」と。私は驚きばかり、アラグ・スルデの重要性を初めて知りました。
ガイド二人のお話しを聞いてあっという間に17:00近くになりました。ハブラーさんは娘を迎え行くようで、14日の調査はこれで一旦終了しました。明日の待ち合わせ場所を約束してからフフホト市に向かって、20時ころに戻りました。

↑風の馬 ヒーモリ
《連載情報》
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2149.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2150.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2151.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2152.html
このスルデオボーに挿しているスルデは「チャガン・スルデ(白)」です。もちろんハラ・スルデオボーは
ありますが、チャガン・スルデオボーのほうが多いです。何故なら、チャガン・スルデは平和と純潔の
象徴です。モンゴル語の「チャガン」は白色という意味です。それは人びとの善良、平和を表し、
モンゴル族にとって「神聖な白」です。チャガン・スルデの構造やサイズはハラ・スルデと同じです。
唯一違うのは、円盤に結ぶのは、白色の鬣と尻尾です。こういうことで、このスルデオボーに参拝する
人は非常に多いです。
スルデは黒と白以外にも白黒混ざり合った「アラグ・スルデ」があります。しかし、アラグ・スルデはあまりにも見かけられないので、一般人はこの世に黒スルデと白スルデしかないと認識しているのです。アラグ・スルデはこの3つのスルデの中で最も神聖なる存在であります。私のおばあさんは、「アラグ・スルデはチンギスハーンの象徴であり、あるいはボルジギン家の標識です。このアラグ・スルデがモンゴル族にとってどれほど重要かがわかるでしょう」と。私は驚きばかり、アラグ・スルデの重要性を初めて知りました。
ガイド二人のお話しを聞いてあっという間に17:00近くになりました。ハブラーさんは娘を迎え行くようで、14日の調査はこれで一旦終了しました。明日の待ち合わせ場所を約束してからフフホト市に向かって、20時ころに戻りました。

↑風の馬 ヒーモリ
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