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魏志倭人伝を読む(7)

 12月19日(木)、1年生が「宋書倭国伝」を4名で輪読し、口語訳を完成させました。やっかいな漢文で、とりわけ後半は難解ですが、担当者はネット上のサイトなどを参照せず、漢和辞書を使って見事に訳出しました。教師よりレベルが上ではないか、と恥ずかしくなった次第です。
 『宋書』は中国南朝の宋(420-479)の正史であり、宋・斉・梁に仕えた沈約(441-513)が斉の武帝に命ぜられて編纂しました。日本については夷蛮伝の倭国条に短い記載があり、これを「宋書倭国伝」と略称しています。いわゆる「倭の五王(讃・珍・済・興・武)」の時代であり、倭国は朝鮮半島への侵攻を進めていましたが、高句麗と対峙しており、中国に支援を求めていたのです。北朝ではなく南朝に朝貢したのは、北朝が漢民族と系統の異なる騎馬遊牧民の国家であったのに対して、南朝宋は蜀漢の血統を自称しており、さらに宋の版図が長江を越えて山東半島にまで及んでおり(注1参照)、朝鮮半島と近接していたことなどによるものだと推察されます。いずれにしても、後漢書倭伝・魏志倭人伝とはまったく異質の内容が記されています。

宋書倭国伝

 倭国は、高句麗の東南側の大海の中にあって、代々貢ぎ物を献上してきました。南朝宋【注1】の初代皇帝、高祖(武帝)は永初二年(西暦421年)、詔しておっしゃいました。「倭王の【注2】は、万里の彼方から貢ぎ物を献上してきた。果てしない道のりをものともしない、その忠誠心に報いるべく官職を授けましょう」と。太祖(三代文帝)の元嘉二年(西暦425年)、讃は司馬(軍事を司る官職)の曹達を遣わして上表文を文帝にたてまつり、倭の特産物を献上しました。
 讃が死んで弟のが倭王に即位しました。珍は使者を遣わして貢ぎ物を(宋に)献上しました。珍は「使持節、都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東代将軍・倭国王」と自称し、これを正式にお認めいただくよう(宋の王に)求めました。【注3】
 文帝は詔して(珍を)安東将軍・倭国王に任命しました。珍はまた「輔国将軍」の称号を正式にたまわらんことを求めました。文帝は詔して、これを許しました。元嘉20年(西暦443年)、倭王のが使者を派遣して貢ぎ物を献上しました。やはり安東将軍・倭国王に任命されました。元嘉28年(西暦451年)、「使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の六国諸軍事」の官職を加え、安東将軍は元の通りとしました。さらに上表した23人を将軍や郡の長官に任命【注4】しました。
 済が死にました。世継ぎのは使者を送って、貢ぎ物を献上しました。世祖(第4代孝武帝)の大明六年(西暦462年)、詔しておっしゃいました。「倭王の世継ぎの興は、代々忠義であり、中国の外海で城壁となり、中国に感化されて国境の平和をまもってきました。礼儀正しく貢ぎ物を収めて職務を遂行し、新たに辺境平定の仕事を受け継いでいます。ですから、当然爵号を授け、安東将軍・倭国王とすべきでしょう」と。
 興が死んで、弟のが即位しました。自ら「使持節、都督倭・百済・新羅・任那・加羅・奉韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王」と自称しています。
 順帝の昇明2年(西暦478年)、武は使者を遣わして、上表文を皇帝にたてまつりました。上表文では以下のように述べています。

  倭国は僻遠の地にあって中国の城壁になっています。昔から私の祖先(の王)たちは、鎧兜を
  身にまとい、山を越え川を渡り、やすらかな場所にいたことはほとんどありません。東の
  毛人(野蛮人)を征伐すること55国、西は衆夷(諸々の野蛮人)を征服すること66国、海を北に
  渡り朝鮮半島の国々を治めること95国。王の政治は安泰になり、領土を大きく広げました。
  代々中国を崇めて入朝するのに時節を誤ったことはありません。君(順帝)の臣である
  わたし(倭王武)は愚か者ではありますが、ありがたくも先祖の偉業を継ぎ、自ら統治する
  人びとを率いて君のご在所まで参ろうと思います。百済を経由して海を渡るべく、船の装備を
  しています。ところが、高句麗は無体にも謀略して百済を併呑し、人民を略奪し殺害しようと
  しました。いつも中国への道が滞ります。航路を進もうとしましたが、追い風を失って、
  前進できたりできなかったりしています。
  臣(武)の亡父、済は高句麗が中国への道のりを妨害するのを本気で怒りました。弓を
  持った百万人の兵士は済の仁義ある声に感激し、大挙して(高句麗を)攻伐しようと
  しましたが、ちょうどそのとき突然、父(済)と兄(興)が亡くなってしまいました。
  あと少しで(攻伐に)成功しそうでしたが、成し遂げられませんでした。むなしく喪に服し、
  軍兵を動かすことをやめました。このため高句麗とは休戦状態に陥り、いまだ勝利を
  おさめていません。今に至り、軍兵を準備して、父兄の遺志を果たそうと思います。
  義士・勇士、文官・武官いずれも功をなして力を発揮し、刃(やいば)が眼前で交わった
  としてもひるむことはありません。もし中国皇帝の徳をもって我らをご支援いただくなら
  ば、この辺境の敵を打ち破り、災いを鎮めることができます。そうすれば、祖先の功績
  にも比肩できます。畏れながら、武を開府義同三司【注5】に任命し、それ以外の者にも
  みな称号を与えていただければ、忠節に励みます。

と。順帝は詔して、武を使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍・倭王に任命されました。【完】



【注】
 1)南朝宋: 中国の南北朝時代は、北魏が華北を統一した439年から、隋が中国を再統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期をさす。南朝は宋、斉、梁、陳と王朝が入れ替わった。首都はいずれも建康(建業=今の南京)。三国時代の呉、東晋とあわせて「六朝(りくちょう)」とも呼ぶ。宋(420-479)は蜀漢の血統から劉宋とも自称している。領土は長江を超え山東半島に及んでおり、朝鮮半島(百済)に相対していた。まさに交通の要衝である。

宋書倭国時代の地図 北魏・宋

 2)倭の五王: 南朝の正史に登場する倭国の五人の王、讃・珍・済・興・武をいう。およそ1世紀にわたり宋に朝貢した。日本側の記紀にも、「呉国(中国南方の王朝)」に使者を送った記載がある。倭の五王が記紀におけるどの天皇に該当するかは不詳だが、雄略天皇を「武」とみる説は比較的有力であろう。雄略の実名ワカタケル(獲加多支鹵)を象嵌で刻む鉄剣が埼玉県の稲荷山古墳でみつかっており、「武」をタケルと訓読することもできる。また、銘文冒頭の「辛亥年」は471年が定説であり、南朝宋の末期に相当する。
 3)この部分までの口語訳担当者は以下のサイトを参照した。
https://ameblo.jp/teras0118/entry-12172880613.html
 4)倭は朝鮮半島に侵攻しつつ、宋に「安東大将軍・倭国王」の称号を求め認められているが、臣下の豪族にまで官爵を望んでおり、当時の国内支配の不安定性をうかがわせる。一方、中国は、倭王を高句麗王・百済王よりも格下とみなしており、宋からみれば、倭は朝鮮の国々ほど重視されていなかったことが分かる。
 5)開府儀同三司: 中国の官名。後漢末から開府の制度(役所を設置して役人を配属すること)がはじまり、その中でとくに重用されて三公(三司)と同じ儀制(儀式に関する制度)を認められた者をさす。開府は丞相・大司馬・御史大夫の三公(三司)に許され、のちには将軍にも許されるようになった。三公でない者が三公の礼遇をうけることを「儀同三司」などと称し、とくに重いものを「開府儀同三司」と称した。倭王武はこの称号を求め、(表向きは)許されたということである。


《連載情報》魏志倭人伝を読む
(1)漫画と文献で読む魏志倭人伝
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2113.html
(2)後漢書倭伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2119.html
(3)魏志倭人伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2125.html
(4)後漢書倭伝(二)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2131.html
(5)魏志倭人伝(二)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2134.html
(6)魏志倭人伝(三)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2153.html
(7)宋書倭国伝(一)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2155.html
(8)「弥生の衣食」再現
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2162.html

青谷上寺地遺跡を訪ねて
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2157.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2158.html

魏志倭人伝の新しい解釈-田中章介先生講演会
( 予報1 )http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2132.html
( 予報2 )http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2140.html
(レポート)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2156.html
(大学HP)http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2019/20191223/

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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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