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方形段台型仏塔の旅

0319熊山遺跡11正面01 0319熊山遺跡20看板sam


 かくして「ゼミ合宿」形式の集団行動を回避した私たちは旅程を別個の2群にわけざるをえなくなった。3月17~18日、院生が奈良、わたしが18~19日、堺と岡山を訪ねた。年代の古い順から奈良時代の立体マンダラの旅をお伝えします。

熊山遺跡

 岡山県赤磐市の熊山(508メートル)の山頂付近にある仏塔遺跡(国史跡)。写真にみるように、石積みのテラスを3段に積み上げた遺跡であり、少し前まで「熊山戒壇」の異名で知られていた。しかし、2段目の四周中央に仏龕があり、南北朝ころまで付近に「霊山寺」という寺院があったことなどから、いまは戒壇説は否定され、三重塔の遺跡と考えられている。基壇中央には竪穴石室があり、舎利容器を収めていたらしい。ただし、先史時代より信仰されていた磐座を下層として、上層に流紋岩の石を戒壇状に積み上げたものであり、摩尼山鷲ヶ峰の立岩と同じく、巨岩崇拝から仏界への変容がなされたとみなすべきであろう。案内板によれば、築成年代は奈良時代前期と推定されている。また、山全体に30ヶ所以上の石積みの遺構が確認されている。


0319熊山遺跡10背面02 0319熊山遺跡02


 あとで紹介する土塔や頭塔とは異なり、瓦葺きの痕跡はまったくない。「方形段台」という言葉ぴったりのモニュメントであり、あえて比較するならば、モンゴルのオボーやチベットのリンボンに似た匂いがする。朝鮮渡来系あるいはアルタイ系とでもいうべきか。全国的にみても、ここまで立体的に当初の姿をとどめる遺跡は例外的に少なく、ちょっとした穴場だと思った。


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↑左2枚:熊山遺跡 右1枚と↑下:土塔
0319土塔00復元模型01 0319土塔00復元模型03所在証明01


大野寺土塔

 『行基年譜』によれば、神亀4年(727)、行基は大野寺を創建し、同時に土塔も築いたという。大野寺は行基建立四十九院の一に数えられ、現在も法灯を絶やしていないが、中世の一時期中断しており、江戸時代になって土塔の前に再興された。ただし、当初の伽藍位置はわかっていない。わたし個人はもう少し離れた位置に境内があったであろうと勝手に思っている。『行基年譜』は鎌倉時代成立なので、神亀4年(727)という造営年代については信頼性が高いとはいえない。ただし、発掘調査では、文字瓦が多数出土し、神亀4年の銘を有するものを含むので、反体制的活動をしていた若かりし行基の造営である蓋然性は高いと思われる。


0319土塔01芝生側01 0319土塔00復元模型02復元図doc01


 土塔の遺跡で注目すべきは、1)12段のテラスが検出され、2)壁の立ち上がりは短くて仏龕は皆無、3)瓦は地面に直葺き、壁面も瓦積み、4)最上層で円形平面の粘土ブロックの基礎が検出されている、ことなどである。以上から、奈良時代の姿が復元されているが、最上層に夢殿型の小堂をおいている点が目をひく。円形の基礎に対して、八角形の木造建造物を立ち上げているわけだが、遺構からみてむしろ伏鉢状の構造物とすべきであろうと私は思う。どうしても八角堂風にしたいなら、その基礎を不愛想な円形の土盛りにするのではなく、蓮華座か伏弁蓮華座にしてすれば仏教の華やかさが増すであろうに。下側方形段台の整備は半分をまるまる復元的に表現し、半分に芝生を張っている。これはなかなか良い感じ。いまは国史跡「土塔」を中心とする土塔公園として市民に活用されている。入場無料の公園という点も好感がもてる。


0319土塔02復元側01 0319土塔02復元側02sam01



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東大寺頭塔

 奈良市の東大寺頭塔については、これまで何度も紹介してきたので、あまり繰り返したくないが、神護景雲元年(767)に、東大寺初代別当良弁が弟子の実忠に造営させた五重塔である。『東大寺要録』によれば、当初の名は「土塔」と言った。大野寺の土塔と同じ名前であるが、堺で土塔を造営した行基は聖武天皇に招かれて東大寺大僧正となったものの、頭塔造営に先んじてこの世を去っている。しかし、土塔と頭塔の関係を行基抜きに考察することはできまい。


史跡頭塔01web 史跡頭塔03web


 熊山遺跡、土塔と同じ国の史跡であるけれども、整備後の姿は最もオーセンティシティを感じさせないものである。私自身、整備小委員会のメンバーであったが、当時は駆け出しの研究員であり、「整備」という事業そのものに興味を感じていなかった。当時のM部長やらT室長らが県教委と整備を模索していたけれども、積極的に意見する気にはまったくならない。結果がこうである。4段の方形段台壁面に設置された石仏の上のみ遺構面直葺きの瓦屋根を復元している。なんとも奇妙にみえる。発掘調査時の遺構が見事であっただけに、この整備には落胆の念を隠さぬ同僚も少なくなかった。大野寺土塔のように、少なくとも一辺は完全に瓦葺き屋根を復元してもよかったのではないか。もう一面は、たとえばアクリル板などで石仏を覆い、発掘時の遺構を再現するか、土塔のように芝生を敷き詰めるか、もう少しやりようがあったように今は思う。こうなってしまった責任の一端は、整備に無関心だった私本人にもあるわけだから、自戒の念をこめて反省するしかない。入場有料の点も気になった。


0319ならまち03頭塔00図面01東面01 0319ならまち03頭塔00図面01北面01
↑(左)東面 (右)北面 ↓石仏とその覆屋
0319ならまち03頭塔02石仏01 0319ならまち03頭塔00図面11復元整備01
0319ならまち03頭塔02石仏02 0319ならまち03頭塔00図面10石仏分布01


 以下は院生君の散策記録です。

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↑(左)平城宮第1次大極殿院 (右)同第2次大極殿から第一次大極殿と大極門(建設中)を望む
0318平城宮04研究所01 0318平城宮03大極殿02
↑(左)奈文研新庁舎 (右)第1次大極殿院

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↑(左)新薬師寺門前 (右)同地蔵堂
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↑(左)十輪院本堂 (右)同門前 

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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