学位授与


分岐点の一日
3月20日(金)、卒業式は中止でしたが、略式の学位授与の会が100講義室でおこなわれました。もちろん学生の個体間距離は相当離れています。しかし、事前のヒアリングでは、講義室に入りたくないという学生もいて、その旨、学務課等には伝えました。わたし自身、略式にせよ、大勢の学生を大講義室に集めることを不安視していました。個人的なイメージは、青空の下、大学の前庭で写真撮影の時間を半時間与え、あとはゼミ室単位で学位授与をすればいい。雨天なら青空の会も中止。
3月初旬から、鳥取は「ぬるい」という印象を拭えないでいました。ジムではスパーリング大会をやるというし、卒業式は略式ながら大講義室で催行、新年度ガイダンスに至っては学年暦どおりの決行だというので、本音を申し上げると、呆れてモノが言えない!! 毎日朝から晩までコロナ関係のニュースが流れ、ネット上にも世界の感染情報が溢れている。いくら感染者ゼロの鳥取県とはいえ、あまりに楽観的な見通しではないか、と奈良の自宅で嘆いてばかりです。
とりわけ20日という一日はターニングポイントでした。オリンピックの延期が確定したことで、政治家たちの気が緩み、感染のピークは過ぎた、と言わんばかりに、小中高校の再開が宣言され、三連休は家を出て行楽地で遊ぶ人たちが一気に増加した。その一方で、大阪府の吉村知事だけは危機意識をもち、三連休での大阪-兵庫の移動を自制する呼びかけをしたのです。結果から述べるならば、若い吉村知事の判断が正しく、この連休明けから首都圏では感染者の数が急増してしまった。というか、連休前まで首都圏の感染者数が異常に少なかったのは、オリンピック延期を成立させるための粉飾・偽装であったろうと国民の多くはすでに察知しています。


禁断の茶会
学位授与に話題を戻します。今年もまた結構な記念品を頂戴しました。院生君は岡山のシングルモルト・ウィスキーとデニム生地の袋に入った珈琲豆、学部生一同からはコピーカードケース。なんかすごく多いな、と思っていたら、会長の分も含まれていて、黙って頂戴すればよかったなぁ・・・みんな、ありがとう! わたしからは昨年と同様の苔玉(福寿草・赤いバラ・茶樹・柿樹)と因久山のカップ、そして額入りの新聞記事をさしあげました。その後、ダウラでのお茶会をやるか否か全員で検討しました。総勢5名での飲食会ですから、リスクを伴わないわけではない。しかし全員がティータイムを希望したので、1時間以内を条件にダウラまで移動(ぬるいか!?)。キームンとカトマンドゥを啜り、焼きリンゴ、タルトタタン、スコーンをいただきながら、最後のおしゃべりに興じた次第です。そのとき、(うちのゼミ以外で)韓国旅行した卒業生が結構いたという事実を知らされました。
「この時期に韓国とは、またどういうつもりなんかね?」
と問うたところ、
「旅行のキャンセルが面倒くさかったみたいです・・・」
とのことでした。若者と我々の感覚がいかに乖離しているのかを思い知らされたわけですが、ゼミの卒業生諸君には「君たちの中からクラスターが発生したら大学に迷惑がかかるだけじゃなく、就職先でも大変なことになる。十分注意してほしい」とつよくお願いしました。そんな説教も長い時間はできません。さっさと店外にでて、最後は長田神社の社務所前で記念撮影して別れを告げたのです。
素晴らしいゼミ生に恵まれました。たぶん、またどこかで再会する機会があると信じています。
みんな、健康に気をつけてね!
