再訪ー蘇州古典園林(1)

第2次世界文化遺産評定
本来は公開すべき案件ではないのだが、すでに20年が過ぎて時効扱いになっていると判断し告白すると、蘇州古典園林の世界文化遺産第2次申請(2000)の評定を担当した。当時、奈文研の一職員にすぎなかったが、立場上はICOMOSからの派遣である。第2次申請に先行する第1次申請は1997年におこなわれていた。パキスタンの研究者が審査を担当したと聞いている。蘇州古典園林の第1次世界文化遺産評定の対象は全国重点文物保護単位に指定済の以下4園である。
1.拙政園 明・正徳4年(1509)
2.留園 明・万暦21年(1593)
3.網師園 清・乾隆24年(1758)
4.環秀山荘 明・万暦年間(16世紀末~17世紀初)
いずれも中国庭園(園林)の傑作であり、まもなくユネスコの世界文化遺産リストに登録された。


3年後におこなわれた第2次世界文化遺産評定(2000)では、以下の5件が対象となった。第1次申請と異なり、すべてが江蘇省の省級文物保護単位である。日本の文化財で喩えるならば、第1次の対象は国指定の重要文化財/名勝(あるいは国宝/特別名勝)であるのに対して、第2次対象は都道府県の指定クラスということにある。
5.獅子林 元・至正二年(1342)
6.耦園 清・擁正~光緒年間(19世紀)
7.芸圃 明・嘉靖年間(16世紀中頃)
8.滄浪亭 明・嘉靖年間(16世紀中頃)
9.退思園 清・光緒11~13年(1885~87)


評定は春近い2月下旬におこなわれた。まず第1次評定4園のうち拙政園と留園の見学を希望した。温かい江南地方に雪が舞い、微かな積雪をみた。十数年ぶりの出来事だという。黄昏の拙政園(↑)は緑と白銀の斑織りの絨毯に赤い夕陽が反射し、北寺塔(報恩寺塔)を借景にする池水の風情に溜息が漏れる。そのときまで既に二度訪れてはいたが、これ以上の感動を覚えた瞬間はない。留園もまた、蘇州最大の太湖石を立石とした「冠雲峰」などに度肝を抜かれた(↓)。いずれも世界遺産と呼ぶにふさわしい名園であると納得した。


第2次評定の対象5園も江南有数の名園ではあるけれども、単体としてみた場合、「省級文物保護単位に世界文化遺産の価値があるのか」という疑問が最初からあり、実見後も、拙政園や留園、あるいは揚州の重点文物保護単位「何園」「個園」には如かずという感触を拭えないでいた。「世界文化遺産の六つの登録基準(クライテリア)のうちⅵ以外の5項目に充当する」という中国側の主張についても、3項目が限度ではないか、と思っていた(一項目でも該当すれば世界遺産登録の資格はある)。

↑仮山王国「獅子林」 太湖石の仮山と石峰 ↓獅子林のバッファゾーン



シリアル・ノミネーションとバッファゾーン
しかしながら蘇州園林の場合、「個の価値」ばかりに目をむけていると誤った評価を導く。蘇州の市街地と周辺には、元・明・清・民国時代の私邸園林が30以上集中しており、それらの庭園は水路と白壁の町並みでつながれているからだ。いまは工業都市化したこの城(まち)にも、20年前にはまだ水郷の歴史的環境が一面に残っていて、その核となるのが園林であった。歴史都市「蘇州」は、中国随一の「園林都市」であると同時に「水郷都市」であり、第1~2次申請の9庭園はシリアル・ノミネーションの文化遺産群とみなすべきである。一定のエリアに散在する園林は、群となることで新しい別の価値を発生させている。

これにはバッファゾーンの問題も関連している。世界遺産の広大なバッファゾーンは開発抑制に効果を発揮でき、それは水郷や町並みを含む歴史的都市景観の保全、都市内緑地の確保に貢献しうる(世界遺産に登録しないと、バッファゾーンで開発が激化する恐れもある)。だから第2次評定では、バッファゾーンの観察に時間を割いた。概して町並みは良好な状態にあり、これを保護することは園林の保全とともに必須の課題であるとの思いを強くした。結果、世界遺産に登録する園林の数が増えれば増えるほど、歴史都市「蘇州」の保全を広範囲に実現できると判断された。庭園相互をつなぐ水郷景観を保全することにより、さらに広範囲に歴史都市の魅力を向上することが可能になる。こうした考察から、追加申請された5件の園林を世界文化遺産として登録することに賛同し、パリのユネスコ本部に評価を送信した。果たして2001年、蘇州古典園林第2次申請の5庭園は世界文化遺産に登録され、相前後して江蘇省文物保護単位から国の重点文物保護単位に格上げ指定されたのである。

本学開学(2001)後、3年次以上を対象とする「地域生活文化論」講義の第5講でこの主題を講じ続けている。一部の学生から、ときに「その後、蘇州はどうなったのですか」と質問されることがあるのだけれども、ついぞ再訪の機会に恵まれない。ようやく一昨年(2018)の年末に半日だけ蘇州に滞在する機会があり、耦園を訪れた。この日も小雪がちらついていた。門前に建っていたソ連型の大工場や近くの幼稚園などはすべて姿を消し、新しい緑地公園に姿を変えており、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになったものである。そして昨年11月、わたしはもういちど蘇州を訪問する。【続】

↑耦園の変化
【連載情報・関連サイト】
再訪ー蘇州古典園林
(1)第2次世界文化遺産評定
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(2)怡園
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(3)環秀山荘・芸圃・網師園
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(4)上海蟹
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(5)滄浪亭
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(6)拙政園
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(7)獅子林
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(8)羅徳啓先生との再会~もう一度、上海へ
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囍来登記
(2)寒山寺・耦園
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