再訪ー蘇州古典園林(2)


五度目の蘇州
昨年(2019)11月9日の中国建築学会シンポジウム講演(中国工業大学)の翌日、上海虹橋経由で蘇州まで移動し、1泊2日滞在した。振り返れば蘇州は5回めだが、実質20年ぶり。鄙びた古都、あるいは歴史的な地方都市の面影はおおきく薄らいでいる。いまや人口数百万人の大都市であり、ビルが林立する街は人混みにざわめく。私はと言えば、蘇州市街地のホテルに投宿する前から疲労困憊。前日の講演はエネルギーを凝縮し発散し続けた作業の最後の場面にすぎない。ステージに立って話をするのは体力・気力の最後の一滴を振り絞ってのことであり、半時間のパフォーマンスを終えるや否や、そそくさとホテルの部屋に戻り、横になるしかなかった。準備にエネルギーを使い果たしたのである。なにより中国語に苦しんだ。今回ばかりは通訳は絶対に使わないと心に決めていたものの、それは思いの外おおきな負荷になってしまった。

怡園
午後3時、園林群はまもなく閉園であろうと思いながらも情報を集め、いちばん近くにある「環秀山荘」をめざす。地図をみながらの町歩きであったが、方向音痴の実力をもろに発揮し、たどり着いたのは「怡園」であった。人民路に所在する怡園は世界遺産登録の九園には含まれない。1982年、蘇州市文物保護単位(1963)から江蘇省文物保護単位に格上げされていたので、第2次評定(2000)には間に合ったはずだが、選から漏れてしまった。清末に下る庭だというが、同里鎮の退思園などは光緒年間の作庭であり、あのとき申請していれば落選にはならなかったであろう。

怡園は清末の官僚、顧文彬が退官後帰省して造営した私邸庭園である。同治12年(1874)から光緒8年(1883)までの施工というから、作庭は明治前期にあたる。面積6,270 ㎡の敷地を東西2ブロックに分け、西に祠堂、南に住宅を配する。怡園の怡(い)は『論語』の名言にちなむ。「(にこやかに)なごむ」という意味である。
子路問いて曰わく、何如なるをか これを士と謂うべき。子曰わく、切切偲偲怡怡の如きたるは
士と謂うべし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡の如きたり。
《口語訳》 弟子の子路が「どういう人を士と言うべきなのでしょうか」と問うたところ、師(孔子)は答えました。
「(まわりの人を)励ましなごませることができれば士と呼ぶべきです。友人を励まし、兄弟をなごませるのです。」
訪問した日は、園内にモデルらしき女性が数名いて、麗しい点景になっていたが、近くに寄ると傾城というほどでもなく、白粉を厚くしてそれなりの衣装を纏えばこの役は務まるだろうと思われた(御免)。結婚式の記念撮影もやっていた。これもまた文化遺産の活用か。
https://baike.baidu.com/item/%E6%80%A1%E5%9B%AD/4851122


宜多賓巷の砂鍋
怡園を短時間で切り上げ、環秀山荘を足早にめざした。門前に着いたのは午後4時5分。制服を着た警官はあっさりいう。閉門した、と。がっくりきた。なにせ環秀山荘は第1次評定の対象だから。評定の前から国家重点文物保護単位の庭として認められていたわけだから、若いころ見学したのかどうか覚えていないが、期待に胸を膨らませていた。仕方がない。街をぶらつく。山荘に近い景德路の皮革商店に立ち寄り、牛革製のハットを買った。もちろん寅さんを意識してものだが、イタリア製7万円というわけにはいかないけれども、なかなかの値段をふっかけてきたので、少々まけさせた。




しばらく歩くと、横道を指示する案内板を目にした(↑↑右)。宜多賓巷という小路を「蘇州古街」だと記してあり、導かれるままに覗きこめば、たしかに懐かしい白壁の古風な住宅が軒を連ねている。引き込まれるようにして小路に踏み込んでいった。そこは、まちがいなく1980~2000年ころの江南の街の匂いに溢れていた。一面にひろがる白い壁に門だけを穿っているが、北京四合院のような寒々しさはなく、どこか垢抜けている。白い壁はスペインやイタリアの民家にも通じて人を明るい気持ちにさせる効果があるのかもしれない。この白い町並みは(少し離れているが)環秀山荘のバッファゾーンなんだ。庭と町並みの複合を実感した。


宜多賓巷から韓家巷、秀線巷をぬけて大通りにでた。若夫婦ふたりの経営する小さな果物屋に入る。こちらの若女将こそ傾城であり鼻下をのばしてオレンジを買う。そこから外に出てまもなく大衆食堂を発見。労働者で賑わっている。土鍋(砂鍋)定食に缶ビールをつけた(↓)。前日まで、超がつくほどのご馳走続きで、ますますズボンのベルトがとまりにくくなっていたが、この日の夕食は15元(200円)の定食。十分美味しい。これでいい。これが本来だとしみじみ思った。

帰途、また道に迷う。玄妙観のある観前街の脇道にホテルソウル蘇州 (蘇州蘇哥利酒店)があることは理解しているのだが、どこの小路に入ればいいのかわからなくなって右往左往した。土産物屋で御菓子を買い、中華書局で本を買ったりして、道を尋ね、なんとかかんとか帰還し、翌日のタクシーを予約した。【続】

↑玄妙観。観とは道教寺院のこと。創建は西晋時代(3世紀)にまで遡る。三清殿などの主要堂宇は南宋の淳熙六年(1179)の再建という。門前の「観前街」は蘇州随一の繁華街。

↑観前街の対面に設置されたクリスマスツリー。前年はキリスト教が弾圧され、各地のツリーは小さめになっていたが、これはでかいね。
【連載情報・関連サイト】
再訪ー蘇州古典園林
(1)第2次世界文化遺産評定
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(2)怡園
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(3)環秀山荘・芸圃・網師園
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(4)上海蟹
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(5)滄浪亭
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(6)拙政園
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(7)獅子林
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(8)羅徳啓先生との再会~もう一度、上海へ
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囍来登記
(2)寒山寺・耦園
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