再訪ー蘇州古典園林(6)


拙政園
蘇州の拙政園と留園、そして北京の頤和園、承徳(熱河)の避暑山荘が中国の四大名園とされる。なかでも拙政園の評価は高い。わが師、陳従周先生に以下の名言がある。
江南園林甲天下 (天下で一番の江南庭園)
蘇州園林甲江南 (江南で一番の蘇州庭園)
これに拙政園を加えるとすれば、
拙政園林甲蘇州 (蘇州で一番の拙政園)
とでもなるであろうか。


明の正徳初年(16世紀初)、中央官界に失望し帰郷した御史(古代日本の「大納言」に相当する天皇近侍の官)、王献臣は大弘寺の跡地に庭を造った。晋代潘岳の『閑居賦』にみえる「園(畑)に灌(そそ)いで蔬(あおもの)を鬻(ひさ)ぎ、以て朝夕の膳に供す……これまた拙者の政(まつりごと)をなすなり」に因んで、園名を「拙政園」と名づけた。敷地に湿地が多く、これを浚渫して池を穿ったため、見渡すかぎり湖水がひろがるようで、江南水郷の特色を色濃く映し出している。




池水の隙間となる陸地には花園・竹林・果樹園・桃林が広く配され、建造物は疎らにしかない。楼・堂・亭・軒などあわせて31棟にすぎない。嘉靖12年(1533)、明代の四大文人に列せられた文徴明(1470-1559)は園中景物を31枚素描して詩を付し、『王氏拙政園記』を編纂した。上左は同書にみえる「小飛虹」である。明代には屋根がかかっていない。現状はいわゆる「橋亭」であり、水上のアズマヤになっている。拙政園は私邸園林ではあったが、贅を尽くし美女を集め、「王府」の治所となったこともある。清代末期~民国期には兵站地として扱われたりしたが、解放後まもなく本格的な修理・整備に着手された。
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園林は池水を中心として、山・水が迷路のようにいれかわり、庁・榭は優美、花・木は繁茂し、花園は東・中・西の三ブロックに分かれている。東花園はひろびろとしており、中花園は精華を極め、西花園は建築群が麗しい。園南を住宅区として、中庭式の江南民居が連続する。園南にはさらに「蘇州園林博物館」を構えている。園内は訪問で溢れかえり、2000年初春の静閑な風情は消え失せていた。歩けば歩くほどに迷宮に方位感を失い、どこか落ち着かない。正門に戻るのに骨を折った。学生時代、京都修学院を何度か訪れたが、人影疎らなときと大人数のときとではまったく印象が異なるのを思い出した。


蘇州博物館や園林正門の面する平江区東北街には白い町並みの風景があり、土産物屋が軒を連ねているが、全体的に作られたバッファゾーンの匂いがする。ただ、よく観察すると、古街を修復・改修した部分と新造の部分の両方が融合している。


↑東北街のバッファゾーン
【連載情報・関連サイト】
再訪ー蘇州古典園林
(1)第2次世界文化遺産評定
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(2)怡園
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(3)環秀山荘・芸圃・網師園
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(4)上海蟹
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(5)滄浪亭
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(6)拙政園
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(7)獅子林
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(8)羅徳啓先生との再会~もう一度、上海へ
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囍来登記
(2)寒山寺・耦園
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