再訪ー蘇州古典園林(8)

羅徳啓先生との再会
獅子林の視察を終え、ドライバーは上海でわたしを待つ羅徳啓先生に電話をした。羅先生は貴州省建築設計院の元院長であり、今も中国建築学会顧問、中国民居建築大師、住建部伝統民居保護専家委員会顧問等の肩書をもっておられる。上海生まれで、建築の名門、南京工学院(東南大学)の卒業。設計院退官後、貴州から故郷の上海に戻り、奥様と悠々自適の生活を送られている。かつて1989年から3年間、貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州の少数民族建築を共同で調査した。受け入れ機関の代表者である。当時、わたしは30代前半、羅院長は40代後半であった。
このたび羅先生ご夫妻と再会することになったのは、東南大学の後輩であり、貴州調査にも参加した楊昌鳴教授(北京工業大学)のお計らいによる。大変ありがたいことながら、内心を吐露してしまうなら、わたしはすでに疲れ切っていた。疲労が過ぎる故の胃腸炎であって、上海蟹が直接の原因ではないのである。そんな体で蘇州園林を再訪すること自体無茶なのだが、羅先生に失礼のないように振る舞いができるか、不安な気持ちにもさいなまれていた。

上海浦東の空港に至る2時間ばかりのあいだ、わたしはタクシーの後部座席で眠り続けた。途中、高速道路の渋滞もあり、ドライバーは何度か羅先生に電話したようだが、うすら覚えの記憶しかなく、惰眠を貪った。疲労性の胃腸炎には睡眠以上の特効薬はない。上海浦東の大衆空港賓館のロビーでご夫妻に30年ぶりの面会をしたとき、胃腸はかなり回復していて、賓館レストランでの晩餐に臨めるという前向きな気持ちになっていた。恥ずかしいことではあるけれども、院長には体調を説明し、酒は控え、腹にやさしい羹(あつもの)を注文することをお願いした。院長は79歳になられていた。奥様ともども、とても懐かしんでくださって、話が弾む。聞けば、猛暑の夏の二ヶ月だけ、今でも貴陽(貴州の省都)でお過ごしになるという。残りの十ヶ月は上海郊外の分譲マンション暮らし。上海にはお嬢さん一家もお住まいであるとか。
先生は、上海市街地の馴染みのレストランにわたしを招待されたかったようだが、なにぶん時間がなく、遠路浦東までお越しいただいた。スマホを愛用されており、後日、記念写真を数枚サーバーにアップされたとの知らせをうけた。上下3枚はその写真である(一番上は私のカメラによる)。


福州の風邪に拭かれて
11月12日午前の便で関空に着陸したが、鳥取に戻る余裕はなかった。父兄懇談会が近々開かれることになっていて、ある学生の父親が面談を申し出てこられたのだが、対応は不可能であった。この場を借りてお詫び申し上げます。次の週末にあたる11月16日(土)、福州大学で開催される中国科学技術史学会でまったく別の講演をすることが決まっており、その準備を終えていなかったのである。すでに論文は学会事務局に送っていたが、パワポは未完成。とくに中国語の科白については、わたしと嘎嘎嘎さんで分割翻訳していたが、道は険しい。いったん奈良の自宅に帰って体を休めてから新しい講演の準備に切りかえる必要があった。この間、もちろん授業は休講である。
11月15日の深夜、福州の空港に降り立ってホテルにチェックインし、研究所の後輩2名と合流した。講演は翌日の午前11時から。後輩たちの発表も聞きたい。いったん回復の傾向をみせていた体調は準備と渡航のせいで再び悪化していた。1週間前と同じ症状であり、演題に立ってスピーチするのが精一杯。講演後、客席の後方で眠りに落ちた。翌日午前の講演聴講は断念し、昼前に一人タクシーで会場に赴いた。相変わらず、ふらふらの状態であったが、午後からの陳大尉宮(全国重点文物保護単位)のポストツアーだけは参加した。
その翌日(17日)、当初の予定ではアモイ(厦門)に移動し、世界遺産になったコロンス島(鼓浪嶼)と厦門大学を35年ぶりに再訪しようと計画していたのだが、出国前にキャンセルした。16日の講演で、版築壁内の有機物から建築年代を特定する方法を披露したところ、厦門で民家修復に携わる若い技術者から「客家土楼の版築壁の年代が判定できるなら指導してほしい」という直接の依頼があり、厦門に行けるものなら行きたかったが、すでに体力を消耗し尽くしている。理由はあえて繰り返さない。結果、福州から関空への直帰となった。次の講義が迫っていたので、1日だけ休んで鳥取に戻った。
そのあたりから疲労は極限に達しており、今度は風邪の症状が顕著になっていった。発熱、咳、痰、咽頭痛すべての症状があり、数日下宿で寝込んでしまう。あのときは普通の風邪だと思っていた。しかし2月ころからの報道によると、武漢の新型コロナウィルスはすでに昨年11月後半から中国に感染者がいたというので、次第に自らの症状を疑うこととなる。武漢から北京、福州は遠いけれども、人の移動と物流の頻度はかなり高い。可能性は低いだろうが、ときに自分が抗体をもっているのではないか、と思うようになって今に至る。いま抗体をもっているとすれば、喜ぶべきことである。少なくとも武漢型の新型コロナに感染する恐れはないし、他人に移す心配もないのだから(欧米型はまた別)。以上はたんなる妄想である。ただ、それだけ自分の体調は芳しくなかったということであり、その後、恒例化していた年末の上海出張、年度末の海外調査を控えて自宅に閉じこもった。おかげで、報告書『能海寛を読む』等を刊行できたことを前向きにとらえたい。
もう一度、上海へ
研究所を退いた20年前から中国は自分の主戦場ではなくなってしまった。事実上、中国建築史も都城史も引退している。それは自ら望んだことなのだが、それでも上海だけは何度か訪れた。東日本全体を混沌に陥れた、あの大地震の日(3.11)にも上海にいたのである。最近では2018~19年の年末年始に連続して上海を訪れている。上海、そして江南に対する愛着は、どういうわけか近年深まるばかりであり、帰国後、母校の若い教員と連絡をとり、民家に係る学術交流を進める意向を伝えていて、この前期6月ころ数名で母校を訪問しミニフォーラムを催していただくことになっていた。それがコロナで水泡に帰してしまったわけだが、いま3年生は『地球の歩き方 上海・蘇州・杭州』を読んでいる。かなり確度の高い情報として、上海はすでに浄化を成し遂げていると聞く。むしろ問題は日本の感染抑制であって、学生たちには希望を捨てないよう何度も訴えている。前期は無理であろうけれども、いずれコロナ禍をのりこえて上海に渡り、羅院長と再会し、母校との交流を深めたい。《完》
【連載情報・関連サイト】
再訪ー蘇州古典園林
(1)第2次世界文化遺産評定
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(2)怡園
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(3)環秀山荘・芸圃・網師園
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(4)上海蟹
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(5)滄浪亭
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(6)拙政園
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(7)獅子林
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(8)羅徳啓先生との再会~もう一度、上海へ
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囍来登記
(2)寒山寺・耦園
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