研究表現としての麻雀警察(2)
「うちで踊ろう」に関する一考察
オンライン講義が始まりました。すでにwebexゼミは(わたしが勝手に)一月やってきていますが、講義はまた別物でして、本学ではパワポ(pptx)に録画・録音を施して自動スライドショー(ppsx)に変換し、サーバーからダウンロードするオンデマンド方式をとっています。サーバーダウン、おきてますよ。学生には申し訳ないとしかいいようがない。当方は先週末からずっと録音・録画に取り組んできました。これはね、しんどい。一枚のスライドで5テイクぐらい撮り直します。日をまたぐから衣装が変わっちゃったりして・・・アナウンサーは偉大だわ。
麻雀警察のようなめりはりのある動画はそう簡単に作れるものじゃありません。上下とも秀逸です。星野源さんの「うちで踊ろう」は頭に残る良い曲です。G7/D♭7の代理コードを覚えたときの快感が蘇ってきました(この進行に気づくのに何十年もかかった)。大勢のミュージシャンやタレントなどが演奏したり、コーラスしたりしていて、それなりに視聴数はのびているようですが、わたしはだいたい気に入らない。結局、星野さんと共演する連中は自分の演奏技術や歌唱力を誇示したいだけなんだから、顰蹙を買った某主将と大差ない、とまで書いたら炎上するかな(炎上するほどの読者もなし)。ともかく、歌伴として星野さんの曲の良さを引き出すというか、さらに高めようという、脇役としての自覚がない。自分が星野さんより目立っていることを何とも思っていないのは悲しいことだと思うのです。
映画『タカダワタル的』で、高田漣さんに「お父さん(高田渡)がどんな演奏を求めていたか」という質問をするシーンがありましたね。漣さん答えて曰く、「歌い手が歌いやすいような演奏を心がけよ」と。星野源+の動画には、そういう発想がほとんどありません。それに引き替え、上の星野源+はすごい。ちゃんと和了して裏ドラ確かめ、寡黙なドヤ顔するんだから。よくもまぁ、こんなこと考えるというか、実践するよ、ひろーさんは。
下もまたおもしろいね。麻雀にいかれた学生の末路を普通の学生と対比しているわけですが、なんかわたしもそろそろ天鳳やりだしそうな気がして仕方ないのね。パイレーツとやりたい。瑞原とやりたい、なぁんつぁって・・・