寅さんの風景-マイ・バック・ページ(1)
5-1 私の寅さん
(1)高度経済成長と限界集落
私が寅さんに出会ったのは今から5年前のことである。2015年2月初旬、BSテレ東で毎週放送されていた「土曜は寅さん」の第5作「男はつらいよ-望郷篇」(原作1970)を途中から視て衝撃を受けた。物忘れの激しい私が、なぜこうしてきっちりと年月や作品名を覚えているのか、と言えば、それはマドンナを演じた女優が長山藍子さんだったからである。映画に先行するフジTV連続ドラマ(1968-69)で寅さんの妹、さくら役を演じたのが長山さんだから、というわけではない。長山さんは2015年の同時期、NHK連続テレビドラマ「限界集落株式会社」にも出演していた。松岡茉優さん演じる主役の祖母役である。そして、亡くなった祖父は井川ひさしさんであった。つまり長山さんと井川さんがドラマ上の老夫婦だったわけだが、望郷篇でマドンナ長山さんの恋人役を演じたのもまた井川さんであった。艶々しく瑞々しい長山さんと生真面目堅物を絵に描いたような井川さんの仲を知り、寅さんはまた旅にでる。その長山さんと井川さんが、高度経済成長期から45年間を隔てた平成の「限界集落」にあらわれた。四次元的とも言える奇妙な感覚をもって私は二つの画面を注視し続けた。
図01葛飾柴又-寅屋の周辺
「限界集落株式会社」は数回で終わってしまったが、寅さんの放映は延々と続く。もちろん毎週自動録画にしていたが、それだけでは物足らないので、レンタルビデオを片っ端から借りては何度も視なおした。なぜ58歳にして、私は寅さんに嵌ってしまったのか、今でも論理立てた説明はできないが、最初のころ、登場するマドンナの美しさに鼻の下をのばしていたのは間違いない。とりわけ第6作「純情篇」(1971)の若尾文子さん、第12作「私の寅さん」(1973)の岸惠子さんは、手の届かない垂涎の的たるマドンナにふさわしい傾城であり、見惚れる以外になかった。そういう女優の美貌を目の当たりにするだけでも、昭和という時代の力強さを否定しえないと思ったものである。
くりかえすけれども、わたしは58歳になるまで、寅さんにはなんの興味ももっていなかった。映画館に足を運んだこともなければ、テレビでの再放送に熱中したこともない。テレビで画面が流れていたらチャンネルを換えてしまう部類の日本人だったのである。浪花節風のストーリーがどうにも演歌っぽくて好きになれず、自分たちとは別次元の世界の話だと鼻から相手にする気にもならないでいた。食わず嫌い、というのではない。相性が良くなかった。それがどうしたことか。
風景だと思うのである。「限界集落株式会社」で映し出された山梨県山村の風景にも身近な親しみを覚えたが、それ以上に、「男はつらいよ」シリーズの風景は自分が生きてきた時空の原型を示すものであり、懐かしくもあり、誇らしくもあった。これは時間によって醸成された感覚だろうと思う。活力ある昭和という時代の地方の風景と東京の下町の賑わいの入れ替わりに目を見張り、そうした舞台で演じられる人情喜劇の虜になっていった。
以来、葛飾柴又に通うこと三度。寅屋で草だんごをつついてから題経寺に参拝し、寅さん記念館で松竹大船撮影所の映画セットを観察してはその骨董品的風貌に毎度唸り、江戸川の河原を散策して千代川に想いを馳せ、門前町で漬物・川魚の佃煮・割れ煎餅を土産に買う。異常なほど近代化した浅草とは違って、葛飾柴又には古きよき東京下町の情緒が今も溢れている。だから反復的に訪れたくなるのだろう。
図02葛飾柴又-寅さん記念館(旧展示)
(2)教材としての寅さん
すっかり寅さんが趣味と化してしまった2017年から、わたしは映画「男はつらいよ」シリーズを教材として使うことを決心する。この映画は日本人と日本の風景を考えるための重要な情報源であり、今の若者がどのように受けとめるか、少々不安なところもあったが、試してみようと思うに至ったのである。
1・2年生を対象とするプロジェクト研究という演習がある。半期(前期・後期)ごとに環境学部と経営学部の教員が自分の取り組みをシラバスとして掲示し、両学部の1・2年生が希望するプロジェクトをアンケート用紙に5つ書いて提出する。その先は学務課が抽選やらなにやらやって配属を決めるのだが、希望が叶う場合もあればそうでない場合もある。しかし、指導教員が決まったなら文句は言えない。学生たちの多くは、この抽選による配属に教員も係わっていると思っているようだが、教員は学生を選べない。学務課から送られてきたリストをただ受け入れるだけであり、どの学生が自分のプロジェクトを希望したのか、あるいは希望していなかったのかを知らないのである。
心配な気持ちを抱えながら企画した「寅さんの風景」と題するプロジェクトは2017年度の前期に始まり、翌2018年度前期もその続編を実施した。演習の前半では、映画「男はつらいよ」のDVDを数本視てもらう。まず寅さんがあっさり振られる初期のパターン、次に意外にも惚れられる中期のパターン、最後は鳥取を舞台とする第44作「寅次郎の告白」(1991)である。昭和の映画に違和感を覚えていた学生たちもだんだん寅さんに慣れてきて、「寅次郎の告白」のころには愛着すら覚え、大学の近隣に第44作のロケ地が多数あることを知って驚嘆する。わたし自身同じだったのである。第5作「望郷篇」以来、寅さんにのめりこんでいったものの、第44作で、まさか自分の故郷-上方往来河原宿が画面にあらわれるとは夢想だにしていなかった。
「寅次郎の告白」本篇の筋書きに入る前に、まずは河原宿について少々語っておきたい。昭和62年(1987)、オーバードクターを終えて就職する直前の駆け込みで「都市近郊における街村型集落の変容(その1~2)」という研究発表をした(『日本建築学会東海支部研究報告集』25号:pp.445-452)。河原宿の町並みの変容を分析する論考である。以来、まともに河原のことを研究しているわけではないのだけれども、その成果を少々披露させていただく。【続】
↑ザ・バーズ(The Byrds)はディランやニール・ヤングの悲哀を帯びて難解な楽曲をポップなフォーク・ロックに変えてしまう達人でありました。
(1)高度経済成長と限界集落
私が寅さんに出会ったのは今から5年前のことである。2015年2月初旬、BSテレ東で毎週放送されていた「土曜は寅さん」の第5作「男はつらいよ-望郷篇」(原作1970)を途中から視て衝撃を受けた。物忘れの激しい私が、なぜこうしてきっちりと年月や作品名を覚えているのか、と言えば、それはマドンナを演じた女優が長山藍子さんだったからである。映画に先行するフジTV連続ドラマ(1968-69)で寅さんの妹、さくら役を演じたのが長山さんだから、というわけではない。長山さんは2015年の同時期、NHK連続テレビドラマ「限界集落株式会社」にも出演していた。松岡茉優さん演じる主役の祖母役である。そして、亡くなった祖父は井川ひさしさんであった。つまり長山さんと井川さんがドラマ上の老夫婦だったわけだが、望郷篇でマドンナ長山さんの恋人役を演じたのもまた井川さんであった。艶々しく瑞々しい長山さんと生真面目堅物を絵に描いたような井川さんの仲を知り、寅さんはまた旅にでる。その長山さんと井川さんが、高度経済成長期から45年間を隔てた平成の「限界集落」にあらわれた。四次元的とも言える奇妙な感覚をもって私は二つの画面を注視し続けた。

「限界集落株式会社」は数回で終わってしまったが、寅さんの放映は延々と続く。もちろん毎週自動録画にしていたが、それだけでは物足らないので、レンタルビデオを片っ端から借りては何度も視なおした。なぜ58歳にして、私は寅さんに嵌ってしまったのか、今でも論理立てた説明はできないが、最初のころ、登場するマドンナの美しさに鼻の下をのばしていたのは間違いない。とりわけ第6作「純情篇」(1971)の若尾文子さん、第12作「私の寅さん」(1973)の岸惠子さんは、手の届かない垂涎の的たるマドンナにふさわしい傾城であり、見惚れる以外になかった。そういう女優の美貌を目の当たりにするだけでも、昭和という時代の力強さを否定しえないと思ったものである。
くりかえすけれども、わたしは58歳になるまで、寅さんにはなんの興味ももっていなかった。映画館に足を運んだこともなければ、テレビでの再放送に熱中したこともない。テレビで画面が流れていたらチャンネルを換えてしまう部類の日本人だったのである。浪花節風のストーリーがどうにも演歌っぽくて好きになれず、自分たちとは別次元の世界の話だと鼻から相手にする気にもならないでいた。食わず嫌い、というのではない。相性が良くなかった。それがどうしたことか。
風景だと思うのである。「限界集落株式会社」で映し出された山梨県山村の風景にも身近な親しみを覚えたが、それ以上に、「男はつらいよ」シリーズの風景は自分が生きてきた時空の原型を示すものであり、懐かしくもあり、誇らしくもあった。これは時間によって醸成された感覚だろうと思う。活力ある昭和という時代の地方の風景と東京の下町の賑わいの入れ替わりに目を見張り、そうした舞台で演じられる人情喜劇の虜になっていった。
以来、葛飾柴又に通うこと三度。寅屋で草だんごをつついてから題経寺に参拝し、寅さん記念館で松竹大船撮影所の映画セットを観察してはその骨董品的風貌に毎度唸り、江戸川の河原を散策して千代川に想いを馳せ、門前町で漬物・川魚の佃煮・割れ煎餅を土産に買う。異常なほど近代化した浅草とは違って、葛飾柴又には古きよき東京下町の情緒が今も溢れている。だから反復的に訪れたくなるのだろう。

(2)教材としての寅さん
すっかり寅さんが趣味と化してしまった2017年から、わたしは映画「男はつらいよ」シリーズを教材として使うことを決心する。この映画は日本人と日本の風景を考えるための重要な情報源であり、今の若者がどのように受けとめるか、少々不安なところもあったが、試してみようと思うに至ったのである。
1・2年生を対象とするプロジェクト研究という演習がある。半期(前期・後期)ごとに環境学部と経営学部の教員が自分の取り組みをシラバスとして掲示し、両学部の1・2年生が希望するプロジェクトをアンケート用紙に5つ書いて提出する。その先は学務課が抽選やらなにやらやって配属を決めるのだが、希望が叶う場合もあればそうでない場合もある。しかし、指導教員が決まったなら文句は言えない。学生たちの多くは、この抽選による配属に教員も係わっていると思っているようだが、教員は学生を選べない。学務課から送られてきたリストをただ受け入れるだけであり、どの学生が自分のプロジェクトを希望したのか、あるいは希望していなかったのかを知らないのである。
心配な気持ちを抱えながら企画した「寅さんの風景」と題するプロジェクトは2017年度の前期に始まり、翌2018年度前期もその続編を実施した。演習の前半では、映画「男はつらいよ」のDVDを数本視てもらう。まず寅さんがあっさり振られる初期のパターン、次に意外にも惚れられる中期のパターン、最後は鳥取を舞台とする第44作「寅次郎の告白」(1991)である。昭和の映画に違和感を覚えていた学生たちもだんだん寅さんに慣れてきて、「寅次郎の告白」のころには愛着すら覚え、大学の近隣に第44作のロケ地が多数あることを知って驚嘆する。わたし自身同じだったのである。第5作「望郷篇」以来、寅さんにのめりこんでいったものの、第44作で、まさか自分の故郷-上方往来河原宿が画面にあらわれるとは夢想だにしていなかった。
「寅次郎の告白」本篇の筋書きに入る前に、まずは河原宿について少々語っておきたい。昭和62年(1987)、オーバードクターを終えて就職する直前の駆け込みで「都市近郊における街村型集落の変容(その1~2)」という研究発表をした(『日本建築学会東海支部研究報告集』25号:pp.445-452)。河原宿の町並みの変容を分析する論考である。以来、まともに河原のことを研究しているわけではないのだけれども、その成果を少々披露させていただく。【続】
↑ザ・バーズ(The Byrds)はディランやニール・ヤングの悲哀を帯びて難解な楽曲をポップなフォーク・ロックに変えてしまう達人でありました。