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寅さんの風景-マイ・バック・ページ(4)

図22 倉吉鍛冶町2丁目「ひろせや」前でのロケ風景 図22 倉吉鍛冶町2丁目「ひろせや」前のロケ風景(小林房江さん提供)


3.寅次郎の告白

(1)平成へ-主役・マドンナ二人体制へ
 鳥取を舞台とした第44作「寅次郎の告白」(1991)は「男はつらいよ」シリーズ晩期の作品である(図22~24)。従来、盆と正月の年2回上映されてきた同シリーズが年末(~正月)1回になったのが平成元年(1989)。その年まで遡って作品を確認してみると、前半が第41作「寅次郎 心の旅路」(マドンナ竹下景子3回目)、後半が第42作「ぼくの伯父さん」(同檀ふみ2回目+後藤久美子1回目)である。第41作は寅さんがウィーンまで旅する異色の作品であり、ここで一人主役のシリーズが事実上終わったと言っていい。第42作からは甥の満男(吉岡秀隆)とそのマドンナ、泉ちゃん(後藤久美子)が前面に出て、寅さんは満男を暖かく見守る後見人のような役にシフトしつつ、全体としては二重主役、マドンナも二人体制になる。第43作「寅次郎の休日」(1990)では、寅さんのマドンナが夏木まり、満男のマドンナが後藤久美子、第44作「寅次郎の告白」では、寅さんのマドンナが吉田日出子、満男のマドンナが後藤久美子である。
 こうした上映回数と体制の変化は、時勢の変化を反映するものではあった。時代は平成に踏み入り、とりわけ若者の指向する映画や音楽の作風が昭和40~50年代とは変わってきていたのである。国民的美少女、後藤久美子の抜擢はその時流への適応とみるべきであろう。そうした世の遷ろいだけでなく、寅さんを演じる渥美清さんの体調悪化が映画づくりに影を落としていた。渥美さんは癌を患っていた。ネット情報によれば(http://dear-tora-san.net/?p=125)、渥美さんが最初に肝臓癌の告知を受けたのは1970年代の中頃であったという。最高傑作の呼び声高い第17作『寅次郎夕焼け小焼け』(マドンナ太地喜和子)等で絶頂を極めたころである。その肝臓癌が肺に転移したと告知されたのが平成3年(1991)、すなわち「寅次郎の告白」撮影の年である。実際、ロケを見学したり、休憩の世話をした方々にお話をうかがうと、渥美さんは科白を語るとき以外、不機嫌にみえるほど無口であったという。身体の不調は誰の目からみても明らかであり、長時間の撮影には耐えられなくなっていた。それを補ったのが満男である。満男は若き影武者のようにして、寅さんの代役を担った。以下、「寅次郎の告白」のあらすじを再現撮影の写真と照らしつつまとめてみる。


図23倉吉河原町鉢屋川前でのロケ風景01 図23 倉吉河原町鉢屋川前でのロケ風景(小林房江さん提供)


(2)物語のはじまり
 泉ちゃんが就職活動で名古屋から上京してくるということで、満男は朝から浮かれていた.。ちょうどそのタイミングで寅さんも柴又に帰ってきて、いつものとおり、みんなで楽しい夕餉の食卓を囲む。泉は別れ際に寅さんに訊ねる。

  「こんどはいつあえるのかなぁ?」

 寅さんは答える。

  「泉ちゃんがな、オレにあいてぇなぁ、と思ったときだよ」

 なんの変哲もない平凡なやりとりにも聞こえるが、この会話は本作の肝というべき重要な伏線である。
 翌日、泉は満男に伴われ、銀座の楽器店を訪ねるが、雇用についての返事は芳しいものではなかった。「高卒の学生は推薦以外雇用しない、短大を出てからでないと受け入れられない」という担当者の冷たい言葉に落胆する。高校転校3回、父母の離婚、母親の仕事などが影響して、今後の就職活動も容易ではなかろうと不安な気持ちにさいなまれながら、泉は名古屋行きの新幹線に乗る。そして帰宅するとまもなく、母親(夏木まり)がクラブの客を連れて帰ってきた。母親はその客と再婚する気になっており、両親の現実に耐えきれない泉は部屋に閉じこもって、だれも寄せつけなくなった。数日後、柴又の満男のもとに鳥取砂丘の絵はがきが届く。

  日本海が見たくて 
     鳥取に来ました。
  私の寂しさを 
     吸い込んでくれるようです。  泉

 慌てた満男が名古屋の自宅に電話すると、泉は3日前に家出したと母親から聞かされ、矢も立てもたまらなくなって家を飛び出し、鳥取に向かう。


図24 鳥取市若桜橋近くでのロケ風景(山根皆子さん提供) 図24 鳥取市若桜橋近くでのロケ風景(山根皆子さん提供)


図25《再現》若桜橋たもとでの叩き売り  図25《再現》若桜橋たもとでの叩き売り


 そのころ寅さんは、鳥取のしゃんしゃん祭りでバイ(商売)をしていた。現実とは異なる秋のしゃんしゃん祭りであり、場所は若桜橋のたもと、袋川南側土手の路肩である(図24・25)。そんな寅さんと家出した泉が、倉吉の白壁土蔵群で再会し(図26)、泉は感涙にむせぶ(図27)。その夜、古い駄菓子屋で二人は一泊させてもらえることになった。おばあちゃんが三味線で弾きかたる「貝殻節」の哀愁に浸り、川の字になった寝床で泉は今の想いを打ち明け、寅さんは母親の気持ちを代弁するかのように泉を慰める。こうして泉は鳥取という日本海側の片田舎で、地元の人々や寅さんのやさしさに包まれ、安寧な気持ちを取り戻し、母親に対する反発は和らいでいった。
 さて、泉と寅の再会は偶然なのであろうか。思いおこされるのは、柴又での別れの問答である。「こんどはいつあえるのかなぁ」という問いかけに対して、「泉ちゃんがな、オレにあいてぇなぁ、と思ったときだよ」と寅さんは答えた。そのとおり、泉が悩み苦しみ、癒しを求めたとき寅さんは目の前にあらわれた。再会は必然であった。泉は家出してたまたま鳥取に来たのではなく、鳥取に行けば寅さんに会える、と無意識のなかで感じ取っていた。だからこそ、泉と寅さんは鳥取で再会したのだと私たちは思っている。【続】


図26《再現》倉吉白壁土蔵群での泉と寅さんの再会(1)
↑図26《再現》倉吉白壁土蔵群での泉と寅さんの再会(1) ↓図27《再現》同左(2)
図26《再現》倉吉白壁土蔵群での泉と寅さんの再会(2)

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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