寅さんの風景-マイ・バック・ページ(7)

5-4 寅さんの風景-再現撮影
(1)風景のパッチワーク
「寅次郎の告白」の風景地・関係地の分布を図44に示した。市内若桜橋・鳥取駅・駅前、砂丘、倉吉、河原宿・出会橋、稲常(円通寺墓地)、片山(八東川堰堤)、若桜鉄道安部駅がロケ地であり、佐治谷(紙漉き業者の大型車)も関係地として扱える。再現撮影は2017年度前期が河原宿・出会橋、稲常、市内若桜橋・駅前、2018年度前期が倉吉、片山、阿部駅であり、鳥取駅構内と砂丘の2ヶ所だけは未だ撮り終えていない。衣装は柴又で購入した寅さんのTシャツと腹巻以外は寄せ集めである。小道具については、「出会橋前」駅のバス停標識板、寅さんのカバン、赤電話などを学生が自ら廃棄物を活用して制作した(図45・46)。購入したのはカチンコのみ。撮影のたびに「シーン12、テイク3、カァ~ット」などと号令をかけ、再現撮影のムードを盛り上げようとした次第である。
すでに物語のあらすじを述べるにあたり、相当数の再現撮影写真を挿入している。たいした代物ではないと思われたにちがいない。ただし、これらの写真を映画のシーンと対照できれば面白みがじわっと滲みあがってくる。著作権の関係上、そうした操作ができないことを残念に思う。


さて、映画をよく知る人ならば当たり前なのかもしれないが、ロケ地相互にはほとんど関係性がない。ここがドキュメンタリーとの決定的な違いである。スタッフは風景のよい場所を厳選している。その風景をパッチワークのように順不同でつなぎあわせて場面を展開させていることがよく分かる。Aというロケ地に後続するBというロケ地はA地点から思いっ切り離れていたりするのである。また、すでに何度か説明したように、風景地そのものに現実との矛盾が露呈している。ただし、その矛盾に気づくのは地元の地理に詳しい人物に限られる。だからというわけでもなかろうが、制作側は大胆なつぎはぎに挑むのかもしれない。

こうした風景の切り貼り、もしくは現実との乖離については、前節までに①秋のしゃんしゃん祭り(実際は盆踊り)、②出会橋手前の土手道上に置かれたバス停留所(道交法上大型車両通行止/図47)、③寅さんが県外へ向かう列車に乗る若桜鉄道安部駅(若桜を終着駅とするので県外に抜けることは不可能/図48・49)の3点を指摘し、とりわけ②③の場面が絶大な効果をあげていることを指摘した。この作品を名作たらしめている要因の大きな部分を、②③のシーンが占めているように思われてならない。



さらにいくつか細かいことをあげておくと、④新茶屋と円通寺墓地の距離が遠すぎる。河原と稲常は別の自治会区であり、新茶屋に近い城山あたりの墓地に埋葬するというのがリアルだが、ここでも山田監督は千代川の風景にこだわったような気がする。映画では墓地の背景に千代川の流れを見通せる。今は墓地を囲む樹木が成長しすぎて川がみえなくなっている。⑤森下医院から八東川堰堤(図50・51)までの距離も結構ある。サイクリングで行けないことはないが、鳥取へ移動する直前の時間のない朝、あそこまで遠出しなくとも、森下医院の裏側には智頭川(千代川支流)が流れており、そこでのロケも可能であったろう。しかし、やはり山田監督は風景にこだわったのだと思う。あの長く水平にのびる堰堤を満男と泉の最も重要な会話の背景にしたかったのだろう。ちなみにこの堰堤は、私も子供のころよく鮎釣りをした場所だが、上方往来から遠い穴場であって、初めてこの映像に接した時、「(有名でもない場所を)よくみつけたな・・・」というのが実感であり、驚きの念を禁じ得なかった。
もうひとつ、細かい点を気にかけている。⑥倉吉の駄菓子屋まで寅さんたちを迎えにくる佐治紙業の大型車を不思議に思う。佐治谷から辰巳峠・人形峠を経由して倉吉の旧市街地に至るには一時間半ばかり要する(当時の辰巳峠は運転しにくい山道だった)。倉吉旧市街地から砂丘までも一時間以上、砂丘から佐治谷までは一時間弱かかる。なぜこのような複雑な三角形を描く行程を選択したのか。倉吉から砂丘に客人を送りたいなら、地元倉吉の蔵元の車でもよかったのではないか。なぜ佐治谷の紙漉き業者なのか。自分が佐治にも倉吉にも深くかかわる者であるだけに、うまく解釈できないでいる。おそらく、ではあるけれども、佐治谷の紙漉きについて山田監督は事前に一定の情報を得ていて、それを映画のどこかに反映させたかったのかもしれない。あるいは、佐治谷の一部をロケ地に予定していたが、それができなくなったので、車だけ登場させたのか(撮影はしたが没になったのかも?)。親族に佐治の紙漉き業経験者が何名かいることもあり、ずっと気になっている。【続】
