寅さんの風景-マイ・バック・ページ(+)
後記-時は消え去りて
昭和49年(1979)刊行の『鳥取県の民家』に掲載された指定候補39件の追跡調査に昨年来取り組み、いまようやく一応の目途が立ったので報告書としてまとめることにした。一つの背景としてコロナ禍がある。例年数回国外に脱出している身として、この感染症の絶望的状況を打開する光明がどうにもみえてこない。それならば、執筆・編集活動に邁進するしかない、ということである。こういう決断をして一年を過ごしつつある研究者は少なくないだろう。とりわけ海外の安定したフィールドに頼っている者は執筆・編集以外なにもすることのない一年になりそうだと我ながら思う。
幸い本学特別研究費に申請した「文化遺産報告書の追跡調査からみた過疎地域の未来像-民家・近代化遺産・町並みの持続可能/不可能性をめぐって」が採択されたことで、若干の展望は開けつつある。個人的にはいま一度全国緊急事態宣言を発してもらいたいと願っているが、その結果として、国内の過疎地を訪問することさえ叶わなくなるとしたら、研究はお手上げである。万歳三唱し、年度末には研究費を返上するしかない。
さて、本文で冗長に語り続けてきた内容は以下の4点に要約される。
1)鳥取県の民家で「指定」解除4件、秋田の近代化遺産で「登録」抹消10件以上を確認したように、文化財保護法の「指定」や「登録」の制度はすでに破綻の兆しをみせている。過疎の嵐は地域社会をカスタマイズせんばかりに勢いを増しており、とりわけ財政的支援基盤のない「登録」の制度は今後さらなるダメージを受け、制度の改革を強いられるかもしれない。
2)こうした社会的状況を鑑みるならば、新規の「指定」「登録」には慎重に臨まなければならない。指定・登録によって歴史的建造物の持続可能性が保証されるとは限らないからだ。むしろ、指定・登録済みの建造物の保全に全力を尽くすというスタンスに徹すべき時代に移行してきている。
3)この場合、未指定・未登録文化財は消滅への道を歩むことになるが、後継者不在・アメニティ(住み心地の良さ)欠如・財政難にあらがってまで保全する意味はなく、むしろ安寧な「終活」のあり方を具体的に構想しなければならない。すでに一部の民間会社が実践しているように、民家を丁寧に解体して、古材・建具・家具等を骨董品店や工務店などに売却し、撤去費の軽減を図る。リサイクルに供しつつ、撤去の負担を抑えようというアイデアである。こうした取り組みを洗練させ、行政も見て見ぬふりをするだけでなく、側面からしっかり支援できる体制を整える必要がある。この場合、古材バンクは不要であり、解体と同時に古材・建具類を業者に引き渡すミニマリスト(物をもたないことを心情とする人々)的システムが最善と思われる。
4)無住化した古民家(空き家)を移住・定住と関係づける発想が常識のようにしてはびこってきたが、そうした思考は幻想であり、「リフォームブームも今は昔のこと」だと専門家は指摘する。安定感のある移住・定住を期待するならば、むしろマンションや新築家屋に住んでもらうほうが効果的である。そのことに早く気づかなければならない。リフォームに十分な補助金を拠出できない現状にあっては、老朽化した木造建築はアメニティの低い住まいでしかなく、早期の転居を導きかねない。
昭和49年(1979)刊行の『鳥取県の民家』に掲載された指定候補39件の追跡調査に昨年来取り組み、いまようやく一応の目途が立ったので報告書としてまとめることにした。一つの背景としてコロナ禍がある。例年数回国外に脱出している身として、この感染症の絶望的状況を打開する光明がどうにもみえてこない。それならば、執筆・編集活動に邁進するしかない、ということである。こういう決断をして一年を過ごしつつある研究者は少なくないだろう。とりわけ海外の安定したフィールドに頼っている者は執筆・編集以外なにもすることのない一年になりそうだと我ながら思う。
幸い本学特別研究費に申請した「文化遺産報告書の追跡調査からみた過疎地域の未来像-民家・近代化遺産・町並みの持続可能/不可能性をめぐって」が採択されたことで、若干の展望は開けつつある。個人的にはいま一度全国緊急事態宣言を発してもらいたいと願っているが、その結果として、国内の過疎地を訪問することさえ叶わなくなるとしたら、研究はお手上げである。万歳三唱し、年度末には研究費を返上するしかない。
さて、本文で冗長に語り続けてきた内容は以下の4点に要約される。
1)鳥取県の民家で「指定」解除4件、秋田の近代化遺産で「登録」抹消10件以上を確認したように、文化財保護法の「指定」や「登録」の制度はすでに破綻の兆しをみせている。過疎の嵐は地域社会をカスタマイズせんばかりに勢いを増しており、とりわけ財政的支援基盤のない「登録」の制度は今後さらなるダメージを受け、制度の改革を強いられるかもしれない。
2)こうした社会的状況を鑑みるならば、新規の「指定」「登録」には慎重に臨まなければならない。指定・登録によって歴史的建造物の持続可能性が保証されるとは限らないからだ。むしろ、指定・登録済みの建造物の保全に全力を尽くすというスタンスに徹すべき時代に移行してきている。
3)この場合、未指定・未登録文化財は消滅への道を歩むことになるが、後継者不在・アメニティ(住み心地の良さ)欠如・財政難にあらがってまで保全する意味はなく、むしろ安寧な「終活」のあり方を具体的に構想しなければならない。すでに一部の民間会社が実践しているように、民家を丁寧に解体して、古材・建具・家具等を骨董品店や工務店などに売却し、撤去費の軽減を図る。リサイクルに供しつつ、撤去の負担を抑えようというアイデアである。こうした取り組みを洗練させ、行政も見て見ぬふりをするだけでなく、側面からしっかり支援できる体制を整える必要がある。この場合、古材バンクは不要であり、解体と同時に古材・建具類を業者に引き渡すミニマリスト(物をもたないことを心情とする人々)的システムが最善と思われる。
4)無住化した古民家(空き家)を移住・定住と関係づける発想が常識のようにしてはびこってきたが、そうした思考は幻想であり、「リフォームブームも今は昔のこと」だと専門家は指摘する。安定感のある移住・定住を期待するならば、むしろマンションや新築家屋に住んでもらうほうが効果的である。そのことに早く気づかなければならない。リフォームに十分な補助金を拠出できない現状にあっては、老朽化した木造建築はアメニティの低い住まいでしかなく、早期の転居を導きかねない。
こうしたスタンスで今後の文化財保護に臨む場合、未指定・未登録の歴史的建造物はますます撤去が進むことになる。令和は、それをこれまで以上に当然の事態として受け入れる時代になるであろう。色即是空、空即是色。色(形)あるものはかりそめの姿でしかなく、その実体は空であり、本来空であるところの状況に特別の条件がたまたま作用して色(形)になっているにすぎない。こういうお釈迦様の教えが宇宙の論理として正しいとすれば、民家などの歴史的建造物は私たち生物と同じように、いずれは老いて命を失ってしまう。だから、文化財の保存は、毛沢東の遺体を無理やりミイラにして紀念堂に展示する行為と本質的に変わるところがない。しかしながら、命ある人間が死を迎えるにあたって安寧な眠りと厳かな葬礼を期待するように、建造物だって安寧な終わり方をさせてあげたいではないか。だから、古民家の「終活」について考察をめぐらせた次第である。
本書は当初、4章構成になる予定であった。その作業がほぼ終わりかけた長梅雨の終わりころ、突然、「寅さんの風景」を第5章として追加することを決断し、レイアウトなどで4年生諸君の手を煩わせた。執筆する側にまわった私も苦しんだ。これまで講義・講演で寅さんを気楽に論じてきたものの、それを町並みや文化財保護の問題と絡ませながら体系だった記述に仕上げるのは容易ではない。寅さんを愛するがゆえの金縛り症状に悩み、筆の動きが遅くなった。しかしながら、『鳥取県の民家』(1979)追跡調査の成果を、「寅次郎の告白」(鳥取篇 1991)と対照するのは意義深い作業であったと思う。「寅次郎の告白」の背景として使われた故郷の風景は、複数の重要な定点として評価できる。文化庁が重伝建や登録文化財の制度を適用しえない段階にあって、鳥取にはあれだけの町並みが残っていた。それから30年近い年月が過ぎ去り、寅さんの風景は二極分解の様相を呈している。文化財保護法による保全の対象となった場所は映画とほとんど変わることがなく、保全から除外された場所は、「ここまで変わるのか」というほどの混乱に陥っている。それは『鳥取県の民家』の追跡調査で得た感覚とよく似ている。指定・登録・選定などの制度に庇護された対象は古き良き景観をとどめ、制度から除外された対象は消滅もしくは更新され、昔の面影を失っている。そして、繰り返しのべておくと、指定や登録の制度すら過疎の嵐に吹き飛ばされそうな気配のある点、行政はおおいに警戒しなければならない。
過疎の嵐が在方の農山村で深刻化し、民家の無住化や空地化を招いていることは『鳥取県の民家』追跡調査で十分再確認されたが、「寅次郎の告白」再現撮影の結果、同様の傾向は旧街道筋の町場でも顕在化していることが明らかになった。秋田や鳥取という日本海側の自治体にあっては、町も村も「限界集落」化しているのであり、しかも、それらの小コミュニティは県全体の圧縮モデルだということができるであろう。とすれば、「鳥取を元気にする」という発想の地域振興ばかりをめざしているのは誤りであり、県全体の「終活」を構想しなければならない時代をも迎えているのではないか。個人的な話で恐縮だが、家内の実家がある佐治の山村でお年寄りに話をうかがうと、「あと30年でムラは消滅する」と予言された。その予言は一つの山村だけに該当するものではなく、県内大多数の町村へむけたメッセージとしてとらえるべきものであろう。この県をどのように終わらせるのか。安寧な終わり方はどういう構図を描くものなのかを考察すべき新しい時代を迎えている。
本書は当初、4章構成になる予定であった。その作業がほぼ終わりかけた長梅雨の終わりころ、突然、「寅さんの風景」を第5章として追加することを決断し、レイアウトなどで4年生諸君の手を煩わせた。執筆する側にまわった私も苦しんだ。これまで講義・講演で寅さんを気楽に論じてきたものの、それを町並みや文化財保護の問題と絡ませながら体系だった記述に仕上げるのは容易ではない。寅さんを愛するがゆえの金縛り症状に悩み、筆の動きが遅くなった。しかしながら、『鳥取県の民家』(1979)追跡調査の成果を、「寅次郎の告白」(鳥取篇 1991)と対照するのは意義深い作業であったと思う。「寅次郎の告白」の背景として使われた故郷の風景は、複数の重要な定点として評価できる。文化庁が重伝建や登録文化財の制度を適用しえない段階にあって、鳥取にはあれだけの町並みが残っていた。それから30年近い年月が過ぎ去り、寅さんの風景は二極分解の様相を呈している。文化財保護法による保全の対象となった場所は映画とほとんど変わることがなく、保全から除外された場所は、「ここまで変わるのか」というほどの混乱に陥っている。それは『鳥取県の民家』の追跡調査で得た感覚とよく似ている。指定・登録・選定などの制度に庇護された対象は古き良き景観をとどめ、制度から除外された対象は消滅もしくは更新され、昔の面影を失っている。そして、繰り返しのべておくと、指定や登録の制度すら過疎の嵐に吹き飛ばされそうな気配のある点、行政はおおいに警戒しなければならない。
過疎の嵐が在方の農山村で深刻化し、民家の無住化や空地化を招いていることは『鳥取県の民家』追跡調査で十分再確認されたが、「寅次郎の告白」再現撮影の結果、同様の傾向は旧街道筋の町場でも顕在化していることが明らかになった。秋田や鳥取という日本海側の自治体にあっては、町も村も「限界集落」化しているのであり、しかも、それらの小コミュニティは県全体の圧縮モデルだということができるであろう。とすれば、「鳥取を元気にする」という発想の地域振興ばかりをめざしているのは誤りであり、県全体の「終活」を構想しなければならない時代をも迎えているのではないか。個人的な話で恐縮だが、家内の実家がある佐治の山村でお年寄りに話をうかがうと、「あと30年でムラは消滅する」と予言された。その予言は一つの山村だけに該当するものではなく、県内大多数の町村へむけたメッセージとしてとらえるべきものであろう。この県をどのように終わらせるのか。安寧な終わり方はどういう構図を描くものなのかを考察すべき新しい時代を迎えている。