近代化遺産を往く-秋田紀行(4)

4.学校リノベーション
(1)鳥海山 木のおもちゃ美術館(旧鮎川小学校)
8月25日正午過ぎ、由利本荘市にある鳥海山 木のおもちゃ美術館(旧鮎川小学校)を訪れた。駐車場から車を下りた瞬間、由利高原鉄道をゆく一輛の列車に目を奪われた(図22)。ああいう風景をみると、本研究室のメンバーは寅さんを思い起こす。映画の舞台になったわけでもないのに、「寅さんの風景」だと感じ入り、見惚れてしまのである。コロナ禍第二派の最中にある猛暑の一日であったというのに、駐車場には次々と車が入ってきて、20~40代と思しき女性たちが足繁く校舎に向かう。なんだ、この人気は?

旧鮎川小学校は当初旧鮎川中学校の校舎として、昭和28~29年に建設されたものである。昭和45年(1970)、鮎川中学校が由利中学校に統合された結果、この校舎に小学校が移転したのだが、平成16年(2004)、今度は鮎川小学校が由利小学校に統合され廃校となった。廃校の直前にあたる平成14~15年度、秋田県近代和風建築総合調査が実施され、鮎川小学校も第3次調査の対象となる(『秋田県の近代和風建築』報告書、2004:№22)。平成20年(2008)には校舎の保存活用を願う有志や地域住民が中心となって「鮎の風実行委員会」を組織し、環境整備に取り組むとともに定期的に交流会を開催していく。平成22年には、本校舎を会場に「第2回よみがえる廃校全国サミット」が開催された。

校舎は東西方向にのびる教室棟3棟と屋内運動場(体育館)で構成されている(図23・24)。校長室・職員室のある中央校舎棟を軸線として左右両側に校舎棟を配置したシンメトリーの構成であり、妻飾りを派手にして高さを強調した屋内運動場を校地北側に配して、4棟全ての妻面を校庭側に向けるなど全体の均衡を意識した設計となっている。

外壁は焼杉下見張りに濃茶のペンキを塗って抑制を効かせながら、柱や窓枠を白ペンキで縁取りしてツートンカラーとし、モダンな雰囲気を醸し出している。一方、内部は杉板張りの床板や腰壁、竿縁天井など徹底して和風造作にこだわっており、建具も含めて秋田杉の木目を活かした調和感のある姿を今に留めている。このように旧鮎川小学校は、明治末~大正期の校舎の伝統を引き継いだ昭和戦後の木造校舎として、当初の姿をよく伝える全国的にも稀少な遺構であり、平成24年(2012)に国の登録有形文化財となった。現在は、「鮎川学習センター」として鮎の風実行委員会による交流会を定期的に開催しながら、本荘こけしの絵付け体験や本荘組子の製作体験など、さまざまな学習活動をおこなっている。
平成30年(2018)、旧鮎川小学校は学習センターとしての機能を維持しつつ、「鳥海山 木のおもちゃ美術館」をオープンさせた。館内には秋田杉を使った玩具や大型遊具を設置し、「子どもが楽しむための施設」というだけでなく、市内の林業関係者や子育て支援団体の新たな活躍の場として、子どもから大人まで楽しめる「多世代交流・木育美術館」をめざしている。


お昼時にこの場所を訪れた私たちは、校舎内にある「キッチンカフェkino」で昼食をとった(図25)。行事予定表の黒板(廃校直前のスケジュールを書き込んである)など、職員室の名残を感じさせるインテリアに囲まれて(図26)、スタッフとして活動されているNPO職員の方にお話をうかがうことができた。それによると、鮎川小学校の校舎はおもちゃ美術館がオープンする前から森林や鉄道に囲まれた環境とともに地域の人びとにとても愛されていて、閉校後もボランティアの方々によって手入れがおこなわれていたとのことである。そして、この地におもちゃ美術館ができるという話が出てきた際、しっかりとした組織をつくって校舎や周辺の環境を守っていくことができればと考え、NPOを立ち上げたという。現在でも地域の方からたくさんの協力を得て施設を運営しておられるとのこと。カフェkinoで働くお母さん方も地元の方が多いとのことである。また、食事の材料も地元のものをふんだんに使用しており、そういうおもてなしを非常に大切にしておられた。

私はここで、カフェの名前が入ったキノカレーをいただいた(教授と会長は由利本荘うどんを注文)。夏野菜たっぷりで辛さ控えめのカレーは、小学校時代の給食カレーを思い出させるやさしい味で、とても美味しかった(図27)。ここを訪れたのは平日であったが、女子会のようなグループで食事をされている方々も多くみうけられた。駐車場でみたマダムたちが来校された目的はカフェkinoでのランチだと知った次第である。鄙びた木造校舎がNPOの手であか抜けた内装に生まれ変わり、コロナ禍の過疎地にあって、女性客を集めているという一点だけでも特筆すべきことだと思う。


(2)秋田公立美術大学アトリエ(旧国立新屋農業倉庫)
旧国立新屋農業倉庫(報告書1992:I-01)は、秋田県が大正6年から20年の歳月をかけた「雄物川改修工事」の掘削土による湿原埋め立て地に立地する。昭和9年(1934)、旧秋田県販売購買組合連合会(現秋田経済連)が米穀の売り渡し操作の必要性からこの地に建設し、その翌年に完成したものである。設立から遠くない昭和14年には、旧新屋町所有の敷地とともに農林省に寄付され、以来、秋田食料事務所の管理下で米の需給調整に活用されてきた。
全ての棟は、間口14.3m、奥行45m、高さ8.5mの土蔵造風の木造平屋建、屋根は切妻造鉄板葺き、広い内部空間を丸太柱が支え、小屋組はトラスと和小屋を組み合わせた和洋折衷の構造とする。倉庫8棟全体の標準収容力は、秋田県米年間消費量の約3割を保管できるほどである。庇(オダレ)のかかる東側通路150mは、1.5㎞離れたJR羽越本線新屋駅からの引っ込み線のプラットホームで、最盛期には多量の米が15トン貨車で運ばれていたという(図28)。


図29 同上背面(大学施設としては正面)
さほどに重要な倉庫であったが、平成2年(1990)3月には「用途廃止」となった。近代化遺産調査初年度のことである。報告書刊行前後から、地元新屋地区や多くの市民から保存活用の要望が示され、平成3年、当時新設した短期大学の校舎として活用する方針となり、平成6年には短期大学用地として秋田市に譲渡が決定し、平成7年4月から短期大学が開学し、キャンパスの一部として活用されている(図29)。平成12年には国の登録有形文化財となった。

大学施設の7棟、すなわち①工芸体験棟、②金属工芸実習室・木材工芸実習室、③基礎造形実習室、④ガラス工芸実習室、⑤織物実習室、⑥ギャラリー棟・地域交流棟、⑦多目的ホールには「アトリエももさだ」という愛称がある。ここにいう「ももさだ」とは、新屋地区の古名「百三段(ももさだ)」に由来する。それは、アイヌ語のモムサンドイ(川尻の土地)が語源ともいう。キャンパスの顔というべき旧国立農業倉庫は「コミュニティー・カレッジ」のコンセプトを表現するシンボルとなった。コミュニティー・カレッジとは、二年生大学(短大)のことであるが、とりわけアメリカでは地域(コミュニティ)との結びつきを強めた、社会人の学びの場になっている。実際、上記⑥⑦などは地域に開かれた施設であり、アトリエに隣接する秋田市立新屋図書館もそのコンセプトの延長上にあるものとみてよかろう。


市立新屋図書館は昭和37年(1962)、中央図書館明徳館の分館として開館した。平成10年(1998)、明徳館から独立してキャンパスの敷地内に移転新築されたものである。本館はグッドデザイン賞を受賞した現代建築であり(図30)、それに付属する収蔵庫兼閲覧室として倉庫群南端の1棟をあてる(図31・32)。市立図書館は個性の強い造形をしており、倉庫群との調和という点ではいくぶん気になるところもあるが、背面に控えるキャンパスの建物は抑制が効いた造形であり、倉庫群を主役として引き立てている。倉庫群はキャンパスの一部というよりも、明らかにキャンパスの顔となっている。コミュニティー・カレッジ(地域大学)の名にふさわしい景観がそこに展開している。

立場上、どうしても本学(環境大学)と比較してしまうが、屋上緑化などの工夫をしているとはいえ、現代建築だけで構成されるキャンパスにはない魅力を感じたというのが正直な本音である。この日見学した二つの「学校」は、地元の人びとにとても愛され支援されている。それが文化財建造物の活用を通しての地域の結びつきである点がなにより印象的であった。(井上・浅川)

《連載情報》近代化遺産を往く-秋田紀行
(1)近代化遺産と町並み
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2271.html
(2)発酵の未来
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2272.html
(3)土木遺産の現状-複合遺産としての性格
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2269.html
(4)学校リノベーション
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(5)小坂鉱山の遺産群と環境緑化
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(6)失われた近代化遺産
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(7)秋田に学ぶ過疎地の未来像
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2274.html