近代化遺産を往く-秋田紀行(3)

3.土木遺産の現状-複合遺産としての性格
(1)院内油田跡地
8月25日(火)午後、にかほ市にある院内油田跡地(報告書2019:I-19)を訪ねた。石油のことを古くは「臭水(くそうず)」と呼び、旧院内村の東方には、字を「臭津(くそうづ)」という丘陵地帯があって、古くから石油が露頭していたという。明治の初め、アメリカの地質学者ベンジャミン・S・ライマンがここに良好な油層が存在することを科学的に確認し、明治期には試掘が繰り返された。それが実を結んだのは、大正以降のことである。大正12年、大日本石油鉱業株式会社が上小国地区第1号井の深度110~425mの地層で日産約5㎘の機械採油に成功、昭和3年には日本石油株式会社が院内油田初のロータリー1号井による採油に成功、昭和5年には旭石油株式会社が「鋼式1号井」を用いて深度646mで8㎘の出油をみた。昭和10年頃には年産11万㎘に達し、油田開発は最盛期を迎え、院内・小国・上小国・平沢の4エリアに及ぶ院内油田は国内最大規模を誇った。昭和17年には戦時特措によって4社が合併して帝国石油株式会社が誕生するも、戦後は徐々に産油量が減少し、昭和46年には秋田石油鉱業株式会社に経営権が移行。近代化遺産調査の時点では稼働していたが、平成7年(1995)に閉山となった。その後、採油に係わった旧社員等の尽力により、平成19年(2007)に経済産業省の「近代産業遺産」に登録され、今は「院内油田やぐらR31A」の跡地が公開されている。


図13 院内油田やぐらR31A」の跡地(と案内板)
やぐらR31Aの記号について説明しておく。Rはロータリー(Rotary)掘削方式のイニシャル。ロータリー式は昭和になって新しく実用化された掘削方法で、パイプの先につけたビット(刃)を回転させて岩石を削り、掘り屑をパイプの中に送り込んで地上へ搬出する。31は院内に「31番目の採掘ヵ所」であることを示す。Aは旭石油株式会社のイニシャル。R31Aは深度700m位からガスと油を採取していた。R31Aの採油量は、1日平均400ℓ(20ℓ缶で20缶)、最大で1日1000ℓ(20ℓ缶で50缶)であり、昭和40年頃までは木造やぐらあったが、その後は鉄管製に移行した。

やぐらから少し離れた位置にポンピングパワー棟がある(図14)。ポンピングパワーとは、ポンプで採油をおこなう際に数多くの採油井に据付けられたポンプを1ヵ所の動力設備で同時に駆動させる動力設備のことで、油層深度が200~800mと浅い坑井(こうせい)で多く採用されてきた。院内は浅層油田であることから、数基のポンピングパワーでほぼ全ての油井から採油をおこなっていたとのことである。ポンピングパワー(PP)の垂直回転運動をオオバンドとカムシャフトで水平方向の往復運動に換え、ワイヤーロープで坑井の採油装置を動かしていた。このように伝達された水平方向の往復力は、やぐらの位置で垂直方向の往復運動に変換され、油とガスを汲み上げていた。ポンピングパワー棟は無人だが公開されており、訪問者は自主的に記帳するシステム。ポンピングパワーやオオバンドなどの実物を至近距離で見ることができる。私は油田やその採掘設備を実際にみるのは初めてであり、とても印象深かった。展示されている最盛期院内油田の古写真などと残されているやぐらを見比べ、往時に思いを馳せながらこの場所を後にした。(井上)

図15 ポンピングパワーPP(↓)とオオバンド(↑)



(2)小滝温水路
院内油田を離れ、同じにかほ市にある小滝温水路(報告書2019:I-02)を訪れた。報告書刊行後、土木学会「推奨土木遺産」(2003)、農林水産省「疏水百選」(2006)、2009年には長岡・大森・水岡・小滝・象潟の温水路群を包括する「上郷の温水路群」として県の有形文化財(建造物)に指定されている(図16~17)。
温水路は、鳥海山の融雪水による灌漑用水の冷水温障害(稲の生育障害)を克服することを目的として昭和初期の農民が考案した農業用水路である。温水路造営の指導したのは、にかほ市象潟町長岡出身の佐々木順治郎という。水路の幅を広く、水深を浅くすることで、多くの落差が生まれ、冷水を滞留させることで水温を温めようとした。現在でも、温水路は寒冷地の農業に大きく貢献している。生きた農業/土木遺産としていっそう注目すべきであろう。(井上)

↑図17 下流側からみた小滝温水路 ↓段差アップ 案内板



(3)菅生橋と麻生堰
調査初日(24日)の夕刻、湯沢市の菅生橋(報告書2019:T-03・1932着工・県指定文化財2003)を訪れた(図18)。洪水を繰り返した皆瀬川に架かる道路橋として昭和7年(1932)に着工したプラットトラス橋である。地域の悲願というべき「永久橋」であったという。近代化遺産の調査後、平成6~7年に補修工事がおこなわれ、高欄を新たに取り替え、歩道道を付設したが、平成13年(2001)、上流側に架設された新菅生橋に車道の役割を譲った。こういう機能停止の場合、土木施設は「廃絶」を原則とするが、まもなく県の指定文化財(建造物)となり、機能を「歩道橋」に転換することで命脈を保っている。現在、塗装等の劣化が目立ち、補修が必要になっている。また、併設された旧歩道は機能していないので撤去し、当初の構造に近づけるべきであろう(図19)。


菅生橋は土木建築遺産としての価値があるだけではない。なにより地元民からの愛着を集めている。下流北東側の河川敷は芝生の広場になっており、夏は(コロナがなければ)キャンプやバーベキュー客で賑わう(図19)。この草刈りを自主的におこなっているのは土手の上の地域住民である。皆瀬川では鮎もよく釣れる。塩焼きにした鮎を稲庭うどんに浮かべれば絶品だとか・・・

風景も素晴らしい。報告書(1992:p.149)でも述べているように、菅生橋は小安峡の入口にあり、周辺の山水を引き立てる優れた点景としての役割を果たしている。さらに下流側の川中に斜行する石組が目をひく。麻生堰の取水口である(図21)。菅生橋の北側から取水し約6kmの流域205haの水田を灌漑する用水路として、麻生与惣右ェ門が元禄年間に開削した。こうしてみると、菅生橋は名勝および史跡としての文化財価値を備えていることが分かる。ただ有形文化財(建造物)として個別の価値に偏るのではなく、「菅生橋と麻生堰」を主題として名勝・史跡としての価値を訴求すべき場所のように思われる。
「上郷の温水路群」も建造物として指定の対象になっているが、むしろ「上郷温水路群と水田の景観」として重要文化的景観をめざすべき農業土木系の複合遺産であり、院内油田も同様にやぐらなどの施設の跡地に限らず、油田全体の地形・土地利用等を史跡もしくは文化的景観として位置づけるべきと思われる。こうした複合遺産としての性格は、自然と対峙しながら融合する近代化遺産全体に係る問題であり、今後も事例に即して言及していく。(浅川)

《連載情報》近代化遺産を往く-秋田紀行
(1)近代化遺産と町並み
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2271.html
(2)発酵の未来
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2272.html
(3)土木遺産の現状-複合遺産としての性格
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2269.html
(4)学校リノベーション
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2268.html
(5)小坂鉱山の遺産群と環境緑化
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2273.html
(6)失われた近代化遺産
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2270.html
(7)秋田に学ぶ過疎地の未来像
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2274.html