近代化遺産を往く-秋田紀行(5)

5.小坂鉱山の遺産群と環境緑化
(1)近代化遺産調査の主役として
8月26日(水)午後、秋田市から約2時間の走行後、青森県との境に近い小坂町の「明治百年通り」に到着。十和田湖に近い山間地だが、猛暑は衰えを知らず、灼熱炎天下の視察となった。
小坂鉱山の開発は幕末に遡る。盛岡藩によって金銀の採掘と精錬が始まり、明治2年(1869)には官営鉱山に転じるも、同17年には藤田組に払い下げられた。明治34年(1901)、銀の生産高が日本一となる。近代的な工場の整備だけではなく、労働者のための住宅や病院、劇場、鉄道などのインフラが整えられ、19世紀後半から1世紀以上、東北の山間部に「鉱山都市」が花開いた。明治末における小坂町の人口は2万数千人に及び、秋田市に次ぐ県内第2位の地位を誇ったが、現在の人口は5千人を切っている。近代化遺産調査の初年度にあたる平成2年(1990)に鉱山は廃鉱となる。当時、多くの近代化遺産が群として残っており、すでに緑化した丘陵地帯も「廃墟」の匂いをぷんぷん漂わせていた。同時期に調査され世界文化遺産にまで駆け上がった群馬県の富岡製糸場に引けを取らない迫力があったと関係者は口をそろえる。近代化遺産調査では、旧小坂鉱山事務所をはじめ電錬場(電気精銅工場)、変電所、製品倉庫、上級役宅、劇場など鉱山関係の遺産30件が対象となり、うち10件の詳細が『秋田県の近代化遺産』(1992)で取り上げられた。小坂鉱山はこの報告書のなかで最も多くのページを割いた近代化遺産である。調査の主役であったと言って過言ではない。

(2)明治百年通り
「明治百年通り」は、南北500mを直線的にのびる道路を中心に小坂鉱山の繁栄を物語る建造物を散りばめ、アカシアの並木で彩る都市公園として整備されている。明治の芝居小屋「康楽館」(重文2002)、「小坂駅本屋及びプラットフォーム」(登録2015)、旧聖園マリア園「天使館」(登録2003)が位置を変えずに建ち、「旧小坂鉱山事務所」(重文2002)と「小坂鉱山工作課原動室」(登録2017)が山上から移築され、復原再生されている。これらの施設群は、平成23年に設立された「小坂まちづくり株式会社」が管理運営にあたっており、平成13年に環境省の「かおり風景100選」に選定され、平成17年には国土交通省より都市景観大賞「美しいまちなみ賞」、平成18年には「手づくり郷土賞」の地域整備部門を受賞している。

康楽館: 鉱山労働者の福利厚生のための芝居用劇場として明治43年(1910)に建立された(図35~37)。木造2階建・切妻造・妻入で、外壁を下見板張りとして白ペンキを塗る明治の擬洋風建築である。内部は、玄関ホール、客席の桟敷、舞台、花道、楽屋などからなり、舞台中央に廻り舞台を設える。和洋折衷による近代劇場建築の傑作と評価される。こけら落とし後、演劇・民謡・芸能などのイベント会場として使用されていたが、昭和45年(1970)に中断。昭和60年(1985)、同和鉱業株式会社(旧藤田組)から小坂町へ無償譲渡され、昭和61年の県指定に伴う修理工事を経て、興行が復活した。現在も4月~11月のほぼ毎日、常打芝居がおこなわれている。このたびの訪問時は新型コロナウイルス感染拡大防止のため興行は中断しており、黒子の方に館内の案内をしていただいた。重要文化財の活用実例として興味深い。

旧小坂鉱山事務所: 康楽館の北側、駐車場などの公園施設を挟んで、木造3階建て白亜の広壮華麗な洋館が目を引く。旧小坂鉱山事務所である(図37~40)。小坂鉱山事務所は明治38年(1905)、鉱山山麓に建設された。当初の平面は逆凹字形だったが、昭和17年(1942)、背面に大規模な増築を施し、口字形に変化した。平成9年(1997)、町有形文化財に指定され、ほぼ同時に小坂精練株式会社(同和鉱業から分社独立)から町へ無償譲渡された。平成11年(2009)には、解体修理の後、現在地に移築され、同13年に竣工・オープンする(平面はロ字形を継承)。翌14年(2002)には康楽館とともに国の重要文化財に指定された。

外観の意匠はルネサンス風を基調とし、正面中央のバルコニー付きポーチを強調している。内部は玄関ホール中央に3階までつきぬける欅造りの螺旋階段が圧巻。1階には受付と事務所、土産物ショップ「明治百年堂」があり、2階には企画展示室、貸室の交流ホール、レストラン「あかしあ亭」がある。階は小坂鉱山の歴史を紹介する展示室や衣装レンタル室を設ける。1階から3階までの移動は、螺旋階段や階段を利用したが、玄関ホールの奥にエレベーターを設置している。この活用状況を目の当たりにして、無意識のうちに鳥取の重文「仁風閣」と対比し考え込んでしまった。指定文化財の積極的な活用を考えるときに参考になる事例の一つである。重文の積極的な活用例として賛意を送りたいけれども、重文指定以前の修復であるからだろうか、天井板や階段踏板などに新材を多用しており、「骨董品としての風貌」を失っている部分が少なからず見受けられたのは残念なところである。


↑(左)図38 同上バルコニー (右)図39 同上螺旋階段


旧小坂鉱山工作課原動室 : 旧小坂鉱山事務所を見学後、事務所と康楽館の間にあるカフェ「赤煉瓦倶楽部」で一息入れた。大げさではなく、熱中症寸前の状態であり、冷房の効いた倶楽部で飲む山葡萄ソーダが干からびた体に染みわたる。このカフェは鉱山にあった小坂鉱山工作課原動室 (電気室)を2015年に解体・移築したものである(図41・42)。明治37年(1904)建立の木骨煉瓦造で、2017年に国登録有形文化財となっている。内側から杉の集成材で頑丈な構造補強をしており、古材と新材を識別しやすい。鉱山事務所から一歩進んだ修理のスキルをみせており、好感を抱いた。


小坂鉄道レールパーク: 明治百年通りの南端に小坂鉄道小坂駅舎が原位置にあり、小坂鉄道レールパークとして活用されている。小坂鉄道は、小坂鉱山から産出される製品を運送するため藤田組によって敷設され、明治42年(1909)に開業した。奥羽本線の大舘駅と小坂を結ぶ路線総長は22㎞である。近代化遺産調査の段階では、小坂精練株式会社の直営で貨物輸送を主体としていたが、平成6年(1994)に旅客営業が廃止され、平成21年に廃線となった。その後、小坂駅を鉄道テーマパークにする方針が小坂町から示され、敷地は所有者との賃貸契約、駅舎や車輛庫、蒸気機関車、ディーゼル機関車などが無償譲渡された。駅舎は明治42年の建立で、木造平屋建て切妻造。今は事務室や展示室と活用されている。昭和戦前と平成2年に改修をおこなったせいか、明治末にふさわしい古風な材料が乏しいように思われたが、玄関ポーチの柱に用いる米国ベスレヘム社製レールは当初のものである。レールパークでは、ディーゼル機関車の運転体験をはじめ観光トロッコの乗車体験などができ、かつ、寝台特急「あけぼの」の客車を利用した宿泊施設を完備している。廃線跡を「観て・学んで・体験できる」複合施設として蘇っていることを実感した。

(2)環境緑化と鉱山の文化財価値
このように、主要な近代化遺産を「明治百年通り」に集中させて観光客をあつめているが、レールパークから鉱山に向かう途中の旧繁華街には営業している店舗があまり目に付かない。ところが、旧鉱山地帯に入ると、再び活気を取り戻す。旧鉱山の施設群はDOWAホールディングス(旧同和鉱業株式会社)とその子会社、小坂精練株式会社によって金属リサイクル事業に活用されているのである。後者のHPによれば、世界経済の発展とともに各国の資源獲得競争が激しくなるなか、環境負荷を最小限に抑えた再生資源の活用が不可欠との認識から、「世界一の複合リサイクル製錬所」を目標に掲げ、廃家電等から金・銀・銅・鉛などおよそ20種類の有価金属を回収し製品化するリサイクル事業を展開している。

車はさらに山上をめざす。鉱山跡を俯瞰できそうな場所を探し続け、やがて、尾根の先端に整備されている平坦地を発見した。そこには「誓い」を刻む石碑が立っている。碑文は「明治17年に官営鉱山の払い下げを受けて以来、鉱山事業を営み、日本の産業を支えてきた。しかし、掛け替えのない自然を黒き丘に変貌させてしまった」という後悔と反省の念に始まり、「当社発祥の地小坂を春夏秋冬豊かな自然の息吹を感じるモデル地区にすること」を宣言している。宣言者は同和鉱業株式会社の代表で、平成18年の日付を刻む。近代化遺産調査で関係者を唸らせた禿山の鉱山廃墟をDOWA系の企業は負の遺産と位置付けて汚染を除去し、緑化に取り組んできたのである。

ドローンで鉱山周辺を空撮する。周辺の山並みは緑に覆われているが、明治末には鉱山から排出された亜硫酸ガスの排煙で、5万haの山林の樹木が枯れ、黒色の砂漠と化していた。閉鉱後ただちにニセアカシアなど耐煙性樹種の植栽をはじめたという。その数は500万本とも言われる。結果、アカシアは町花となり、アカシアから取れる蜂蜜が特産品となっている。
「誓い」の石碑から下り、鉱夫たちから篤い信仰をあつめた山神社の山道石段を歩いて上る(図47)。山神社は、幕末に「山神」の石碑を祀る聖域として誕生し(図48)、明治39年(1906)に本殿・拝殿を造営した(図49)。本殿は一間社流造、その前に三間入母屋造向拝付きの拝殿を構える。平成3年の台風により拝殿の一部が破損したが、すでに修復を終えている。ここからの鉱山の眺望も素晴らしく、再びドローンの空撮をおこなった(裏口絵1)。

リサイクル企業の掲げる理念と緑化事業には敬意を表したい。それを前提として、多くの近代化遺産がアカシアの樹林下に隠れていることについても改めて強調しておきたい。緑下には坑道を始め、数多くの廃墟がいまなお存在するはずである。建造物もすべてが刷新されたわけではなく、旧本館に隣接する電錬場(裏口絵2)など明治の煉瓦造建築が散在することを空撮で確認できた。小坂鉱山は今なお広大な「史跡」としての価値を失っていない。理想を述べるならば、環境緑化の取り組みと近代化遺産を追跡するツアーを組織することが重要ではないか。「明治百年通り」のテーマパークで愉快な時間を過ごすだけではなく、山上の旧鉱山地区で近代鉱業の功罪を体験学習し、小坂という地域の実像に迫る。そういうエコツアーがあっても良いと思うのである。(眞田・浅川)



《連載情報》近代化遺産を往く-秋田紀行
(1)近代化遺産と町並み
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(2)発酵の未来
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(3)土木遺産の現状-複合遺産としての性格
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(4)学校リノベーション
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(5)小坂鉱山の遺産群と環境緑化
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(7)秋田に学ぶ過疎地の未来像
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