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近代化遺産を往く-秋田紀行(7)

0825座談会12 図67 フェイスシールド座談会(8月25日@JR秋田駅前) 


7.秋田に学ぶ過疎地の未来像

(1)再び、寅さんの風景
 秋田入りしてから気づいたことがある。秋田県近代化遺産の詳細調査をしていた平成3年(1991)は映画「男はつらいよ 寅次郎の告白」(第44作・鳥取篇)が上映された年ではないか。第5章でも概説したように、「男はつらいよ」シリーズは昭和44年(1969)の第1作から平成7年(1995)の第48作まで日本各地の風景を映しとった作品群であり、それを「寅さんの風景」とわたしは呼んでいる。文化財行政の変化と重ねあわせるならば、昭和45年(1970)、文化財保護法に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の制度が導入され、阪神・淡路大震災(1995)の被災を受けて平成8年(1996)から登録有形文化財(建造物)の制度が施行された。寅さんシリーズは重伝建とほぼ同時にスタートし、第48作「寅次郎 紅の花」に神戸の被災地を映し出して幕を閉じた。その四半世紀の間に重伝建の数は全国で40件ばかりまで増えていたが、鳥取篇の主要な舞台となる倉吉市の打吹玉川地区はなお選定に至っていない。備中高梁、津山、龍野、温泉津、津和野などの近隣諸県の風景区もまた寅さんシリーズの重要なロケ地とされたが、重伝建選定は映画の上映にはるかに遅れている。「寅さんは文化庁に先行する」と前章で述べたゆえんである。
 言い換えるならば、映画「男はつらいよ」シリーズには、文化庁の景観保全制度がさほど機能していない時代の、日本文化の核心というべき風景が大量に記録されている、ということだ。それは一種の定点として評価すべき風景群であり、史料としての価値を十分備えている。第44作「寅次郎の告白」(1991)を例にとるならば、後に重伝建となる倉吉「打吹玉川」地区と同「打吹鉢屋川」地区及び上方往来河原宿の町並みの質は大差ない。住民と行政が尽力していれば、打吹鉢屋川や上方往来河原宿も重伝建になりえる資質があったということだが、平成の30年を経て、両者の風景はパラレルな変化を遂げ、すでに解体してしまっている。平成という年号の30年は、そういう「解体の時代」として後世に再検証されるであろうと秘かに思っている。


0825座談会11 図68 同上(左:小林氏、右:池田氏)


 これら古き良き時代の風景が日本各地に残っていた平成3年、鳥取で寅さんのロケがおこなわれたことなど露知らず、わたしは秋田県の近代化遺産調査に没頭していた。恥ずかしい話だが、1987年の奈文研入所以来、遺跡の発掘調査にも、近世社寺建築の調査にも馴染めず、自分の居場所がないと悩んでいた時期であり、秋田県の近代化遺産に救われたとの思いが今も強くある。それだけ近代化遺産は自分の肌にあった。子どものころから慣れ親しんだ風景が調査地のまわりに溢れ、モノそのものの理解よりも、モノを通して「地域」の歴史と現状を読み解く研究スタイルが、「民族建築」の方法と著しく類似していたからだろうと思う。大袈裟でもなんでもなく、秋田県の近代化遺産調査は、十数年を過ごした奈良国立文化財研究所の公務として最も楽しかった仕事である。
 この春、「近代化遺産は元気かい」(コラム1)という記事を秋田魁新報に投稿するにあたり、池田氏から情報を提供していただいた。行政の機構改編や市町村合併が影響して登録抹消の例が増えているということなので、文化遺産に関わる秋田の状況を悲観的にみていた。しかし実際に各地を訪れてみると、その真逆の印象をうけることが多かった。前章にみるとおり、「失われた近代化遺産」はたしかにある。しかし、それ以上に活き活きと公開・活用されているいくつもの遺産の姿に接し、感動すら覚えたほどである。行政がどうのこういう問題ではなく、そこに住む人びとの前向きな姿勢に驚き、刺激を受けた。同じ日本海側の過疎県であるにも拘わらず、どうしてこうも違うのか。



0825座談会14 図69 同上


(2)フェイスシールド座談会
 初日から二日目にかけて、増田市の重文「佐藤家住宅」(横手市)と登録文化財「石孫本店」(湯沢市)を予約なしに訪れると、いずれも常時公開状態であり、たいへん丁寧にご対応いただいた。石孫本店の社長ご夫妻が笑顔で口にされたように、「暢気な明るさ」がそこにある。こうした公開は一般の民家ではどうなのか。8月25日の夕刻に開催したフェイスシールド座談会「近代化遺産を語る」では、おもに池田憲和氏から生の声を聞くことができたのでここに掲載しておこう(図67~69)。

 ーー 重伝建「増田」の中に2件の重要文化財民家(佐藤家・松浦家)があって、佐藤又六商店の場合は有料(300円)で常時公開していますね。ところが、松浦家住宅のほうは非公開に徹している。この対比が非常に印象的でした。鳥取の場合、重文や県指定の民家は一部の例外を除いて公開していません。とくに環境大学近隣の県東部ではほぼ非公開です。増田の佐藤家の奥様は応対がすばらしく、プライドをもって建物内部をお見せいただいたわけですが、ああいう重文クラスの民家を、秋田では公開・活用しようという傾向にあるのか、そうでもないのか、気になるんです。
 ○池田: 重文民家は北からいくと三種町の大山家住宅。あれは、あまり活用されていないんじゃないかと思います。公開もされていない。それから、秋田市の三浦家住宅。こちらは年2回ぐらいの公開です。
 ー- 年2回の公開ならたいしたものです。鳥取の場合、恒常的に見せないところが圧倒的に多くて。
 ○池田: 秋田市の奈良家住宅は県所有の重文で、全面的に公開しています。両中門造の「巨大民家」でして、県立博物館の別館という扱いですので。同じ秋田市の嵯峨家住宅は、声をかけると公開してくれます。
 ーー 春と秋の2回公開ですか?
 ○池田: いや、常時公開。
 ーー それはすごいな。ほんと鳥取は少ない。
 ○眞田: ないですね。智頭町の石谷家が有料常時公開の例外かもしれません。
 ○池田: 草彅家(仙北郡田沢湖町)と土田家(由利本荘市)も、まず声をかければみんな見せてくれます。大丈夫です。
 ーー 公開している民家のほうが多いということですか。
 ○池田: はい。公開してくれるから、行政も修理を支援するんです。
 ーー ですよね。維持修理に税金を投入するからには、公開する義務があると思うんだけど、鳥取県の場合、本当に7割5分ぐらい公開していないですね、重文と県指定で。
 ○池田: 秋田では7割5分ぐらい公開してます。三浦家(秋田市)の公開は年2回ぐらいですが、これがいちばん内部をみられない状態の重要文化財です。
 ○小林: 逆にうかがいたいことがあります。魁新報のコラム「近代化遺産は元気かい」等では、民家のアメニティ(住み心地の良さ)が低いことを強調され、移住定住者はマンションか新築家屋に住むほうがいい、と指摘されていますね。これはどういうことしょうか。
 ーー 日本人はすでにソファの快適さを知ってしまいました。ソファ、LD(リビング・ダイニング)やベッドは生活の必需品になっています。もちろん和室を全否定したいわけではありません。仮に新居をつくるなら、和室の続き間を設けたいとも思うのですが、畳間の場合、歳をとると起居が面倒臭くなります。いちど座ってしまうと、立ち上がるのがしんどい。うちの家内は軽度の身障者ですが、畳座はもう無理です。実家(農家)の玄関(土間)から床上に上がる段差にも苦しんでいます。わたし自身、鳥取で昭和40~50年代に建てられた木造の宿舎に十年ばかり住んでいましたが、結果として冬の寒さに耐えられなくなりました。駐車場の融雪装置もなく、生活道路から国道・県道に出るまでえらい時間がかかります。こうしたことを総合的に判断すると、移住定住者には無理して不便な場所にある民家に住んでもらわなくてもいいんじゃないか。リフォームの補助金も少ないですし、マンションや新築家屋の方が長続きすると思うのです。


図70 座談会(飲物はすべて烏龍茶です) 図70 同上(飲物はすべて烏龍茶です)


(3)常時公開という明るさ 
 秋田は過疎率では全国第一位の県だという。鳥取と同様、過疎と高齢化の悩みは重文民家や登録文化財に深い影を落としているはずなのだが、その住み手の多くはあまり悲観的な見方を口にされない。なんとかなるさ、という石孫や佐藤又六の「暢気な明るさ」は、登録文化財「旧鮎川小学校」(由利本荘市)や同「旧国立新屋農業倉庫」(秋田市)のリノベーション、「明治百年通り」の都市公園整備(小坂町)、ひいては小坂鉱山におけるリサイクル事業への転身と環境緑化にも通じるところがある。すべては「秋田人気質」のあらわれなのかもしれない。鳥取とは状況があまりにも異なるので、日本海沿岸の過疎県と一括りにするのは失礼だと思い直すに至った。秋田で体感した「暢気で前向きな明るさ」は何をやるにしても重要である。状況を悲観的かつ深刻に捉えすぎて、「指定解除・登録抹消もやむをえぬ」と嘆息しつつ、民家等歴史的建造物の「終活」を口にするばかりではなく、維持保全と公開活用にむけて最大限の努力を続ける姿勢を崩してはならないと反省する契機となった。過疎の嵐によって自治体そのものの存続さえ危ぶまれるなか、文化財保護法の制度が揺らいでおり、文化遺産の保全を担保する拠り所を失いつつある。各地で発生している指定解除/登録抹消を、その兆候の最たるもののとして受け止め、多様なリスクを察知しなければならない。そのことは承知の上で、当然のことながら、文化遺産の保全・修復・改修・活用等にも望みを失ってはいけないだろう。同じ日本海側の過疎県として、鳥取が秋田から学ぶべきところは多くある。とりわけ文化財に取り組む前向きな姿勢を見倣おうではないか。(浅川)


《付記》 この連載は、令和二年度公立鳥取環境大学特別研究費に採択された「文化遺産報告書の追跡調査からみた過疎地域の未来像-民家・近代化遺産・町並みの持続可能/不可能性をめぐって」の一環として、2020年8月24日(月)~27日(木)におこなった秋田県近代化遺産再訪調査の速報である。調査には、以下の5名が参加した。
 浅川 滋男(公立鳥取環境大学環境学部教授) 井上 裕太(同4年生) 
 眞田 廣幸(同人間形成センター非常勤講師・倉吉文化財協会会長)
 池田 憲和(秋田県文化財保護協会副会長) 小林 克(元秋田県埋蔵文化財センター長)
また、8月25日夕刻に開催した「近代化遺産を語る」フィスシールド座談会には、秋田魁新報社の相馬高道記者にもご参加いただいた。池田さん、小林さん、眞田さん、相馬さん、井上くんの5名、そして調査でヒアリング等にご協力いただいた地域住民の皆様には、この場を借りて深く御礼申し上げます。(付録の参考文献は第4章と重なるので省略します)



《連載情報》近代化遺産を往く-秋田紀行
(1)近代化遺産と町並み
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2271.html
(2)発酵の未来
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2272.html
(3)土木遺産の現状-複合遺産としての性格
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2269.html
(4)学校リノベーション
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2268.html
(5)小坂鉱山の遺産群と環境緑化
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2273.html
(6)失われた近代化遺産
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2270.html
(7)秋田に学ぶ過疎地の未来像
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2274.html

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Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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