紙子谷ハイキング(1)

重文「福田家住宅」内部のスケッチ
10月6日(火)、4~5限の人間環境実習・演習B(2年次オムニバス)の第2回授業で紙子谷までハイキングしました。これもまたコロナ対策です。昨年は「寅次郎の告白 バスツアー」で大成功を納めましたが、昨日報告したように、霊場への移動さえマイクロバスを使えない状態であり、学生三十数名のバスツアーは危険と判断した次第です。フィールドに出るなら歩いて行くしかない。散歩です。散歩がいちばん健康的であり、感染リスクが低い。

幸い重要文化財「福田家住宅」のある鳥取市紙子谷(かごだに)集落は大学から歩いて半時間ばかり。晴れ男の本領を発揮し、天気は快晴。彼岸花の数が少なかったのは残念ですが、稲刈り風景と茅葺き屋根のたたずまいが絶妙に溶け合った最高の季節です。学生は以下の3班に分けました。
A:民家班 B:紙子谷神社班 C:石灯籠班

紙子谷に着いて、福田家の外側で学生に説明していると、見知らぬご婦人が少し離れたお宅から小走りで寄ってこられた。福田家の奥様だというので驚き、丁重に挨拶すると、ちょうど庭の剪定のために家を開けているところであり、「どうぞどうぞ中まで入ってごらんください」ということで、いったい何年ぶりだろうか、たぶん十年ぶりぐらいに福田家の内部を見学させていただいた。もちろん私だけではなく、学生もみな入室を許可された。予定では、前の道路に2m間隔で離れて並び、少しずつ違うアングルから外観をスケッチしてもらおうと思っていたのだが、結果として、外観は2名のみ、4名が前庭から建物を描き、他の数名は室内と裏側の土蔵をスケッチすることになった。ほんとにまったく予期せぬ展開であり、学生たちも少々とまどっていたが、幸運この上ない。

↑前庭から奥座敷を描く

今回、改めて内部を観察した結果、福田家は典型的な広間型三間取り(17世紀)を原型とし、おそらく広間型五間取りを経由して七間取り(+ツノヤ)に変化したことを実感できた。なぜ七間取りかというと、縦長の広間が3分割されたからである。一般的には広間が二分割されて五間取りから六間取りに変わるのだが、福田家の場合、広間のほぼ中央にイロリがあるため、三分割せざるをえなかったと推定される。こうした変化から読み取るに、現在のアイノマ(仏間)が当初のオクノマ(客間)であり、現在のオクノマと背面のナンドとツノヤは後世の増築だと考えられる。
『古民家「終活」の時代』報告書の再校を終えた段階で、思いもよらぬ収穫があり、原稿を書き直し、印刷所には迷惑をかけることになった。今後、スケッチの出来によっては、フォトスキャンとの差し替えもありうるかもしれない。

↑広間型三間取りから五間取り系七間取りへの変化

↑着座位置の推定

↑3分割された広間のいちばん前側の部屋
《連載情報》紙子谷ハイキング
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