紙子谷ハイキング(2)

紙子谷神社
重文「福田家住宅」の隣には社務所があり、その前方の三叉路の両肩に灯籠が立っている。一方は高さ3m以上はあろうかという大物の灯籠である。紙子谷神社の石灯籠と社務所があるのだが、肝心の神社はどこなのか分からなかったので、演習1回めの1週間前、つまり9月29日(火)、現地を訪れ、近くの農家の方に教えを受けながら、参道(山道)を上っていった。すさまじい蜘蛛の巣がわたしの行く手を遮った。道端に転がっている棒きれをもって蜘蛛の巣を掃いながら前進すると、10分ばかりで境内にたどり着いた。そこは山上の平地であるが、竹藪が成長しすぎており、地上から空を見通せなくなっている。自ずと境内は暗い。その暗い平坦地の奥に本殿を囲う覆屋があり、対面に小さな社務所のような、参篭場のような建物が崩れた状態で残っていた。

覆い屋の中には超小型の一間社流造本殿が鎮座している。そして、覆屋の斜め前には小さな石燈籠が立っていて、「文化十二亥年三月」の銘をなんとか読み取れた。おそらく本殿はこの時期の建立なのだろうと思う。あとで写真を確認すると、壁や柱の主要材は飾り気が全くないが、向拝の虹梁型頭貫はあきらかに古く、その絵様は文化12年(1815)という年代観に対応しているが、繋ぎ(海老)虹梁はやや新しく見え、絵様も明治以降の様式を示しており、近代の差し替えではなかろうか。

10月6日(火)の実習・演習ではB班とC班の約20名が参道を上って本殿をめざした。村の登山口から山道を上がってすぐのところに、もう少し大振りの石燈籠も立っている。こちらは「明治三九年丙午六月吉日」の銘があり、寄進者は福田家になっている。丘陵上の境内では、B班のメンバーが覆屋の三方(前・左・右)に分かれ、少しずつアングルをずらして本殿をスケッチしてた。また2名は境内地の配置図を歩測で描いた。






一方、C班は1組3名3班に分かれ、石灯籠に刻まれた文字の拓本を取った。高い方から「灯籠1」「灯籠2」「灯籠3」「灯籠4」と番付した。まず本殿脇の灯籠1で拓本取りの実演をしてみせた。なかなかうまく文字が浮かび上がらなかったが、あとは学生に任せることにした。拓本は灯籠2までが紙子谷神社の献灯であったが、社務所の前にある灯籠3と灯籠4の正面には「意上奴神社」と大書きしてある。10月10日(土)、一人この地を再訪して、謎を解き明かしたのであります。次回お楽しみに。

《連載情報》紙子谷ハイキング
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