fc2ブログ

ボン教の時期区分

 先にとりあげた百度百科(中国)とウィキペディア(日本)の「ボン教」解説を比較すると、後者のほうが明らかにボン教の正しい歴史的理解を記している。こうしたボン教の理解は、昨日手元に届いた国立民族学博物館特展図録『チベット ポン教の神がみ』(長野泰彦編2009)が、少なくとも日本語の文献としては最も体系的な業績だと思われる。
 一方、ブータンのボン教については、ほとんどまともな先行業績がない。カルマ・プンツォ博士の大著『ブータンの歴史(History of Bhutan)』でもわずか2ページの説明にとどまっている(Karma Phuntsho 2013:pp.135-136)。以下、これの全訳を試みる。

ボン教

 ボンという用語は、宗教的伝統に関連して使われる場合、チベット・ブータン世界で2つの異なる用法がある。すなわち(ボンという言葉は)、仏教導入前にチベットに根付いた宗教の形態として言及される場合と、仏教の導入後に両教の信者の間に定期的な緊張と対立があったにもかかわらず、ある程度仏教と共存した宗教の形態を指す場合の両方(の使い方)をしてきた。このボンはそのとき、チベットの古い宗教であったと考えられていた。ボン教は後世の拡散期から、高度に組織化され仏教化された形態てあり、非常に洗練された教義と実践システムを伴って今日まで存続してきた。それはチベットの仏教的伝統とおおいに親和性があり、今日では仏教の4宗派に加えて、しばしばチベット5番目の宗教的伝統に位置づけられる。
 ボンという用語は、ヒマラヤ全体の多数の仏教以前の慣習を示すため、不正確に使用されることもよくある。ブータンでみられるシャーマニズム、アニミズム、異教的なさまざまな地方的儀礼や慣習は、前仏教/非仏教であるという単純な理由から、ボンの慣習としてしばしば誤って決めつけられるのである。この用法では、ボン教はR.A.スタインが「無名の宗教」と呼んだものを指し、組織化されたボン教や仏教の慣習の影響の有無にかかわらず、地方化したバリエーションのなかで認められる多様な民間信仰と儀礼を含む。
 ここで私たちが関心をもつボン教の伝統は、チベットの教団化されたボン教であり、ブータンではさまざまな活動にもかかわらず、宗教的伝統としてうまく根付いていない。にもかかわらず、ブータンは11世紀と12世紀のボン教宝物再発見の主要な中心地であった。パロやブンタンなどの場所には、ボン教の伝統による初期の宝物発見者(テルトン)が頻繁に訪れた。これらのボン教宝物発見者のなかには、仏教の伝統を採用し、何の問題もなく二つの宗教の間を自由に行き来した人もいる。
 ブータンでボンポ(ボン教精通者)の称号を与えられた最初の発見者は、おそらくブンタンのツィルン寺院とパロのナムトンカルポ寺からゾクチェンの教義に係わる経典を発見したボンポ・ドラグサルであろう。しかしながら、最初の重要な本物のボンポたる人物は、後に「パドロマ」として周知される多くのボン教経典をパロのチャルカで発見したクツァ・ダヨド(別名クサ・メンパ)である。彼はボン教・仏教・医学・占星術のテキストを含む4つの箱を発見したと言われている。これらのボンポ経典はムルム・ツェンポとキョンポ・ギェルダムによって地下に埋納されたと考えられ、同じ場所で発見された仏典はツァンマ王子によって隠されたと言われている。
 ボンに関連する他の多くの宝物発見者はブータンで働いていたが、ボン派と仏教の両方の社会から尊敬された唯一の最重要人物はドルジ・リンパであった。ブータンにも多くのボン派センター(ボン教寺院)が設立されたが、単純なボンポ(資格)制度ほど長続きはしなかった。ガンテンのクブン寺の場合のように、ボンポの守護神スリッパギャルモの慰撫など、ボンポの特徴は残っているものの、徐々に仏教寺院に改宗されていった。古代チベットの組織化されたボン教からの影響の痕跡は、特定の神々、法要経文、宗教儀式でも全国的にみとめられるが、ブータン史におけるボンの全体的な役割は、たとえあったとしても、さほど重要なものではない。


 以上、3つの概説を読む限り、私見では、ボン教を以下の3期に時期区分すべきと思っている。

1)プレ仏教期: 
 7世紀のソンツェン・ガンポの仏教帰依、あるいは8世紀のパドマサンバヴァによる後期密教の導入以前、チベット、モンゴル、中央アジアに広く分布していた「原始ボン教」期。百度百科にいうところの「シバ・ボン」はこれにあたる時期と思われる。カルマ博士は、「ブータンでみられるシャーマニズム、アニミズム、異教的なさまざまな地方的儀礼や慣習は、前仏教/非仏教であるという単純な理由から、ボンの慣習としてしばしば誤って決めつけられる」と注意喚起しており、プレ仏教期のボン教と土着の民間信仰等を区別して理解する必要がある。

2)ニンマ派仏教との交流期:
 パドマサンバヴァ(蓮華生大師=グルリンポチェ)によってチベット・ブータン地域に後期密教がもたらされ、ボン教の用語や概念を使ってニンマ派(古派)が布教される8世紀以降の古代期。ボン教側も後期密教の概念を導入し、ニンマ派とボン教の習合が進む。ブータンで聞いた黒ボン(ボン・ナグ)とはこの時期のものか、プレ仏教期のものか微妙ではある。百度百科では「ユンドゥン・ボン」を16,000年前まで遡らせているが、仏教の影響を受けているからには、この時期以降の宗派としか考えられない。ブータンに残る唯一のボン教寺院であるポプジカのクブン寺は、表向きはニンマ派寺院とするが、二階奥に隠された秘仏の部屋はまさに「黒ボン」的空間であり、仏寺本堂の空間構成とはまったく異質である。

3)仏教化推進期
 11世紀以降、チベットからブータンに多数の仏教宗派が南下して布教を競う時代、ボン教もその覇権争いに加わりながら仏教化が著しく進み、仏教四大宗派に次ぐ五番目の宗派としてみなされるようになる。ブータンで聞いた「(仏教に近い)白ボン」こそがこれにあたる。立川武蔵(上記図録:p.28)の表現を拝借するならば、「仏教との対決に敗北した後、仏教の影響を強く受けて、悟りという個人の精神的至福をも追求する宗教へと自己変質させ、今日に至る」時期。少なくとも、中国側に残るボン教寺院はこのタイプが主流であり、表象としての卍符号や左繞(半時計廻り)などボン教独自の側面を残すとはいえ、仏教的宗教という印象は拭えない。

 以下にカルマ博士の原文を転載しておく。

--
Bön religion
 The term Bön has two different designations in the Tibetan and Bhutanese world when used in reference to a religious tradition. The word Bön is used to refer to the form of religion which is thought to have arrived in Tibet before Buddhism was introduced and which co-existed with Buddhism to some extent after the introduction of Buddhism despite periodic tensions and conflicts between the adherents of the two religions.This Bön was then considered to have been Tibet's old religion. It took a highly institutional and Buddhicized form during the time of the Later Diffusion and exists to this day with very sophisticated doctrinal and practice systems. It shares a great deal of similarity with the Buddhist traditions of Tibet and is today often termed as the fifth religious tradition of Tibet in addition to the four Buddhist schools. The term Bön is also often employed, inaccurately, to designate the numerous pre-Buddhist practices across the Himalayas. The term Bön is also often employed , inaccurately , to designate the numerous pre-Buddhist practices across the Himalayas. A wide variety of local rituals and practices found in Bhutan which are shamanistic, animistic or paganistic are often mistakenly branded as Bön practices for the simple reason of being pre-or non-Buddhist. In this use, it designates what R.A.Stein called `the nameless religion', comprising the diverse folk beliefs and rituals found in their localized variations with or without some influence of the institutional Bön and/or Buddhist practices.
 The Bön tradition we are concerned with here is the organized Bön religion of Tibet, which has not managed to take proper roots in Bhutan as a religious tradition in spite of various activities in the country.Nonetheless, Bhutan was a major centre of Bön treasure rediscovery in the eleventh and twelfth centuries.Places such as Paro and Bumthang were frequented by the early treasure-discoverers from the Bön tradition.Some of these the Bön treasure-discoverers also adopted the Buddhist tradition and moved freely between the two without any qualms. The earliest discoverer with Bönpo name in Bhutan is perhaps Bönpo Dragtsal who discovered texts on the teachings of the Great perfection from the Tsilung temple in Bumthang and Namthong Karpo in Paro. However, the first important real Bönpo figure is Khutsa Dayod alias kusa Menpa, who discovered at Chalkha in Paro many Bön texts which were later collectively known as Padroma. He is said to have discovered four boxes containing Bön, Buddhist,medical and astrological texts. These Bönpo texts were believed to have been buried by Murum Tsenpo and Khyungpo Gyerdame while Buddhist texts discovered on the same site were said to have been hidden by Prince Tsangma.
 Many other treasure-discoverers associated with Bön worked in Bhutan but the single most important figure respected by both Bönpa and Buddhist circles was Dorji Lingpa. A number of Bönpa centres were also established in Bhutan but they did not last long as purely Bönpo establishments. Like the case of the kubum temple in Gangteng, they were gradually converted into Buddhist temples althought they still retain Bönpo characteristics, such as propitiation of the Bönpo-protecting deity Sridpa Gyalmo. Traces of influence from the institutional Bön of ancient Tibet can be also found across the country in the names of certain deities, ritual texts and religious rites but the overall role of Bön in the history of Bhutan is of little significance, if at all.

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR