いい加減に学ぶ中国語講座(38)
ボン教論文摘要(2)
引き続き、中国で発表されているボン教論文の摘要を日本語訳していきます。
№9 石 硕(2011)
①原文: 「藏地山崖式建筑的起源及苯教文化内涵」『中国藏学』第3期(总第98期):pp.148-153
过去学者多认为藏地山崖式建筑主要是出于防御需要,文章对此提出了不同的看法,认为这种建筑主要同世俗权力相关,它的起源与苯教观念有密切联系。由于藏地最初之王及吐蕃王系均被称作自天上降临人间的“天神之子”,这意味着西藏世俗权力最初是借助苯教信仰中的“天神”来获得的。因“天神”居住在天上,作为“天神之子”的藏王的宫殿自然要建在离天最近的山冈上,此传统为后世所延续并逐渐形成固定模式。山崖式建筑所体现的“王权天授”之内涵,正是其与世俗权力相关的原因。此外,苯教“以上方作供祀天神”所派生的以“高”为神圣的观念,也是山崖式建筑的重要文化土壤。
〔关键词〕山崖式建筑;苯教信仰;天神之子
②日本漢字: 石碩「蔵地山崖式建築的起源及笨教文化内涵」『中国蔵学』第3期(総第98期):pp.148-153
過去学者多認為蔵地山崖式建築主要是出于防御需要,文章対此提出了不同的看法,認為這種建築主要同世俗権力相関,它的起源与笨教観念有密切聯系。由于蔵地最初之王及吐蕃王系均被称作自天上降臨人間的“天神之子”,這意味着西蔵世俗権力最初是借助笨教信仰中的“天神”来獲得的。因“天神”居住在天上,作為“天神之子”的蔵王的宮殿自然要建在離天最近的山岡上,此伝統為後世所延続併逐漸形成固定模式。山崖式建築所体現的“王権天授”之内涵,正是其与世俗権力相関的原因。此外,笨教“以上方作供祀天神”所派生的以“高”為神聖的観念,也是山崖式建築的重要文化土壌。
〔関鍵詞〕 山崖式建築;笨教信仰;天神之子
③和訳: 石碩「チベット山崖式建築の起源とボン教文化の内実」『中国蔵学』第3期(総第98期):pp.148-153
これまで学者の多くは、チベット地区の山崖式建物は主に防御の必要性に由来すると考えているが、本論ではこれに対し異なる見解を提示する。この種の建築は主に世俗権力と関係しており、その起源はボン教の観念と密接に関連している。 チベット最初の王及び吐蕃王系は、いずれも天上より降臨した人間世界の「天神の子」と称され、これはチベットの世俗権力が最初はボン教信仰中の「天神」(の概念)を借用することで獲得されたことを意味する。 「天神」は天上に住んでいるため、「天神の子」としてのチベット王の宮殿は、自ずと最も天に近い山丘の上に建立する必要があった。この伝統は後世に継承され、徐々に定型化されていく。山崖式建築によって具現化した「王権天授」の内実は、世俗権力と相関することに起因している。 このほか、ボン教の「上方を以て天神に供祀する」ところから派生した「高」を神聖とみなす観念も、山崖式建築の重要な文化的土壌である。
〔キーワード〕 山崖式建築(山上の懸造?) ボン教信仰 天神の子
№20 付 彦民(2019)
①原文: 「金川县苯教寺院空间形态研究」西安建筑科技大学硕士学位论文
青藏高原地区原始宗教苯教,在七世纪受到佛教排挤之后被迫东迁,从最早的无寺庙修行到有寺庙修行,从寺院的形态多元化到型制化,是一个历史与地理渐进发展变化的过程。在这个过程中,苯教寺院坚持自己的本源思想,坚持在远离尘世喧嚣之地建造清修之处,同时也选择性地吸收了藏传佛教的空间观与宇宙观,在苯教向东迁移的终点——嘉绒藏区完成了历时千年的东迁,形成了较为完善的形态,但关于不同地区苯教寺院空间形态缺乏系统性的研究。
本文首先通过对东迁道路上的重点地区——康巴藏区与安多藏区及苯教东迁的起点与终点的典型寺院的梳理,分析对比苯教寺院在不同地区的空间形态,寻求苯教寺院在时间和地理空间变化过程中所产生的空间形态的演变特征。进而选取位于东迁终点嘉绒藏区的四川省西北部阿坝藏族羌族自治州的金川县作为重点研究地区,选取其中最有代表性的两个寺院——昌都寺和广法寺作为研究对象,通过文献调研及田野调查,按照从整体到局部的分层研究的方式,对寺院的整体布局形态、建筑空间形态和外部空间形态进行研究,归纳出它们的基本形式及特色,并试图挖掘影响空间形态形成的主要因素。
最后,针对寺院迫切需要発展但缺乏科学指导的现状,吸取大型寺院的发展经验,从扩建择址、功能布局、绿化景观及广场、街巷结构四方面对金川县苯教寺院的空间发展进行引导设计。本次研究呈现了东迁背景下苯教寺院在不同地区的形态;关于金川县苯教寺院的空间形态的研究成果,能够为金川县苯教寺院的新建及修缮工作提供充分的理论依据;关于空间发展的研究成果,能够引导寺院空间进行合理有序地发展。
〔关键词〕 空间形态; 苯教; 寺院; 空间发展;
②日本漢字: 「金川県笨教寺院空間形態研究」西安建築科技大学碩士学位論文
青蔵高原地区原始宗教笨教,在七世紀受到仏教排擠之後被迫東遷,従最早的無寺廟修行到有寺廟修行,従寺院的形態多元化到型制化,是一箇歴史与地理漸進発展変化的過程。在這箇過程中,笨教寺院堅持自己的本源思想,堅持在遠離塵世喧囂之地建造清修之処,同時也選択性地吸収了蔵伝仏教的空間観与宇宙観,在笨教向東遷移的終点——嘉絨蔵区完成了歴時千年的東遷,形成了較為完善的形態,但関于不同地区笨教寺院空間形態欠乏系統性的研究。
本文首先通過対東遷道路上的重点地区——康巴蔵区与安多蔵区及笨教東遷的起点与終点的典型寺院的梳理,分析対比笨教寺院在不同地区的空間形態,尋求笨教寺院在時間和地理空間変化過程中所産生的空間形態的演変特征。進而選取位于東遷終点嘉絨蔵区的四川省西北部阿坝蔵族羌族自治州的金川県作為重点研究地区,選取其中最有代表性的両箇寺院——昌都寺和広法寺作為研究対象,通過文献調研及田野調査,按照従整体到局部的分層研究的方式,対寺院的整体布局形態、建築空間形態和外部空間形態進行研究,帰納出它們的基本形式及特色,併試図挖掘影響空間形態形成的主要因素。
最后,針対寺院迫切需要発展但缺乏科学指導的現状,吸取大型寺院的発展経験,従拡建択址、功能布局、緑化景観及広場、街巷結構四方面対金川県笨教寺院的空間発展進行引導設計。本次研究呈現了東遷背景下笨教寺院在不同地区的形態;関于金川県笨教寺院的空間形態的研究成果,能够為金川県笨教寺院的新建及修繕工作提供充分的理論依拠;関于空間発展的研究成果,能够引導寺院空間進行合理有序地発展。
〔関鍵詞〕 空間形態; 笨教; 寺院; 空間発展;
③和訳: 「金川県における笨教寺院の空間形態に関する研究」西安建築科技大学(大学院)修士学位論文
青蔵(青海・チベット)高原地区原始宗教のボン教は、7世紀に受容した仏教に排斥された後、東遷を余儀なくされた。寺院のない最初期の修行から寺院を伴う修行まで、また寺院の多様化から形式化に至るまで、それは一つの歴史と地理が徐々に発展変化した過程である。この過程の中で、ボン教寺院は本来の根源的思想を堅持し、俗世の喧騒からかけ離れた地に聖なる修行場を造営することを堅持し、同時にまたチベット仏教の空間観と宇宙観を選択的に吸収した。ボン教東遷の終着点-ギャロン・チベット区で千年続いた東遷を完了し、比較的完全な状態を形成した。しかし、異なる地区のボン教寺院の空間的形態に関する系統的な研究は不足している。本論では、最初に東遷の移動経路上の重要な地区――カム地区(四川高原・西北雲南)地方とアムド地区(青海)、及びボン教東遷の出発点と終着点に所在する典型寺院の整理を通して、異なる地区のボン教寺院空間形態を比較分析し、時間と地理的空間の変化過程中に発生したボン教寺院の空間形態の変容特性を探求する。
ついで、東遷終点にあたるギャロン・チベット地区の四川省西北部アパ・チベット族チャン族自治州金川県を重点研究地区に選び、その中で最も代表的な2つの寺院-昌都寺と広法寺を調査対象とする。文献調査及びフィールドワークを通して、全体から局部までの階層的研究の方法により、寺院全体の配置形態、建築空間形態、外部空間形態に係る研究を進め、それらの基本形式と特徴を帰納的に導きだし、そこから、空間形態に影響した主要な要素をえぐり出そうと試みる。
最後に、切実な発展を必要としながら科学的指導を欠いたままの寺院の現状に焦点をあて、大寺の発展経験を吸収しつつ、①増築にあたっての敷地選択、②機能的な配置、③景観緑化、④街路構造の4つの側面から金川県ボン教寺院における空間発展についての計画を指導(構想)する。このたびの研究は、東遷背景下における異なる地域のボン教寺院の形態を示す。金川県ボン教寺院の空間形態に関する研究成果については、金川県ボン教寺院の新築及び修復工事のために十分な理論的根拠を提供することができ、空間発展の研究成果については、寺院空間を合理的かつ秩序ある発展に導くことができる。
〔キーワード〕 空間形態 ボン教 寺院 空間開発; 【続】
《関係サイト》
ボン教(笨教)中国語論文リスト
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2293.html
ボン教論文摘要(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2303.html
ボン教論文摘要(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2306.html
ボン教論文摘要(3)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2309.html
引き続き、中国で発表されているボン教論文の摘要を日本語訳していきます。
№9 石 硕(2011)
①原文: 「藏地山崖式建筑的起源及苯教文化内涵」『中国藏学』第3期(总第98期):pp.148-153
过去学者多认为藏地山崖式建筑主要是出于防御需要,文章对此提出了不同的看法,认为这种建筑主要同世俗权力相关,它的起源与苯教观念有密切联系。由于藏地最初之王及吐蕃王系均被称作自天上降临人间的“天神之子”,这意味着西藏世俗权力最初是借助苯教信仰中的“天神”来获得的。因“天神”居住在天上,作为“天神之子”的藏王的宫殿自然要建在离天最近的山冈上,此传统为后世所延续并逐渐形成固定模式。山崖式建筑所体现的“王权天授”之内涵,正是其与世俗权力相关的原因。此外,苯教“以上方作供祀天神”所派生的以“高”为神圣的观念,也是山崖式建筑的重要文化土壤。
〔关键词〕山崖式建筑;苯教信仰;天神之子
②日本漢字: 石碩「蔵地山崖式建築的起源及笨教文化内涵」『中国蔵学』第3期(総第98期):pp.148-153
過去学者多認為蔵地山崖式建築主要是出于防御需要,文章対此提出了不同的看法,認為這種建築主要同世俗権力相関,它的起源与笨教観念有密切聯系。由于蔵地最初之王及吐蕃王系均被称作自天上降臨人間的“天神之子”,這意味着西蔵世俗権力最初是借助笨教信仰中的“天神”来獲得的。因“天神”居住在天上,作為“天神之子”的蔵王的宮殿自然要建在離天最近的山岡上,此伝統為後世所延続併逐漸形成固定模式。山崖式建築所体現的“王権天授”之内涵,正是其与世俗権力相関的原因。此外,笨教“以上方作供祀天神”所派生的以“高”為神聖的観念,也是山崖式建築的重要文化土壌。
〔関鍵詞〕 山崖式建築;笨教信仰;天神之子
③和訳: 石碩「チベット山崖式建築の起源とボン教文化の内実」『中国蔵学』第3期(総第98期):pp.148-153
これまで学者の多くは、チベット地区の山崖式建物は主に防御の必要性に由来すると考えているが、本論ではこれに対し異なる見解を提示する。この種の建築は主に世俗権力と関係しており、その起源はボン教の観念と密接に関連している。 チベット最初の王及び吐蕃王系は、いずれも天上より降臨した人間世界の「天神の子」と称され、これはチベットの世俗権力が最初はボン教信仰中の「天神」(の概念)を借用することで獲得されたことを意味する。 「天神」は天上に住んでいるため、「天神の子」としてのチベット王の宮殿は、自ずと最も天に近い山丘の上に建立する必要があった。この伝統は後世に継承され、徐々に定型化されていく。山崖式建築によって具現化した「王権天授」の内実は、世俗権力と相関することに起因している。 このほか、ボン教の「上方を以て天神に供祀する」ところから派生した「高」を神聖とみなす観念も、山崖式建築の重要な文化的土壌である。
〔キーワード〕 山崖式建築(山上の懸造?) ボン教信仰 天神の子
№20 付 彦民(2019)
①原文: 「金川县苯教寺院空间形态研究」西安建筑科技大学硕士学位论文
青藏高原地区原始宗教苯教,在七世纪受到佛教排挤之后被迫东迁,从最早的无寺庙修行到有寺庙修行,从寺院的形态多元化到型制化,是一个历史与地理渐进发展变化的过程。在这个过程中,苯教寺院坚持自己的本源思想,坚持在远离尘世喧嚣之地建造清修之处,同时也选择性地吸收了藏传佛教的空间观与宇宙观,在苯教向东迁移的终点——嘉绒藏区完成了历时千年的东迁,形成了较为完善的形态,但关于不同地区苯教寺院空间形态缺乏系统性的研究。
本文首先通过对东迁道路上的重点地区——康巴藏区与安多藏区及苯教东迁的起点与终点的典型寺院的梳理,分析对比苯教寺院在不同地区的空间形态,寻求苯教寺院在时间和地理空间变化过程中所产生的空间形态的演变特征。进而选取位于东迁终点嘉绒藏区的四川省西北部阿坝藏族羌族自治州的金川县作为重点研究地区,选取其中最有代表性的两个寺院——昌都寺和广法寺作为研究对象,通过文献调研及田野调查,按照从整体到局部的分层研究的方式,对寺院的整体布局形态、建筑空间形态和外部空间形态进行研究,归纳出它们的基本形式及特色,并试图挖掘影响空间形态形成的主要因素。
最后,针对寺院迫切需要発展但缺乏科学指导的现状,吸取大型寺院的发展经验,从扩建择址、功能布局、绿化景观及广场、街巷结构四方面对金川县苯教寺院的空间发展进行引导设计。本次研究呈现了东迁背景下苯教寺院在不同地区的形态;关于金川县苯教寺院的空间形态的研究成果,能够为金川县苯教寺院的新建及修缮工作提供充分的理论依据;关于空间发展的研究成果,能够引导寺院空间进行合理有序地发展。
〔关键词〕 空间形态; 苯教; 寺院; 空间发展;
②日本漢字: 「金川県笨教寺院空間形態研究」西安建築科技大学碩士学位論文
青蔵高原地区原始宗教笨教,在七世紀受到仏教排擠之後被迫東遷,従最早的無寺廟修行到有寺廟修行,従寺院的形態多元化到型制化,是一箇歴史与地理漸進発展変化的過程。在這箇過程中,笨教寺院堅持自己的本源思想,堅持在遠離塵世喧囂之地建造清修之処,同時也選択性地吸収了蔵伝仏教的空間観与宇宙観,在笨教向東遷移的終点——嘉絨蔵区完成了歴時千年的東遷,形成了較為完善的形態,但関于不同地区笨教寺院空間形態欠乏系統性的研究。
本文首先通過対東遷道路上的重点地区——康巴蔵区与安多蔵区及笨教東遷的起点与終点的典型寺院的梳理,分析対比笨教寺院在不同地区的空間形態,尋求笨教寺院在時間和地理空間変化過程中所産生的空間形態的演変特征。進而選取位于東遷終点嘉絨蔵区的四川省西北部阿坝蔵族羌族自治州的金川県作為重点研究地区,選取其中最有代表性的両箇寺院——昌都寺和広法寺作為研究対象,通過文献調研及田野調査,按照従整体到局部的分層研究的方式,対寺院的整体布局形態、建築空間形態和外部空間形態進行研究,帰納出它們的基本形式及特色,併試図挖掘影響空間形態形成的主要因素。
最后,針対寺院迫切需要発展但缺乏科学指導的現状,吸取大型寺院的発展経験,従拡建択址、功能布局、緑化景観及広場、街巷結構四方面対金川県笨教寺院的空間発展進行引導設計。本次研究呈現了東遷背景下笨教寺院在不同地区的形態;関于金川県笨教寺院的空間形態的研究成果,能够為金川県笨教寺院的新建及修繕工作提供充分的理論依拠;関于空間発展的研究成果,能够引導寺院空間進行合理有序地発展。
〔関鍵詞〕 空間形態; 笨教; 寺院; 空間発展;
③和訳: 「金川県における笨教寺院の空間形態に関する研究」西安建築科技大学(大学院)修士学位論文
青蔵(青海・チベット)高原地区原始宗教のボン教は、7世紀に受容した仏教に排斥された後、東遷を余儀なくされた。寺院のない最初期の修行から寺院を伴う修行まで、また寺院の多様化から形式化に至るまで、それは一つの歴史と地理が徐々に発展変化した過程である。この過程の中で、ボン教寺院は本来の根源的思想を堅持し、俗世の喧騒からかけ離れた地に聖なる修行場を造営することを堅持し、同時にまたチベット仏教の空間観と宇宙観を選択的に吸収した。ボン教東遷の終着点-ギャロン・チベット区で千年続いた東遷を完了し、比較的完全な状態を形成した。しかし、異なる地区のボン教寺院の空間的形態に関する系統的な研究は不足している。本論では、最初に東遷の移動経路上の重要な地区――カム地区(四川高原・西北雲南)地方とアムド地区(青海)、及びボン教東遷の出発点と終着点に所在する典型寺院の整理を通して、異なる地区のボン教寺院空間形態を比較分析し、時間と地理的空間の変化過程中に発生したボン教寺院の空間形態の変容特性を探求する。
ついで、東遷終点にあたるギャロン・チベット地区の四川省西北部アパ・チベット族チャン族自治州金川県を重点研究地区に選び、その中で最も代表的な2つの寺院-昌都寺と広法寺を調査対象とする。文献調査及びフィールドワークを通して、全体から局部までの階層的研究の方法により、寺院全体の配置形態、建築空間形態、外部空間形態に係る研究を進め、それらの基本形式と特徴を帰納的に導きだし、そこから、空間形態に影響した主要な要素をえぐり出そうと試みる。
最後に、切実な発展を必要としながら科学的指導を欠いたままの寺院の現状に焦点をあて、大寺の発展経験を吸収しつつ、①増築にあたっての敷地選択、②機能的な配置、③景観緑化、④街路構造の4つの側面から金川県ボン教寺院における空間発展についての計画を指導(構想)する。このたびの研究は、東遷背景下における異なる地域のボン教寺院の形態を示す。金川県ボン教寺院の空間形態に関する研究成果については、金川県ボン教寺院の新築及び修復工事のために十分な理論的根拠を提供することができ、空間発展の研究成果については、寺院空間を合理的かつ秩序ある発展に導くことができる。
〔キーワード〕 空間形態 ボン教 寺院 空間開発; 【続】
《関係サイト》
ボン教(笨教)中国語論文リスト
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2293.html
ボン教論文摘要(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2303.html
ボン教論文摘要(2)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2306.html
ボン教論文摘要(3)
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