fc2ブログ

いい加減に学ぶ中国語講座(40)

ボン教論文摘要(4)

№1 段克兴(1983)
※摘要がない論文のため、最初の段落を翻訳しています。
①原文: 「西藏原始宗教―本教简述」 『西藏研究』 第1期:pp.76-77
 本教, 亦作“钵教”、“笨教”, 俗称“黑教, 汉族因语言关系, 称之为崩崩教. 它是藏族古代盛行的一种巫教, 祟拜鬼神和自然物. 据《本教源流》载, “黑教开始传播于现在阿里三区之一的向雄地方, 旧名古盖’’。因为本教发祥于比地, 故西藏人称该地为向雄本教地方. 本教创始人名叫本` 馨饶米伯耶馨, 后人简称馨饶。

②日本漢字: 段克興「西蔵原始宗教―本教簡述」 『西蔵研究』 第1期:pp.76-77  
 本教, 亦作“鉢教”、“笨教”, 俗称“黒教, 漢族因語言関系, 称之為崩崩教. 它是蔵族古代盛行的一種巫教, 祟拝鬼神和自然物。拠《本教源流》載, “黒教開始伝播于現在阿裏三区之一的向雄地方, 旧名古蓋’’。因為本教発祥于比地, 故西蔵人称該地為向雄本教地方. 本教創始人名叫本` 馨饒米伯耶馨, 後人簡称馨饒。

③和訳:  「チベットの原始的宗教―ボン教概説」『西蔵研究』1983年第1期:pp.76-77
 本教(ボン教)は「鉢教」または「笨教」とも書き、俗に「黒教」と称する。漢族は言語(の音声)関係により「崩崩(ポンポン)教」と呼んでいる。それは古代に盛行したチベット族のシャーマニズムの一種であり、鬼神と自然物を崇拝する。『本教源流』の記載によると、「黒教は現在のガリ地方3区のうちの一つである象雄地方(旧ミンクカイ)に伝播を始めた」と記載されている。ボン教はここに発祥したので、チベット人は当該地を象雄(シュンシュン)ボン教地方と呼ぶ。笨教の創設者の名は元は「シェンラプ・ミウォ・ヤシェ」といい、後世の人は「シェン」と略称した。


No.3 王芳恒(1996)
①原文: 「西藏宗教文化与藏族社会历史发展管见」『西藏民族学院学报(社会科学版)』1996年第1期(总第65期):pp.59-64
 宗教是一种文化现象, 属于社会的上层建筑, 根置于一定的经济基础, 又反作用干经济基础, 在社会历史发展中占有重要的地位。据考古资料证明, 早在旧石器时代, 西藏就有原始人类居住。
从藏文记载中的“ 六耗牛部” 到吐蕃王朝的统一, 这些“ 食肉赤西人” ① 一直过着以游牧为主的生活, 笨教是这一时期吐蕃社会的主宰。松赞干部(?—650年)统一吐蕃以后, 佛教便正式传入吐蕃社会。随着吐蕃社会的崩溃和瓦解, 封建社会的因素逐渐增加, 藏传佛教于公元10 世纪末以其独特的面目跃上了藏族社会的历史舞台。
藏族社会经历了氏族制、奴隶制、封建农奴制的历史发展过程。笨教、佛教、藏传佛教等文化现象也在这些历史发展中应运而生, 与藏族社会协调发展。

②日本語漢字: 「西藏宗教文化与藏族社会歴史発展管見」『西藏民族学院学報(社会科学版)』第1期(総第65期):pp.59-64
 宗教是一種文化現象, 属于社会的上部構造, 根置于一定的経済基礎, 又反作用干経済基礎, 在社会歴史発展中占有重要的地位。拠考古資料証明, 早在旧石器時代, 西蔵就有原始人類居住。 従蔵文記載中的“ 六耗牛部” 到吐蕃王朝的統一, 這些“ 食肉赤西人” ① 一直過着以遊牧為主的生活, 笨教是這一時期吐蕃社会的主宰。松賛干部(?-650年)統一吐蕃以後, 仏教便正式伝入吐蕃社会。随着吐蕃社会的崩潰和瓦解, 封建社会的因素逐漸増加, 蔵伝仏教于公元10 世紀末以其独特的面目躍上了蔵族社会的歴史舞台。 蔵族社会経歴了氏族制、奴隷制、封建農奴制的歴史発展過程。笨教、仏教、蔵伝仏教等文化現象也在這些歴史発展中応運而生, 与蔵族社会協調発展。

③和訳: 「管見-チベット宗教文化とチベット族社会の歴史と発展」『西藏民族学院学報(社会科学版)』第1期(総第65期):pp.59-64
 宗教は文化現象の一種であり、社会の上部構造に属し、一定の経済基盤に根ざしている。また経済基盤に対する反作用し、社会の歴史的発展のなかで重要な位置を占めている。考古学資料の証拠によると、はやくも旧石器時代、チベットには原始的な人類が居住していた。チベット語文献記載中の「六耗牛部」(訳注1)から吐蕃王朝の統一まで、これらの「食肉赤西人」(肉食のチシ人)」(原注①)は常に遊牧生活をおくり、ボン教がこの時期の吐蕃社会の主軸であった。ソンツェン・ガンポ(?-650)が吐蕃を統一以降、仏教が正式に吐蕃社会に導入された。吐蕃社会の崩壊と瓦解に伴い、封建社会の要素は徐々に増大し、チベット仏教は、10世紀末にその独特の特徴をもってチベット族社会の歴史舞台に躍り出た。チベット社会は、氏族性、奴隷制、および封建農奴制の歴史的発展の過程を経たものである。ボン教、仏教、チベット仏教などの文化的現象も、これらの歴史的発展の中で機運に乗じて生まれ、チベット族社会と調和して発展したのである。
 訳注1) 今から二千年前の西藏地区には,ヤク(粍牛)を飼養している六大部落 「粍牛部」が存在していた。神話伝説中の初代チベット王「轟赤賛普(ニャッザンプ)」は「六大粍牛部」の首領に推載された。file:///C:/Users/asax/AppData/Local/Temp/15.pdf
 原注① 『王考遺教』18頁 参照


No.11 戚瀚文(2012)
①原文: 「藏东本教寺庙孜珠寺建筑研究」『艺术百家』第S2期:pp.156-159
 研究西藏建筑必然会涉及到西藏的宗教和寺庙,西藏本教是存在于雪域高原的最古老宗教,它伴随着藏民族的发展而存在着。本文以藏东昌都地区著名的本教寺庙孜珠寺为研究对象,以作者的实地考察测绘资料为研究就依据,能够让读者对本教这一古老宗教的历史有初步的认识,并对本教寺庙建筑的职能特点有一定的了解。
〔关键词〕 建筑艺术 地域文化 本教 孜珠寺 建筑设计 文化特征 审美文化

②日本漢字: 「蔵東本教寺廟孜珠寺建築研究」『芸術百家』第S2期:pp.156-159
 研究西蔵建築必然会渉及到西蔵的宗教和寺廟,西蔵本教是存在于雪域高原的最古老宗教,它伴随着蔵民族的発展而存在着。本文以蔵東昌都地区著名的本教寺廟孜珠寺為研究対象,以作者的実地考察測絵資料為研究就依拠,能够譲読者対本教這一古老宗教的歴史有初歩的認識,併対本教寺廟建築的職能特点有一定的了解。
〔関鍵詞〕 建築芸術 地域文化 本教 孜珠寺 建築設計 文化特征 審美文化

③和訳: 「チベット東部ボン教寺院-孜珠寺の建築研究」『芸術百家』第S2期:pp.156-159
 チベット建築の研究には必然的にチベットの宗教と寺院が関わってくる。チベットのボン教は雪域高原(チベット高原)に存在する最古の宗教であり、チベット民族の発展に伴って存続してきた。 本文では、チベット東部のチャムド(昌都)地区にある著名なボン教寺院「孜珠寺」を研究対象とし、著者による現地調査と実測作図資料を調査の拠り所として、読者にボン教という古い終了の歴史を基礎的な認識とボン教寺院建築の機能特性に一定の理解をもたらそうとするものである。
〔キーワード〕 建築芸術、地域文化、ボン教、 孜珠寺、建築設計、文化的特徴、美的文化  【続】

《関係サイト》
ボン教(笨教)中国語論文リスト
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2293.html
ボン教論文摘要(1) 
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2303.html
ボン教論文摘要(2) 
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2306.html
ボン教論文摘要(3) 
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2309.html
ボン教論文摘要(4)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2310.html
ボン教論文摘要(5)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2311.html
ボン教論文摘要(6)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2312.html
ボン教論文摘要(7)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2313.html

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR