ホテルen (2)-登録文化財「旧木村酒造場」


酒蔵レストランの構造補強
一夜あけて、朝食は本館西側の酒蔵レストランへ。播但線に面する宅地背面にあたり、窓外には朝靄に煙る竹田城跡を見通せる。こちらは登録文化財の一部であり、改修の手法は分館以上に慎重になっている。共通するのは、荒壁残しの手法である。荒壁のお陰で骨董品の風貌をよくとどめているが、目立たぬように構造補強もしていた。酒蔵本来の小屋組を木造のラーメン構造で支えているのである。その木材は古色塗りされているので、素人ならば新材・古材を見分けることは難しいであろう。これでよいと思う。
屋根が高いので、やはり少々寒い。ここでも空調とともに、石油ファンヒーターを何ヶ所かフロアに置いているが、暖気は小屋梁より上に上昇してしまう。原始的な手法かもしれないが、大型の扇風機を屋根裏に設置して暖気を押し下げたほうがいいかもしれない。ご存じのように、この種の大型扇風機は東南アジア、南アジアで多用されており、夏には冷気の循環にも役立つだろう。

朝食は豪華な和食である。ご飯と味噌汁は何杯おかわりにしてもよくて、マスク美女たちに何度か薦められたが、「肥満で糖尿なので控えます」と答えるしかない。残念なことではあるけれども、この日(12月19日)は、丹波篠山でミシュラン一つ星の蕎麦屋を訪ねることになっており、朝は控えめにして腹を空かせておく必要もあった。


ホテルenの改修・活用手法には感心させられた。骨董の風貌を継承する基本方針が確固としてあり、それを前提として構造補強やフロアの改修に取り組んでいる。荒壁を活かしている点にはとくにセンスの良さを感じた。文化財の修復や改修に習熟しているか、木造建築の美学に精通している者がトップに居ない限り、こうした方針を堅持しえないと思う。どのような人物がこのプロジェクトを率いているのか、気にならないと言えばやはり嘘になる。

↑左から情報交流館(市営)・裏門・酒蔵レストラン(en)


篠山の河原町-重要伝統的建造物群保存地区
朝食後、丹波をめざす。11時半に「ろあん松田」という蕎麦料理屋を予約しており、時間ぎりぎりにすべりこんだ。こちらのレポートは次々回にまわすことにして、二つの重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)を先に取り上げておく。
丹波篠山市(旧篠山市)を訪れた12月19日は GoToトラブル もなお健在であり、町の人出は多かった。そのためか、旧城下町地区は交通渋滞がひどい。重伝建は東新町・西新町・南新町・北新町・河原町・小川町・立町を含み、その範囲は東西約1.5km×南北約0.6km(面積約40.2ha)に及ぶ。選定は意外と遅く、平成16年(2004)まで下る。歩きにくい車道から離れて少し郊外のほうにむかうと河原町の妻入商家群の通りに出る。ここでも「河原町」か。倉吉、上方往来(因幡街道)に続き、篠山でも河原町のお世話になった。地名が示すとおり、河原に近い町なので、市街地中心部から離れた後発のエリアだと思われる。人出は少なく気楽になって、小雪舞う街道をのんびり歩いた。


丹波地方の民家・町家は「妻入」であるところに大きな特徴があるが、とりわけ町家の場合、中2階の上に架かる屋根の妻面に小庇をつけているので、入母屋風の面貌をしている。外観は耐火式の土蔵造で海鼠壁を多用している。こういう町家スタイルは、明治中期以降のものだと考えて間違いないだろう。NIPPONIAの暖簾を懸ける連棟式の町家を発見した(↑)。丹波篠山にはVMGが運営する別の大きなホテルがある。NIPPONIAも宿泊できるだろうと思うのだが、確認できていない。


「花格子」という蕎麦屋も発見した(↑)。周辺の町家に比べて2階の丈が高いので、新しい町家風の店舗なのかもしれない。「石臼挽き 十割 手打そば」と看板に大書きしてあり、かけそばの一杯でもと思いはしたが、なにぶん「ろあん松田」で昼食のフルコースをいただいた直後であり、次回の楽しみにとっておくことにした。蕎麦通の感覚としては、上手い蕎麦であろうという匂いを強く感じた。田舎風の濃いめの出汁にコシの強い太めの蕎麦・・・食べておけばよかったかもしれない。
さらに町外れの方に向かうと、土蔵造海鼠壁の町家(↓左)の混ざって、入母屋造茅葺き屋根を鉄板で覆った妻入の民家があらわれた(↓右)。そうか、これが河原町の商家(町家)の原型なんだ。江戸時代には、こういう茅葺き入母屋造妻入の民家が「町家」として街道沿いに軒を連ねていたんだ。それは倉吉市河原町も、上方往来河原宿も同じであることをすでに古写真等から確認しているが、丹波篠山でも同じ変化を遂げてきたのだ。こうした変化を次の重伝建「福住」でさらに実感することになる。【続】

