福住のなりとぱん


重伝建「福住」
丹波篠山市にはもう一つの重伝建がある。正式名称は、丹波篠山市福住伝統的建造物群保存地区(2012)。文化庁系のサイトを若干修正しつつ抜粋すると、「福住地区は、丹波篠山市東部、京都・大阪との府県境に位置し、古代から交通の要衝であり、江戸時代には篠山藩が西京街道の宿場町として整備し、明治以降も多紀郡東部の中心として栄えた。妻入を主体としたツシ二階建瓦葺の町家が建ち並ぶ宿場町の町並みと、平屋建茅葺きの農家住宅が建ち並ぶ農村集落という二つの異なる町並みが、西京街道沿いに連続して残されていることが特徴」である。この解説を補足するならば、宿場町の住宅群も江戸時代にあっては、農家と近似した平屋建妻入茅葺きのスタイルであったに違いなく、それが明治以降、「妻入を主体としたツシ二階建瓦葺の町家」に進化したものだと思われる。こうした変化は、宿場町・農村地区だけでなく、城下町の中心部においてもおきたであろう、というのが倉吉・河原宿を分析した当方の持論である。


福住重伝建地区は長い。西京街道に沿って並ぶ福住、川原、安口、西野々の4集落を含む3キロ以上の範囲が町並み保存の対象地区になっており、正直なところ、「ここが重伝建か」と訝しく思うほど町並みが現代化している部分も少なくない。それをみて呆れていると、まもなく歴史的建造物(群)があらわれ、また消える。これだけの範囲の住民がよく重伝建の選定に同意したものだと感心するとともに、本当に修理・修景を実現しうるのか、気の遠くなる思いがした。
わたしたちは、福住上あたりから東行して川原、安口西、安口東まで行って、篠山東雲高校でUターンした。あまりに長い街道に疲れ果てて、休憩処を探したが全く見当たらず、来た道を折り返し、福住上を過ぎて福住下に至るあたりで古民家の集中する地区があり、そこにちらほら店舗の看板や暖簾が点在するようになる(↓)。


なりとぱん
パン屋さんに入ることにした。もちろん古民家活用のテナントである。表にちょうちんを吊るしており、その紙にくずし字で「なりとぱん」と書いている。これが店名である。ところが提灯のある表側からは店内に入れない。裏側にまわって井戸があり、その前の裏口から店に入る。古い井戸を守りたくてこうしたのだという。いまは表側に厨房をおいているが、表側から人を入れると、背面にまわった厨房が井戸を圧迫してしまうのであろう。




大阪から移住してきた若い夫婦が経営を始めたばかり。「無農薬小麦粉と無農薬野菜、添加物不使用の素材を用いたパンとスープとデザートのお店」(http://hitotokoto.com/naritopan/)を売りにしている。
建物は古い。外観は明治期の改装であろうが、内部の材の摩耗などみると、18世紀にまで遡ってもおかしくないように思った。もちろんその時は茅葺き民家だったはずである。


プリン1個とパンを二つ注文した。細長のブドウパンを半分だけカットしてもらい紅茶とあわせた。「九州から届いたばかりのバター」をサービスしていただいた。ブドウパンにつけると、さっぱりした味がする。油分を味覚として感じない。紅茶は日本製だという。我らが「みちくさの駅」では自家製紅茶をふるまっていただいたが、決してまずくはない。スリランカやアッサムの銘品にない気楽な魅力が日本製の紅茶にはあると思う。

福住への移住は少しずつ増えてきており、あとでまわりをぶらり歩くと、イタリア料理のレストランなどがあったし、NIPPONIAも大型の和風住宅を改装してホテルにしており、VMGが運営していることも分かった。丹波篠山は文化遺産の宝庫であり、京阪神とも決して遠くない。但馬に比べれば雪も少なく、移住者は増えていくかもしれない。自分自身、退官後の寓居をどこにおくかで思案しているが、一つの候補になるであろうと思った。ただ、欲を言えば、海に近いほうがいい。鳥取や但馬は海に近いが、雪が多い。年寄りに豪雪はきつすぎる。いま山陰の大雪を心配している。いつ帰途につこうか。授業は休講とするか、オンラインとするか、少々迷い始めているのだ。
