国英神社(2)-スキル伝承演習


スキル伝授の日
1月27日(水)、全体ゼミの日ですが、「密」を避け、有志による実測・測量演習をおこないました。天候が不安視されましたが、国英神社を訪れる日はなぜか晴天がひろがります。不思議な縁ですね。今回は、4年生が3年生に重要器材のスキルを伝授する最後の機会でもありました。演習は以下の3種です。
1)ドローンの操縦と撮影: 研究室所蔵の2台のドローン(ファントムとパロット)を操縦して空撮し、そのデータを使ってフォトスキャンによる2D、3Dモデルを作成する。
2)インパルスによる測量: ハンディ測距測角儀による配置図の作成。歩測によって、ラフな屋根伏図を方眼紙に手描きし、基準点(BM)からの距離と角度を計測して、そのデータを方眼紙の余白に書き込む。
3)平面図実測と採寸: 方眼紙に間取りを書き込み、巻尺とコンベを併用して、3色ボールペンで寸法を書き込む。
4年男子2名は機械に強いので、1)2)はうまく教えられるのですが、3)実測・採寸には慣れておらず、教授とガキオ先輩の指導を受けました。この日は本殿をのぞいて内部の調査もできたので、建物ごとに構造形式等を述べながら、演習の状況も併せて説明していきます。


本殿
入母屋造正面千鳥破風銅板葺き(宮殿型=八棟造)
平面1間四方 土台建 向拝一間 軒唐破風付 (幕末)
すでに述べたように本殿の内部には入れなかったが、近い位置から観察できたので改めて報告しておく。正面向拝の虹梁型頭貫や木鼻を派手につくり、明治期に下るようにもみえるが、繋虹梁(海老虹梁)や本体木鼻の渦の絵様は素朴であり、幕末期と考えてよいと思われる。これについて、後述する「伊勢宮」の棟札が天保二年(1831)としており、本殿の年代観に近いと感じた。ただし、千木・鰹木は昭和55年に更新されている(棟札あり)。神社らしく和様を基調としてはいるものの、頭貫上に台和をめぐらして出組の組物を詰組風に配し、全面扇垂木で屋根を支えるなど禅宗様の影響が濃厚である。千鳥破風・軒唐破風付の宮殿(くうでん)式本殿であり、聖神社(県指定)や長田神社(登録文化財)などとの共通性がみとめられる。

床下は春日造風の土台建とする。拝殿より一段高い位置にあり、乾燥しており、柱根本や土台の劣化もひどい状態ではない。いちばんの問題は幣殿の拡張に伴い、軒唐破風の正面が塞がれているところであり、これについてはなんらかの改善が必要であろう。全体に傷みは少なく、屋根葺き替え・防水処理・部分修理で十分維持保全が可能となるだろう。実測・採寸は外側からおこなったが、文化財価値の高い繊細な建物であり、学生ではなく、先輩と教授でおこなわれた。




拝殿
入母屋造平屋建桟瓦葺平入(昭和)
本殿以外の堂宇は中に入ることができた。拝殿は十二畳敷。小さな拝殿だが、それでも新築すれば五千万円前後はかかるだろうとのこと。前報でも述べたように、昭和の再建であるのは疑いがたく、縁板などに劣化は認められるものの、部分修理等により十分継続的な使用が可能である。桟瓦はできるだけ再利用する。下地の粘土を取り去り、分厚いゴムアスで防水処理した後、葺き足の下にあたる瓦の一部に小孔をあけて針金で上下の瓦をつないでいく。傷んだ瓦は新しい瓦に替える。拝殿両側面に振れ止めの筋交を貼り付けているが、この材はもちろん外し、内側から目立たぬよう構造補強すればいい(外側に控え柱を立てるのも面白いか)。


幣殿
切妻造平屋建桟瓦葺妻入(昭和)
幣殿は拝殿と本殿をつなぐ廊下だが、当初はおそらく鳥取東照宮と同様の短い角屋であったろう。国英神社の場合、当初は間口2間×奥行2間であり、後に踏段(1/4間)を挟んで奥行1間半(畳敷)と縁(1/4間)が増設され、その縁を祭壇のように扱っている。その結果、妻壁外側のケラバが本殿向拝の軒唐破風に突き当たっている。これは幣殿と本殿をつなぐ浜床を雨にあてないための工夫であろうが、本殿軒唐破風を視え難くしており、改善が必要であろう。この部分の処理には智恵を絞らなければならないが、その他は防水・屋根葺き替え・部分修理等で十分維持保全が可能である。


棟札類
社務所で、棟札類の撮影をさせていただいた。年代の古い順から示す。





享保三年(1718)「奉納御神鏡」札(左2枚): 材が非常に新しい。裏をめくると、昭和2年(1927)の「研直鍍金先祖継蔟者」十名を記している。表面は享保奉納札の写しであり、その御神鏡を昭和2年に研直鍍金したということであろう。問題の享保三年(1718)という年代は鏡の奉納年代を示すが、奉納する施設はいうまでもなく本殿であり、新築された本殿か鏡奉納以前から存在した本殿のどちらかであろう。気になるのは、祈祷所の正面に残る古い部材(虹梁・木鼻・組物等)が18世紀に遡る旧本殿部材の可能性があることだが、旧本殿が18世紀の造替とすれば、幕末再造替と推定される現本殿との時間差が近すぎるようにも思われる。災害による倒壊でもない限り、造替の間隔が短すぎる感が否めない。
天保二年(1831)「奉新建立伊勢宮社」棟札(中2枚): 伊勢宮とは伊勢神宮内宮(天照)・外宮(豊受)の神を祀る地方の社だが、どの建物をさすのかは不明。かつて存在した末社・摂社の類か。ただし、すでに述べたように、現本殿の年代観とはよく整合していると思われる。
昭和五十五年「奉納千木勝男木」棟札(右1枚): 昭和55年(1980)に千木・鰹木を更新している。現在、一部の千木が外れており、仮止めしているとのこと。
本殿以外の平面採寸は、おもに先輩の指導の下、3年生が担当した(図面は下右)。ミリ(mm)単位で寸法を読む方式に早く慣れてほしい。本日これまで、また明日。【続】


《連載情報》国英神社
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