2020年度卒論提出日

ケサル王の光明
2月16日(火)、ついに卒論の提出日を迎えた。昼過ぎに研究室に踏み入ると、みな般若のようにパソコンを睨みつけ、仕上げの作業に熱中している。一人ずつチェックしたのだが、修正指示すら躊躇われるようなムードなのね・・・でも、直しますよ、わたしゃ。9日の卒論発表会の後からこういう雰囲気が続いており、お菓子や切り花をもっていってもあまり反応がない。仕方がないので、一人湯を沸かしブレイクしようとしていると、会長が姿をあらわした。若桜で会議があった帰りだという。
ちょうど能海単行本の再稿第1弾が大学に届いた直後であり、大家に依頼した前文を読んでは格調の高さに唸りつつネスカフェを啜った。じつは前日(15日)、大家からまたメールをいただいていた。再び抜粋引用させていただきます。
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昨年から続く、閉塞感のあるコロナ禍の長く、暗いトンネル、その先にようやくかすかな光が見え始めた気がします。(略)私にとってこの上なく嬉しいのは、その光の中にケサル王の勇姿がくっきりと浮かび上がっていることです。ケサル王とは、チベット民族にもっとも親しまれ、今に語り継がれている国民的英雄です。(略)1968年、二十世紀最高のフランス人チベット研究者であるコレージュ・ド・フランス教授 R. A. スタン氏(1911-99)が来日され、西田龍雄教授(1928-2012)の通訳で「チベットの叙事詩『ケサル王物語』について」と題して講演されました。(略)チベット語ではトム・ケサル王と呼び習わされている主人公が、西では古代ローマ(⇨トム)帝国の皇帝カエサル(⇨ケサル)、東では中国後漢末期の武将関羽が神格化された関帝と繋がりがあるという話は、その時空を超えたスケールの大きさに度肝を抜かれる思いでした。チベットは「世界の秘境」というイメージしか持っていなかった私は、自分が研究し始めたチベットの予想だにしなかった世界的繋がりのあまりの広さと古さに、胸がときめきました。(略)その1年後の19699年秋に、私自身がフランスに留学し、スタン先生の指導のもとにチベット語で『ケサル王物語』を読むことになるなどとは、まったく夢想だにしていませんでした。(略)そして今、この作者未詳、「語り部知らず」のチベット民族の一大英雄叙事詩『ケサル王物語』が、フランス人(アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール)と日本人(冨樫瓔子)の二人の女性「語り部」を介して、1ヶ月後の3月15日に岩波文庫で登場することになったのは、私としては本当に感慨深いものがあります。(後略)
会長が研究室を去った後、あわてんぼうのわたしは早速アマゾンで『ケサル王物語』を予約注文しました。それから4年生を南海飯店に誘いました。ひょっとしたら、おやつに続いて夕食も断られるんじゃないか、と不安な気持ちでいたのですが、なんと2日間ほとんど何も食べていない学生がいる。慌てて貧困学生支援のため飯店に移動して中に入ると、隣のゼミの学生(バイト)がにこやかに迎えてくれたものの、店内は伽藍堂。コロナの影響は夕食時に出ているそうです。みんなで丸テーブルの席についたのですが、腹ぺこの学生は正座したまま料理を茫然と眺めている。日常の彼からみれば、信じられないご馳走が目の前に並んでいるわけです。見る前に食べろ、と思うのですが、彼はしばらくぼんやり料理をみつめてました。