鍛高譚な梅酒

新旧2年の木瓜の屠蘇
コロナのおかげで、また人生初の体験をした。通院は院内感染の可能性がある。だから電話で問診し、薬局で薬をもらう。その繰り返しだった。ただし、歯科だけは例外で、医師や衛生士との距離が近すぎる。飛沫の嵐だ。半年以上前から奥歯に違和感を覚えていたのだが、反復するコロナの大波のため通院を控えていた。この週末、意を決して歯科を訪れた。入口の横の壁に「歯科衛生士募集」の張り紙あり。敷居をまたぐも、馴染みの衛生士がいない。コロナで辞める人、ワクチン注射に借り出される人、いろいろあって、てんてこ舞いの状況だという。

この日、親知らずの1本を抜歯された。来週は反対側をもう1本。レントゲンを撮ってみると、違和感のある箇所は予想以上に悪化していた。この歳までよく親知らずを残してきたものだと言われた。抜歯と雖も、麻酔さえすれば苦ではない。ただし、今日一日、呑めない。あらら・・・ここでまた「呑む」とか書くと物騒だが、誤解してほしくないので強調しておくと、わたしは酒呑みではありません。コロナ禍のため配偶者を疎開させて同居を始める以前の単身赴任時に飲酒することは例外的にしかなかった。限られた時間のなか、仕事に集中しなければならない。ところが、一緒に暮らすようになって、奈良の習慣が鳥取にもちこまれた。晩酌である。晩酌して一眠りし、深夜に起きて風呂に入り、明け方近くまで仕事をする。これがルーティーンだ。昼間に原稿を書くなど、プロの文筆家ができますか。閑かな闇のなかでしかできない仕事、当たり前です。
そんな生活をして眠れなくなったらどうするか。バーボンな梅酒をちびちび啜るとまもなく安眠できます。おかげで、Jリーグ開幕の日に漬けたアップル・バーボンの梅酒はずいぶん量を減らしてしまった。二瓶めを仕入れたばかりだった。

家の庭で今年も唐梅と木瓜の実が採れた。いずれも年中行事に不可欠な収穫物です。このたびは鍛高譚に漬けました。この紫蘇焼酎は甘みがない。砂糖か蜂蜜か。どちらを使おうか悩んでいたところで、木瓜の実を蜂蜜に浸していたシロップが目にとまった。これがいちばんだ。昨年バーボン・アップルに漬けた古い木瓜の実を蜂蜜に漬け直したものである。このシロップに新しい梅類と紫蘇焼酎を混ぜ合わせた。結果、古い木瓜は瓶底に沈み、新しい木瓜は上澄みのような焼酎に中にいる。新しい伝統が完成したのではないか。毎年こうすれば古い遺伝子が新しい酒に受け継がれていく。正月のお屠蘇まで、盗み呑み厳禁。
