なんでも拓ろう(2)-広岡神社


広岡神社を拓る
6月9日(水)、広岡神社で拓本採取に取り組みました。広岡神社がある地域の広岡は平岡とも書かれます。空山北部の低い丘陵地の山すそに位置し、裏山には坊ヶ塚古墳があります。大学から車で5分ほどのところにありました。周辺の村は江戸期~明治22年の間、広岡村と呼ばれていました。南は紙子谷に面して、若桜街道筋に位置しています。この村の氏神は八代荒神で、明治7年に広岡神社と改称されました。地蔵盆の奉納踊りが古くから伝承されています。この奉納踊りは京都壬生寺の念仏踊りの流れを汲むといわれています。


広岡神社の入口はやはり照葉樹の森(杜)に囲まれており、灯篭が1基建っていました。すぐ横には石段があり、石段の途中には鳥居がありました。鳥居をくぐった先には1対の狛犬があり、石段を登り切ると本殿がありました。今回の調査では拓本をおこないました。入口の灯篭1基と、1対の狛犬の基台、本殿前の灯籠2基と本殿の向拝虹梁の絵様の計6箇所の拓本を採りました。狛犬の基台から5人の願人名を読み取ることができました。狛犬は出雲構え獅子で腰を上げて今にもとびかかりそうなポーズをしています。狛犬の基台の拓本を担当しましたが、木製建築部材で練習した時と違い、表面がざらざらしているため拓本を取るのが難しかったです。拝殿前の石灯籠では安永六年(1777)、鳥居前の石灯籠は安政四年(1857)の年号を読み取れました。前者はこれまでみた近隣の神社では最古の年代です。


↑↓狛犬基台の願人名


拓本を取った後、帰学してpdfデータとして読み取り、50%の縮小コピーもしました。今後は、文字をトレースし、拓本では読みづらかった字が読みやすくなります。トレースの作業をまだ行っていないので、今回私が拓本を行わなかった場所に掘られていた字を読み解けるのが楽しみです。
前週の禰宜谷神社灯篭の拓本トレースを4年生が済ませており、見せてもらいました。「安政七年庚申三月日」と読むことができました。庚は十干で、申は十二支を指しています。十干と十二支を合わせたものを干支(えと)と言い、60年周期で時間の進行をとらえていると聞きました。安政7年(1860年)にこの灯篭が建てたと考えられます。一方、本殿の絵様は派手であり、明治期まで下る可能性が高いと思われます。
(カキフライ)


↑本殿は春日造の向拝に軒唐破風をつけている。