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2021いい加減に学ぶ中国語講座(4)

アルメイダ・リベイロ通り(2)


百度百科「澳門」翻訳(4)
https://baike.baidu.com/item/%E6%BE%B3%E9%97%A8/24335

 みなさん、こんにちは。4年の遊民です。今回も中国語翻訳の続きを行いました。少しづつですが翻訳のスピードが上がっており、これまでの成果を感じています。今以上によくなるようにもっと頑張りたいと思います。


マカオ所轄と変転(1)-明代まで

1.原文
 澳门先秦属百越地。从秦帝国起就成为中国领土,属南海郡。澳门古称濠镜澳,与广州香山县的历史关系极其密切。早在春秋战国时期,香山已属百越海屿之地。约前3世纪(即秦始皇一统中国之时),澳门被正式纳入中国版图,属南海郡番禺县地。420年(晋朝元熙二年),澳门属新会郡封乐县地。590年(隋朝开皇十年),废新会郡改属宝安县地,757年(唐朝至德二年),废宝安县,改为广州东莞县辖。自南宋开始,澳门属广东省广州香山县。据史料记载,宋末名将张世杰与军队曾在此一带驻扎;早期在澳门定居的人在此形成小村落,倚靠捕鱼与务农种植为生。元代属广东道宣慰司广州路,路治广州,明代属于广州府,清朝后期前属广肇罗道广州府,道治肇庆,府治广州。
 澳门半岛之有大量华人定居,是在南宋皇朝倾覆之际。当几十万南宋军民从福建败退乘船长驱到达澳门一带,有的可能踏上这片半岛汲取淡水、寻找食物,有的更可能将这片荒僻地辟成藏身之所。召集澳门半岛上名为“永福古社”的沙梨头土地庙,便相传邕建于南宋末年。大约在南宋末年至元初,澳门半岛上的望厦、濠镜等地,已是定居的居民点了。自此以后,澳门始稍有人烟,但由于地方细,耕地缺,物产少,立足生活繁衍后代并不容易。直至16世纪中叶,即明世宗嘉靖年间。

2.中国語の簡体字を日本の漢字に変換
参考サイト「楽訳中国語翻訳」http://www.jcdic.com/chinese_convert/

 澳門先秦属百越地。従秦帝国起就成為中国領土,属南海郡。澳門古称濠鏡澳,与広州香山県的暦歴史関系極其密切。早在春秋戦国時期,香山已属百越海嶼之地。約前3世紀(即秦始皇一統中国之時),澳門被正式納入中国版図,属南海郡番禺県地。420年(晋朝元熙二年),澳門属新会郡封楽県地。590年(隋朝開皇十年),廃新会郡改属宝安県地,757年(唐朝至徳二年),廃宝安県,改為広州東莞県轄。自南宋開始,澳門属広東省広州香山県。拠史料記載,宋末名将張世傑与軍隊曾在此一帯駐扎;早期在澳門定居的人在此形成小村落,倚靠捕魚与務農種植為生。元代属広東道宣慰司広州路,路治広州,明代属于広州府,清朝后期前属広肇羅道広州府,道治肇慶,府治広州。
 澳門半島之有大量華人定居,是在南宋皇朝傾覆之際。当幾十万南宋軍民従福建敗退乗船長駆到達澳門一帯,有的可能踏上這片半島汲取淡水、尋找食物,有的更可能将這片荒僻地辟成蔵身之所。召集澳門半島上名為“永福古社”的沙梨頭土地廟,便相伝邕建于南宋末年。大約在南宋末年至元初,澳門半島上的望厦、濠鏡等地,已是定居的居民点了。自此以后,澳門始稍有人煙,但由于地方細,耕地缺,物産少,立足生活繁衍后代併不容易。直至16世紀中葉,即明世宗嘉靖年間。


アルメイダ・リベイロ通り




ホテル・リスボア


3.和訳
 マカオは先秦時代、百越の地に属していた。秦帝国より中国の領土となり、南海郡に属した。マカオの古称は蠔鏡澳(広東語でホウキンオウ)であり、広州香山県との歴史関係はきわめて密接である。早くも春秋戦国時代、香山はすでに百越海上島嶼の地であった。およそ紀元前3世紀ころ(秦始皇帝が中国を統一していた時期)、マカオは正式に中国の版図におさまり、南海郡番禺県の地に属していた。420年(晋の元熙2年)、マカオは新会郡封楽県の地に属していた。590年(隋の開皇10年)新会郡を廃して宝安県の地に所属を改め、757年(唐の至徳2年)に宝安県を廃し、広州東莞県の管轄に改められた。南宋の始めより、マカオは広東省広州の香山県に属した。史料の記載によると、 宋末の名将、張世傑と彼の軍隊がここに駐留したこともある。最初期のマカオの定住者は、ここに小さな村をつくり、漁労と農耕を生業としていた。元代は広東道宣慰司広州路に属し、路は広州を治めた。明代は広州府に属し、清朝の後期以前は広肇羅道広州府に属し、道は肇慶を治め、府は広州を治めた。
 マカオ半島には、多くの華人が定住していたが、これは南宋王朝滅亡の際の難民である。数十万の南宋の兵士や民が福建で敗退し船に乗って長々と航海してマカオに至る。半島に上陸して淡水を汲み取り、食物を探す者もいれば、この荒涼な地域を切り開いて隠れ家とした者もいる。マカオ半島上に召集され「永福古社」という名の沙梨頭(シャライトウ)土地廟が建てられたのは南宋の末年から元の初年にかけてのことだと伝承される。マカオ半島の望厦(モンハ)と濠镜(ホウキン)等の土地は、すでに定住民の居住地となっていた。以来、マカオに少しずつ人家が増えはじめたが、陸地は細々としており、耕地を欠いて物産も少なく、子孫を繁栄させるのは容易ではなかった。16世紀の半ば、すなわち明の世宗皇帝の嘉靖年間までは。(金巴克・遊民)


マカオタワー

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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