建築の構造形式を学ぶ(1)-摩尼寺


みなさま、お久しぶりです、小霞です。
6月30日(水)、歴史建築の構造形式と細部名称を学ぶため摩尼寺を訪れました。ゼミの演習です。
行基と菅原遺跡円形建物復元のために
行基の長岡院と推定される菅原遺跡が発見され、先生が復元に取り組まれていることをきっかけに、「円形」の建築構造を有する点において、本来学びたかったチベット&ブータン世界とも関連していることから、卒業研究のテーマとして行基と菅原遺跡について学んでいくことを決めました。
菅原遺跡を復元するにあたり、供養堂としての八角円堂を知ることが鍵を握るため、夏休みの間にゼミのメンバーと奈良の興福寺や法隆寺など数ヶ所を訪れる予定です。八角円堂を始め歴史的建造物の調書をとる必要があり、学生だけで調書をとれるように先週から訓練を始めました。先週は、以前拓本をとった禰宜谷神社や広岡神社の本殿の写真をみながら、構造形式や細部名称を書き込み、先生の調書と答え合わせしながら室内で事前演習に取り組みました。


三祖堂の構造形式と細部
そして今回、摩尼寺を訪れて実際に建造物を観察しながら、どこを見て、何を書けばよいのかを学びました。まず、小ぶりな三祖堂から調書をとりました。今まで教わったことを後輩に教えながら取り掛かりましたが、自分たちだけでするとなると分からないことが多く、答え合わせとして先生がひとつひとつ教えてくださるなかで、今までどこの部分を指しているのか分かりにくかった箇所や、コツを掴むことができました。
以下が三祖堂の構造形式・年代・細部です。
<構造形式> 平屋建宝形造桟瓦葺
<年代> 昭和40年代の新築だが、江戸~明治の古材を含む。
<本体細部> 基壇:切石積上に土台建、礎石なし。軸部:角柱・桁天のり 軒:一軒角垂木、中備:束が正面に2本、側面は通柱1本。
<向拝> 礎石:切石 軸部:面取角柱 組物:三斗組(出三斗) 軒:一軒角垂木、虹梁型頭貫上に蟇股 木鼻:禅宗様系 つなぎ:海老虹梁。虹梁から上の材は幕末~明治の古材を転用している。
<内部> 背面1間に三祖が祀る壇あり。中間(最澄)は開放、左(空海)と右(円仁)には花頭窓をつける。この花頭窓を含む中間の間仕切り部分は18世紀まで遡る可能性あり。




如来堂の構造形式と細部
次に、境内のいちばん奥にある如来堂についての調書を取りました。三祖堂での訓練を経て、如来堂に取り掛かったため、どこを見ればよいのか、なんと書けばよいのかが分かり、やればやるほど身についていくことを実感しました。厨子には禅宗様の特徴がみられ、とても華やかでした。
以下が構造形式・年代・細部です。
<構造形式> 平屋建入母屋造妻入銅板葺
<年代> 明治45年
<本体細部> 基壇:二重基壇(切石積)土台建 軸部:正面は円柱の間を両折桟瓦戸(内側は障子)、側面は角柱の間を舞良戸(内側は障子)とする。正面は飛貫を虹梁型として束を立て、組物は舟肘木。中備は束上に舟肘木。軒は一軒角垂木。妻飾は平三斗・実肘木上に虹梁大瓶束をのせる。縁は切目縁・擬宝珠高欄。善光寺式阿弥陀如来像を納める禅宗様厨子。
<向拝> 礎石上に礎盤を置く禅宗様スタイル。軸部は几帳面取角柱、組物は三斗組、軒は一軒角垂木で、木鼻は正面が獅子鼻、側面が象鼻。明治末の良好な近代和風建築であり、天井を除いて改修は少ない。外観は本堂とよく似ているが、本堂は平屋建入母屋造妻入千鳥破風付 向拝:軒唐破風付。本堂と如来堂の構造形式の違いに注意すること。


もちろん、まだまだ自分たちだけでは判断しきれないことが多く、難しいと感じました。夏休みに訪れるまでにもう少し分かるようになり、奈良では良い調書がとれるように学んでいきたいと思います。(小霞)


新発見-2体の多宝塔
善光寺式阿弥陀如来像を納める禅宗様厨子の両脇に2体の多宝塔のミニチュアを発見した。これまで大雲院の宝塔厨子ばかりにも目をむけていたが、摩尼寺にも小さな多宝塔があったことを忘れていたのか、改めて気付いた。これは厨子ではない。阿弥陀如来を荘厳するもののように思うが、「戦没者慰霊」の札が気になるところである。縦長のデザインでおそらく近代の、それも新しい時期におさまるか。じつは、明治45年石碑の拓本も採取したので、由緒がわかるかも?


思いの外(失礼!)、学生は熱心だった。図面を描かせるよりも教育効果の高い演習になったと思う。

